93 晟都への訪問者 その6
「承知しました。魏角将軍がそのようにお望みでしたら、藍圭陛下には、決して話さぬとお約束しましょう」
龍翔が一片もためらうことなく頷く。
「感謝いたします」
が……。視線を伏せたまま、一向に話し出す気配がない。唇は一文字に固く引き結ばれたままだ。
もしかして、魏角は岩になってしまったのではないかと、明珠が不安を覚えたところで。
「……先に申しておきますが、今から申しあげることは、何の証拠もないわたしの推測にすぎません」
ともすれば聞き逃しそうなほど低い声で、魏角が口を開く。
「わたしは――前国王陛下ご夫妻を
「っ!?」
魏角の告白に、明珠だけでなく、全員が息を飲む。
「それは……っ」
思わずといった様子で身を乗り出し、魏角に問おうとした季白が、途中で我に返ったように咳払いする。
「いえ。証拠はないとおっしゃっていましたね。ですが魏角将軍。あなたほどの方が、何の根拠もなしに、そのような推測をなさるとは考えられません。そう推測するだけの理由がおありだったのでしょう? それをお聞かせ願えますか?」
静かに問うた季白に、魏角が頷く。
「これでもわたしは、数十年間、晟藍国の軍人として、この国を守ってきております。それこそ、亡き前国王陛下も瀁淀も、生まれた頃より存じておるほど」
一瞬、魏角のまなざしが切なげに遠くなる。
もう取り戻せない過去を懐かしむように。
「長く軍にいれば、悪事を働く術師の噂も、それなりに入ってまいります。が。前国王陛下ご夫妻の暗殺事件が起こるより以前に、晟藍国内で強い術師の噂を聞いたことはありませんでした。念のため、警備隊にいる知人にも確認しましたが、ここ数年、今回の下手人の術師によるものと思われる殺人事件は起こっておらぬと……」
視線を伏せ、魏角が淡々と言を継ぐ。
「豊かとはいえ、晟藍国は小国。大国である龍華国や震雷国のように、大勢の術師がいるわけではありません。ましてや、厳重な警備をくぐりぬけ、国王陛下ご夫妻を
苦い顔で語った魏角に、季白が「なるほど」と感心したように頷く。
「政争渦巻く龍華国では、術師が暗躍する事態も多くありますが、晟藍国のように政情が安定していれば、強力な術師が表舞台に出てくる余地もないというわけですか。龍華国では、術師に警戒せねばならぬ日々でしたから、刺客も晟藍国の者に違いないと思い込んでおりましたが……。やはり、こういったことはこの国の事情に通じている方に話を聞いてみないことにはわかりませんね」
「では……」
季白に次いで、言葉を選びながら慎重に口を開いたのは張宇だ。
「魏角将軍は、瀁淀が震雷国に依頼して腕のよい術師を手配してもらったか……。もしくは、震雷国の何者かが瀁淀をそそのかして前国王陛下ご夫妻を暗殺させたと……。そう考えてらっしゃるということですか……?」
できれば真実でなければよい。
そう願っているかのような声音で問うた張宇に、魏角が張りつめた表情のまま、重々しく頷く。
「瀁淀から震雷国に話を持ちかけたのか、それとも震雷国に瀁淀がそそのかされたのか……。どちらかまではわかりませぬが、わたしは震雷国が背後にいるものと考えております」
「それで、先ほど、安理が雷炎殿下が来ていると報告した際に、あれほど苛烈な反応をされたのですね……」
龍翔が納得したように頷く。
「さようでございます。このところ、刺客がおとなしくしていたのも、震雷国からの指示を待っていたのだと考えれば、納得できます。そんな中の雷炎殿下のご訪問……。初華姫様や龍翔殿下が到着し、『花降り婚』の準備が本格的に始まったことに焦っているのか、瀁淀がいまだ王位についておらぬことに業を煮やしたか……。どちらにしろ、わたしは不穏なものを感じて仕方がないのです」
皺が深く刻まれた魏角の面輪はひどく厳しく、険しい。
明珠が声を出すこともできず身を強張らせていると。
「それゆえ、魏角将軍は瀁淀を誅さねば、と思いつめられたのですね」
龍翔が乾いた砂地にしむこむ慈雨のように、穏やかな声を出す。
「魏角将軍の懸念は、わたしも重々理解いたしました。雷炎殿下にお目にかかった際には、どのような御方なのか、この目でしかと確かめましょう。それゆえ……。真実が明らかとなるまでは、くれぐれも短慮を起こさないでいただきたい」
龍翔の言葉に、魏角は答えない。
が、龍翔も返事を求めていたわけではないらしい。気にした様子もなく言を継ぐ。
「魏角将軍の決意のほどは、十分に承知しました。ですが、叔父と従兄弟を誅して王位を安定させたとなれば、藍圭陛下は必ずや気に病まれましょう。わたしは、お若い陛下の長く続く治世の始まりを、血で
静かに語りかける龍翔の言葉に、魏角の肩がわずかに揺れる。
「――ですが」
不意に、龍翔の声が刃のように鋭く、低くなる。魏角が弾かれたように顔を上げた。
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