68 晟藍国の旗を掲げた船 その2


「まだ、前国王陛下の喪も明けていないというのに……」


 初華が薄い紗の向こうで、愛らしい顔に嫌悪をにじませて呟く。


「行く手をふさぐようにこちらへ真っ直ぐ向かってまいりますね。……ぶつかるような事態はないと存じますが……」


 船長がどんどんこちらへ近づいてくる船を、不安そうな顔で見やる。


 華揺河の幅は広い。龍華国の船が特別に大きいとはいえ、行き交うことは十分に可能だ。こちらは船体が大きい分、小回りが利かない。今からすれ違おうとしても間に合うまい。


彼奴等あやつらを乗船させる気はない」


 固い声できっぱりと告げると、「かしこまりました」と恭しく一礼した船長が、船員達に指示を出しに甲板を走ってゆく。


 それを見もせず、龍翔は初華を守るように玲泉と先頭に立ち、舳先へさきへと歩む。


 巧みな操船技術を見せつけるかのように、晟藍国の船が、龍翔達の船の少し手前でぴたりと止まる。

 甲板にいた瀁淀と、息子と思しき青年の二人が、仕草だけは恭しく、両膝をついて拱手の礼をとった。


 二人が口上を述べるより早く、龍翔は先手をとって高圧的に声を放つ。


「何をしに参った?」


 冷ややかな声に恐れ入るように、二人がさらに深くこうべを垂れる。


「お初にお目にかかりまする。わたくしは晟藍国国王の従父じゅうふでございます瀁淀ようでん。隣は息子の瀁汀ようていと申します。龍華国よりいらっしゃった皇女殿下をお迎えするべく晟都せいとよりせ参じました」


「それは大儀である。……が、姫の夫となられる藍圭陛下の御姿が見えぬようだが?」


 龍翔の問いに、動揺した様子も見せず、さも当然とばかりに瀁淀が応える。


「陛下はご多忙でいらっしゃいますので、従父であるわたくしが代わりに――」


「ほう。ご多忙とな」

 龍翔は瀁淀の言葉を眉をひそめて遮る。


「藍圭陛下は晟都を離れ、汜涵しかんの離城においでと聞いておるが?」


 龍翔の言葉に、頭を下げたままの瀁淀達の背中がぴくりと揺れた。


「……龍華国から来られたばかりの皇女殿下にお伝えするのは心苦しいのでございますが……」


 瀁淀がいかにも恐縮しきった様子で口を開く。


「国王とはいえ、藍圭陛下は御年わずか八歳。王としての責務をになわれるには、まだあまりに幼くておいでです。それゆえ、現在、藍圭陛下は汜涵の離城で心身を休めていらっしゃいまして……」


「それはそれは、難儀なことだな。して、藍圭陛下のお加減は?」

 すらすらと嘘を吐く口だと内心で嫌悪しながら、あえて瀁淀の話に乗ってやる。


「花婿殿が不在では、『花降り婚』は成り立たぬぞ?」


 わずかに圧を増して問うと、瀁淀と息子がびくりと震えた。


「も、もちろん承知しております! 陛下は少し静養なされば、すぐにお元気になられましょう。回復が早いというのも、子どもの特徴でございますから」


 顔色をうかがうようにおずおずと面を上げた瀁淀が、あわてたように口を開く。


「なるほど……。そなたも苦労しておるようだな」


 圧を緩めてねぎらってやると、瀁淀が我が意を得たりとばかりに喜色を浮かべて大きく頷いた。


「左様でございます! わたくしも叔父として微力ながら陛下をお支えしようと、日々尽力しておりますが、陛下には口うるさく目障りな奴よと思われているようでございまして……。いやはや、なかなか難しいものでございます」


 ふう、と大仰な様子で溜息をついた瀁淀が、「ああ、いえ」とあわてた様子で言を継ぐ。


「失礼いたしました。龍華国から来られたばかりの皆様に、このような愚痴めいたことを申しまして……」


 恐縮することしきりな瀁淀だが、本音の部分は見え透いている。


 「幼い国王を支えようと懸命に尽くしているが、甥に真心をわかってもらえぬ叔父」という立場を印象づけておくことで、今後、藍圭に会った際に、藍圭が瀁淀のことを訴え、龍翔達が真偽を確かめようとしても、


「陛下がそのようなことを? いやはや、嫌われたものでございますな。陛下に苦言を呈せるのは、叔父の立場であるわたくしのみと、心を鬼にして申しあげていたのですが、まさかそこまで嫌われていたとは……」


 と、しおらしく嘆いて言い逃れをするつもりなのだろう。


「なに。かまわぬ」

 龍翔は鷹揚おうように頷いてみせる。


「藍圭陛下に代わって晟藍国を治めておれば、苦労もひとしおだろう。わたし自身はまだ皇子の身であるが、まつりごとの苦労は、少しはわかるつもりだ」


「ではあなた様が、差し添え人のお一人であり、龍華国の第二皇子殿下であらせられる龍翔殿下でいらっしゃいますか!」


 龍翔の誘いに、瀁淀が感じ入ったような声を出す。


「さすが皇子殿下でいらっしゃいます! おっしゃる通りでございます。政とは、荒波の中で船のかじを取るようなもの。さまざまな事情を考慮し、最適な答えを探さなければならぬというのに、陛下は勝手なことばかりなさって、手に追えぬ始末で……。ですが、ご安心くださいませ。初華姫様も、差し添え人の方々も、婚礼の日までわたくしと息子の瀁汀で心からのおもてなしをさせていただきますゆえ。どうか、龍華国の王宮とお思いになっておくつろぎくださいませ」


 恭しく瀁淀と瀁汀が頭を下げる。その背に、龍翔はすげなく告げた。


「その必要はない。おぬしらの世話にはならぬ」


「な……っ!?」


 断られるとは夢にも思っていなかったのだろう。瀁淀達が思わずといった様子で顔を上げる。


「な、なにゆえでございますか!?」


 聞いた言葉が信じられぬと言いたげな瀁淀に、龍翔は挑発的に唇を吊り上げた。

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