117 (幕間)虎は宵闇に嗤う その2


「このたび、助太刀を申し出てきたのは、龍翔殿下の暗殺を請け負っている者でございます」


「やはりいたか。だが、龍翔殿下はぴんぴんしておるぞ?」


 雷炎は驚きもせず問い返す。


 部外者の雷炎であっても、龍翔の命を狙う者がいるだろうということはたやすく想像がつく。


 暗殺者に狙われながら、いままで生きながらえているということは、やはり龍翔が有能なのか、それとも暗殺者がよほど間抜けなのか。


「それが……。詳細までは明かしませんでしたが、その者が申すには、龍翔殿下に《龍》を殺す禁呪をかけているとのこと。ただ……。龍翔殿下のそば近くに解呪の特性を持つ者が仕えているらしく、禁呪がうまく発動していない、と」


「ほう? 《龍》をも殺す禁呪だと? ずいぶんと大言壮語を吐いたものだな。しかも、解呪の特性とは」


 予想だにしない言葉に、好奇心が刺激される。


 あらゆる《蟲》の頂点に立つという《龍》。

 その《龍》を殺す禁呪など、いまだかつて聞いたことがない。


「お前以外の者から聞いたのならば、夢物語を申すなと斬り捨てるところだが……」


「わたしとて、くだんの術師――冥骸の言を鵜呑うのみにしているわけではございません。ですが、冥骸が昔より、《龍》を目のかたきにし、滅してみせようと禁呪を練り上げているのは確かでございます。《龍》を殺すのは不可能だとしても、その力を減ずることならば可能やもしれません。《龍》自体はともかく、召喚するのはあくまでも人間なのですから。禁呪によって龍翔殿下を弱らせることは可能かと」


「……なるほど。俺が見る限り、龍翔殿下は『花降り婚』の準備で疲労こそたまっているが、不調を抱えているようには見えなかったがな」


「冥骸が説明するには、龍翔殿下のそばにいる解呪の特性を持つ侍女が、禁呪の成就を邪魔しているのだと……。その者さえいなければ、龍翔殿下はとうに禁呪に身を侵されて死んでいるはずだ、と申しておりました」


「解呪の特性、か。《龍》を殺す禁呪も気になるが、そちらも気になるな。術師に命を狙われる可能性がある者なら、喉から手が出るほど欲しい稀有けうな能力を持っている者を側仕えにしているとは……。政敵に囲まれながら、今まで生き延びてきたことにも頷ける」


 震雷国の宮廷術師にも、解呪の特性を持つ者はひとりだけいる。


 だが、余人より遥かに解呪が得意というだけで、実際には何がどう具体的に役に立つのか、雷炎にはあまり価値が見出だせない。


 敵に《蟲》を放たれたら、それ以上の力で叩き潰せばよいだけではないか。


 国王である父のそばにばかりいるせいで、雷炎とはさほど交流がないためにそう考えてしまうのかもしれないが。


おそれながら……。極論を申せば、冥骸の言がどこまで真実であろうとよいのです。重要なのは、『花降り婚』の当日に、冥骸が龍翔殿下を狙い、混乱を巻き起こすつもりでいるという点でございます」


「なるほど」

 螘刑の言葉にゆったりと頷く。


「『花降り婚』の真っ最中に龍翔殿下に何事かあれば、混乱は必至だろうな」


「さようでございます。その混乱に乗じて、今度こそ、確実に子亀を仕留めてみせまする」


「ふむ……」

 ひとつ頷き、雷炎は考えにふける。


 先ほどの宴での瀁淀は、見苦しいことこの上なかった。


 雷炎の来訪を、未だ藍圭を国王の座から追い落とせていない自分を叱責するためだと思っていたのだろう。


 醜悪しゅうあくに肉がたるんだ顔に脂汗をにじませて己に責任はないのだと保身の言い訳ばかりに口にし、なんとか雷炎の機嫌を取ろうと美食と高価な酒と何人もの妓女達を用意してびへつらう瀁淀はあまりに見苦しく……。もし、雷炎の臣下であれば、不愉快さのあまり斬り捨てていたところだ。


 螘刑ひとりを貸してやるだけで、豊かな晟藍国を労せずして陰から操られるのなら、願ってもない話だと瀁淀の助力に応えてやったが……。


 ここまで無能だったとは。今後、場合によっては斬り捨てる可能性も考えたほうがよいかもしれない、と雷炎は冷徹に思考を巡らせる。


 もし瀁淀を排除したとしても、まだまだ息子の瀁汀ようていがいる。頼りない若者だが、その分、傀儡かいらいとしてはうってつけだ。雷炎の意に唯々諾々いいだくだくと従うだろう。


 だが、体面を重んじる龍華国は、決して『花降り婚』を取り止めにするまい。


 万が一、藍圭に何かあれば、初華自身の意志などおかまいなしに、次の国王となる瀁淀か瀁汀に初華を嫁がせるだろう。初華が瀁汀に嫁いだ場合、瀁汀を取り込み、晟藍国を震雷国から引き離して龍華国寄りの政治を行う可能性は非常に高い。


 たおやかな外見とは裏腹に、炎のように気性が激しい龍華国の皇女を思い、雷炎はくつくつと喉を鳴らす。


 震雷国の第二皇子である雷炎相手に、一歩も退かぬどころか、敵意を隠そうともしない女人に会ったのは初めてだ。


 初華が晟藍国の正妃の座につけば、震雷国が晟藍国を意のままに操るのは難しくなるだろう。


 その未来は予見できているとはいえ。


「だが、殺すにはあまりに惜しい逸材いつざいだな」


 螘刑に聞かせるともなく、雷炎はひとりごちる。


 『花降り婚』の盟約がなければ、雷炎が正妃としてめとりたいほどだ。初華ならば、雷炎の片腕として、震雷国をさらなる繁栄に導くことだろう。


 きっと晟藍国においても、藍圭を補佐し優れた手腕を発揮するに違いない。


 斜陽が差し、傾きつつある龍華国と思いきや、龍翔といい、初華といい、興味深い人物がいることが知れたのは、今回の訪問最大の収穫かもしれない。


 龍翔には、政敵や暗殺者などに屈さず、ぜひとも生き延びてほしいところだ。


 そしていつか。


「……せっかく見つかった好敵手は、やはり己の手で叩き潰さねばな」


 心に湧き立つ獰猛どうもうな感情を笑みに乗せて呟いた雷炎に、螘刑が恐ろしそうに身を震わせる。


 だが、いま考えるべきは未来の楽しみではなく。


 はやる心を抑えながら、雷炎は口を開く。


「螘刑、お前に雪辱せつじょくを果たす機会をやろう。『花降り婚』の舞台で、今度こそ藍圭を始末せよ。護衛はお前の好きにすればよいが、初華姫には今はまだ手を出すな。お前なら周りに被害を出さずに藍圭のみを始末することも可能だろう? 龍翔殿下については、助太刀の術師の好きにさせるがいい。《龍》を殺すという禁呪が本当にあるのなら、俺もこの目で見てみたい。当日は、特等席から見られるだろうからな」


 先日、藍圭に案内された舞台の様子を、螘刑にこと細かに伝える。螘刑のことだ。ただでは引き下がるまいと思っていたが、まさか『花下り婚』当日にふたたび暗殺を試みるとは……。


 もしもの事態を想定して、藍圭に頼んでじっくりと舞台を観察した甲斐があった。


「かしこまりました。今度こそ、必ずやご命令を果たしてみせます」


 螘刑が深くこうべを垂れて力強く宣言する。「ああ」と鷹揚おうように頷いた雷炎はくつり、と笑みを刻んだ。


「『花降り婚』とは、言い得て妙だな。果たして、華麗極まる舞台の上で、何輪の血の花が咲くことやら……。当日が、楽しみだ」 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る