93 晟都への訪問者 その7


「魏角将軍の懸念が現実のものとなる可能性は否定できませぬ。藍圭陛下に敵わぬと思い知った瀁淀が、雷炎殿下に手引きを頼み、震雷国に逃げようとする可能性も……。万が一、そのような事態になれば、藍圭陛下はいつまでも外憂に悩まされることになりましょう。魏角将軍が剣を振るうべきは、その時をおいて他にありませぬ」


「……龍翔殿下のお考え、承知いたしました」


 決然と告げた龍翔に、沈黙を貫いていた魏角が、ようやく口を開く。


「わたしも好きこのんで藍圭陛下の御代を血で穢したいわけではございません。瀁淀を正しく刑に処することができるなら、それが最善と考えております。ですから、今しばらくは龍翔殿下のお言葉に従いましょう。ただし」


 魏角が腰にいた剣の柄を強く握りしめる。張宇が警戒をにじませて身構えた。


「殿下がおっしゃる通り、瀁淀のわざわいが看過できぬほどのものとなった時――。その時には、容赦なくこの剣を振るわせていただきます」


 龍翔の返答次第では、ここで一戦交えてもかまわぬ。


 そう言いたげな気迫を放つ魏角のまなざしを正面から受け止めた龍翔が、「無論です」と頷く。


「瀁淀をちゅうする剣を振るえるのは、魏角将軍をおいて、他におらぬと思っております」


 剣の柄を握っているものの、魏角は抜剣しておらず、龍翔にいたっては丸腰だ。


 だというのに、明珠の目には二人が剣で斬り結んでいるかのように見える。


 緊張にひりひりと喉が渇く。息をするのもはばかられるような緊迫した空気の中、ただただ身を強張らせていると。


 観念したような吐息とともに、先に不可視の剣をおさめたのは魏角だった。


「……今は、龍翔殿下のお墨付きをいただいただけで、よしとするべきですな」


「魏角将軍の忍耐と判断に感謝します」


 ようやく表情を緩めた龍翔が魏角に応じる。魏角が疲れたようにもう一度吐息した。


「藍圭陛下を理由に説得されたら、応じぬわけにはいきませぬ。まことにしたたかな御方ですね」


 魏角の言葉に、龍翔が見る者を魅入らせずにはいられない笑みを浮かべる。


「藍圭陛下は、わたしの義弟となられる大切な御方ですから。そのお心の平穏を願うのは当然のことでございましょう」


「……なるほど。龍翔殿下が義兄となられる幸運を感謝するべきですな」


 いかめしい表情を緩め、口の端をほころばせた魏角が、剣の柄から手を放して立ち上がる。


「思いがけず長居してしまいました。これにて失礼つかまつります。淡閲からの船に関しては、港の軍用に近い一画に停泊できるよう取り計らっておきますゆえ、ご安心ください」


「よろしく頼みます」


 先ほどまでの張りつめた空気が嘘のように、龍翔と魏角が穏やかにやりとりする。


「では、これにて」

 と一礼して部屋を出ていく魏角を、明珠は無言で見送った。


 魏角が去り、最初に口を開いたのは、眉をひそめた季白だ。


「よろしいのですか? 魏角将軍をあのまま放っておかれて……。まあ、瀁淀を誅してくれるというのなら、こちらにとっては好都合でございますが」


 季白の言葉に、張宇が眉を吊り上げる。


「おい季白。滅多なことを言うな。それをさせぬために、龍翔様が魏角将軍を説得なさったというのに……」


「説得、ですか……。しかし、あれではよりいっそう魏角将軍の心の炎にまきをくべてしまったのではありませんか?」


 顔をしかめた季白に、龍翔がゆるりとかぶりを振る。


「いや、あれでよいのだ。決して瀁淀を討つなと戒めれば、行き場を失った激情が、いつどこで吹き出すかわからぬ。四方を封じるのではなく、一方向にだけ出口を設けておけば、時が来るまでは、案外、おりの中でおとなくしているものだ。魏角将軍が瀁淀を討たねばと気負っているのも、藍圭陛下への忠節のあつさゆえ。長らく将軍の座についていただけの分別がある方だ。瀁淀がよほど無体なことをしでかさなければ、魏角将軍に誅されることもあるまい。もし、この期に及んで、瀁淀がよからぬことをするのならば――」


「その時こそ、魏角将軍に心おきなく瀁淀を斬っていただけばよいということでございますね! さすが龍翔様、お見事な計略でございます! 感服いたしました!」


 季白が崇拝に瞳を輝かせて龍翔を褒めたたえる。が、龍翔は季白の賛辞にも硬い表情のままだ。


「叶うならば、魏角将軍には手を汚してほしくないのだがな……。藍圭陛下が魏角将軍を御自ら出迎えられたことで民意を味方につけられたように、晟藍国における魏角将軍の存在は大きい。陛下の治世を安定させるためにも、魏角将軍には末永く藍圭陛下にお仕えいただきたいところだ」


 主の言葉に、季白が表情を引き締める。


「では、魏角将軍が手を出される前に瀁淀を失脚させるべく、今まで以上に証拠集めに励まねばなりませんね」


「ああ。だが、同時に雷炎殿下の対応も考えねばならぬ。魏角将軍があれほど警戒している人物だ。一筋縄でいく御仁ではあるまい」


 頷いた龍翔がてきぱきと指示を出す。


「季白。玲泉に文を送れ。瀁淀が雷炎殿下の来訪を把握しているかどうか。また、雷炎殿下とどれほどまで深くつながっているかも、探れるものなら探れと。加えて、玲泉自身が知っておる雷炎殿下についての情報を伝えよと。蛟家こうけは外交関係に強い。わたしよりも雷炎殿下の人となりについて知っている可能性が高い」


「かしこまりました」


 龍翔の命に、季白が恭しく一礼する。龍翔が、珍しく疲れたように吐息した。


「まったく……。ようやく『花降り婚』の準備が軌道に乗りつつあるというのに、晟藍国からの来訪者とは……。頭の痛いことだな」



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