88 お兄様に頼まれて来ましたの その3
「明珠……。あなた、いつもこんなにきっちりさらしを巻いているの!?」
「厚手の着物にそのさらしでは、今までずいぶんと暑かったことでしょう。それではあせもができるのも当然ですよ」
初華だけでなく、萄芭にも咎めるように眉を寄せられる。
「で、ですが、万が一にでも正体がばれてしまうことがあってはいけないので……っ! その、玲泉様にはばれてしまいましたけれど……」
申し訳ありません、と身を縮めてわびると、初華と萄芭が無言になった。
「確かにこれは……」
「お待ちください、姫様。巻き方が緩いのかと思いましたが、これは……」
と、萄芭がさらにきつく眉を寄せる。
「あせもはこのさらしの下なのでしょう? さらしもほどいてもらっても?」
「は、はいっ」
ここまできたら、ためらっている場合ではない。きつく巻いているさらしをしゅるしゅるとほどくと、しん、と豪奢な室内に沈黙が落ちた。
「あ、あの……?」
初華も萄芭も、いったいどうしたというのだろう。
両腕で胸元を隠しているとはいえ、いかに同性でもまじまじ見られるのは恥ずかしい。きっと呆れられているに違いない。
「す、すみませんっ。貧相でみっともなくて……っ」
二人の視線を避けるように背を向けようとすると、初華と萄芭が我に返ったように同時に息を飲んだ。
「ちょっと待って。ちょっと待ってもらえる?」
初華が心を落ち着かせようと、白魚のような指先を己の頬に当てる。
「え……? 貧相? いま貧相と言ったの?」
「は、はい……っ。すみません、お目汚しを……っ」
情けない気持ちで詫びると、初華が大きく吐息した。
頭痛がすると言わんばかりに、
「どうしましょう、萄芭……。わたくし、耳がおかしくなってしまったようですわ……」
「大丈夫です、姫様。わたくしも同じ言葉を聞きました。おかしいのはむしろ、明珠の認識のほうではないかと……」
「そうよね。あなたもはっきり聞いたわよね。こんな立派なものを持っていながら、いったいどこをどう間違ったら、貧相だという認識になるのか……」
「あの、初華姫様? 萄芭さん……?」
自分のことが話題になっているはずなのに、明珠には理解できぬやりとりを繰り広げる二人に、おずおずと声をかける。
気温が高いので寒さは感じないが、恥ずかしいので、できれば早く治して、服を着る許可を与えてほしい。
と、初華が強い光を瞳に宿し、明珠を見据える。
「明珠」
「は、はいっ」
両腕で胸を隠したまま、反射的に背筋を伸ばす。
そういえば、いつの間に「明順」ではなく「明珠」と呼び方が変わったのだろうと疑問を口にする間もなく。
「ひとつ、はっきり言っておきますけれど。あなたのその胸……。貧相どころか、かなり立派なものよ? もっと自信を持てばいいと思うわ」
「え? えぇぇっ!? でも、母さんに比べたら、私なんて全然……っ!」
とんでもない! とぶんぶんと首を横に振ると、初華と萄芭が絶句した。
「それ以上だなんて……。明珠、あなたのお母様はすごいものをお持ちだったのね……」
初華が感心した声をこぼす。
「これは確かに、さらしをきつく巻いておかねば、すぐに正体がばれてしまいますね……。あの玲泉様ですら気づかれたのですから。今後は着物も薄手になりますし、いっそう気をつけなくてはなりませんね……」
難しい表情で呟いた萄芭が、「それにしても……」と視線を揺らす。
「愛らしい少女が男装をはだけているというのは、なかなか刺激的でございますね。わたくし、そのような趣味はないのですけれども……」
「確かにそうですわね。これが玲泉様ならわざとかと勘繰るところですけれど……。お兄様はきっと無自覚ですわね。明珠にお仕着せを新調することも頭になかったのですもの。……ああ、明珠。ごめんなさいね、待たせてしまって。まずは背中のあせもを治しましょうね」
初華がようやく明珠の背に回って《癒蟲》を喚び出し、あせもを治してくれる。
細い指先がふれるかふれぬかというところで肌の上をすべるのがくすぐったくて、明珠は変な声が出そうになるのを唇を噛んでこらえた。
「終わりましたわ。大丈夫。全部綺麗に治しましたから、心配しないでちょうだいね」
「はい、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げ、さらしに手を伸ばそうとすると、はっしと初華に掴まれた。
「今日はさらしはいらなくてよ」
「ふぇ?」
いったいどういうことだろうと視線を上げると、この上なく楽しげな笑みを浮かべた初華と目が合った。
「言ったでしょう? お兄様の疲れを癒してさしあげたいと。そのために、協力してくれるのでしょう?」
「はいっ! それはもちろん……っ!」
こくこくこくっ、と大きく頷くと、初華の笑みが深くなった。
「うふふ、楽しみですわ! では明珠。下も脱ぎましょうか♪」
「ふぇ!? えぇぇぇっ!? あの……っ!?」
すっとんきょうな声を上げる明珠をよそに、初華が夢見るように両手を合わせてうっとりと呟く。
「ああっ、着せ替えで遊ぶなんて、久しぶりでわくわくしますわ! しかも相手がこんなに可愛い明珠だなんて! 明珠、わたくしと萄芭が腕によりをかけるから、楽しみにしていてね!」
「あ、あの……?」
楽しみにしていてと言われても、いったい何をされるのかわからない現状では、不安しかわいてこない。
が、そんなことを初華に言えるはずもなく、何より。
いまの初華を押しとどめることは不可能だと、明珠の本能が雄弁に告げていた。
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