64 晟藍国からの手紙 その3


 怒りに満ちた龍翔の声。明珠が振り返ると、龍翔は刃よりも鋭いまなざしで玲泉を睨みつけていた。


「おお、怖いこわい」


 まったくそうは思ってなさそうな様子で、玲泉が肩をすくめる。


「たぶらかすとは失礼ではございませんか? わたしは、明順が望むなら、その望みを叶えるだけでございます。嘘など、何ひとつついておりませぬよ?」


「その代わり、告げておらぬことがあるだろうが! 蛟家の力を振るう代わりに、明順に何をさせる気だ!?」


「何を、とは……。もちろん、愛らしい明順を思うさまでるのでございますよ」


 玲泉が人をとろかすような笑顔でにっこりと微笑む。龍翔が奥歯を噛みしめた。


「しかし……。藍圭陛下が晟都を出られたとなると、陛下と合流して晟都へ向かったとしても、婚礼の準備が整うまで、かなりの日数を要するやもしれませんね……」


 龍翔の玲泉への怒りの矛先を変えるかのように、張宇が話題を逸らす。


「確かに、それは懸念事項だな……」


 龍翔が苦い顔で頷いた。が、明珠は意味がわからない。

 明珠の表情を読んだのか、季白が「はぁっ」とひとつ吐息して説明してくれる。


「よいですか? 皇族の結婚が、庶民のそれと全く違うことは、さすがのあなたも理解していますね?」


「は、はい!」

 季白の圧に押されるようにこくんと頷く。


 実際のところは、庶民の結婚というのも、まったくわからないのだが。

 しかし、皇族の結婚が国を挙げての一大行事だということは、明珠でもさすがにわかる。


「この婚姻は、龍華国、晟藍国それぞれの思惑によって成り立っています。藍圭陛下は、『花降り婚』で皇女を正妃として迎え、龍華国を後ろ盾とすることで、年若い上に、突然、王位を継いだゆえに脆弱ぜいじゃくな政治的基盤を確固たるものとしたい。一方、龍華国としては交易で富む晟藍国の財貨を得、皇女を正妃とすることで、晟藍国に手を伸ばそうとする震雷国しんらいこく牽制けいせいしたい。となれば、単に藍圭陛下と初華姫様が夫婦の誓いを立てるだけでは、目的を果たせません」


「はあ……?」

 明珠は曖昧あいまいに頷く。


 夫婦の誓いを立てる以外に、あと何が必要なのだろうか。


 明らかに理解していない明珠の頷きに、季白が苛立たしげに眉を吊り上げる。


「龍華国、晟藍国、双方の目的を果たすためには、壮麗な婚礼の儀が欠かせないのですよ! 晟藍国の主だった貴族達の前で荘厳な婚礼の儀を行い、龍華国の威を誇示することで、藍圭陛下には強大な後ろ盾がついていることを広く知らしめる! 謀反むほんの芽を生やさせず、藍圭陛下の今後の治世を安定させるためには、最初が肝心! 壮麗な婚礼の儀は必ず行わなければならないのです! とはいえ、龍翔様の威厳あふれる麗しいお姿を目にすれば、あらゆる者がひれ伏し、その素晴らしさをたたえることは必至でございますが! ああっ、龍翔様のご威光を目にすることが叶うとは、晟藍国の人々はなんと幸運なことか……っ!」


「季白、落ち着け」


 途中から、熱のこもった口調で主をたたえ始めた季白を、龍翔が短くたしなめる。


「季白サン、ほんっと龍翔サマのことが大好きっスよね~っ♪」


 くすくす笑いながら口を開いた安理が、季白の後を引き取って説明してくれる。


「つまり、初華姫様が藍圭陛下と合流するだけじゃダメってワケ♪ 晟都で、国王にふさわしい婚礼の儀を挙げないとね♪ まっ、フツーは一年以上かけて入念に準備するんだケド、そこはまあ、今回は事情が事情だから、大急ぎでとりあえず見目だけ取りつくろうってコトで♪」


「一刻も早く婚礼を挙げたいのは、こちらもあちらも一致しておるからな」

 龍翔が苦い表情で頷く。


「とゆーワケで、一足早く晟藍国に戻られた藍圭陛下には、婚礼の儀の準備を整えてもらう手はずになってたんだケド……」


「あ……っ」


 先ほど、龍翔が懸念事項だと険しい顔をしていた理由をようやく理解して、明珠は思わず声を上げる。ゆったりと頷いたのは玲泉だ。


「よく気づいたね。藍圭陛下が配下にどのように指示を出されて晟都を離れられたかはわからないが……。おそらく、婚礼の準備は瀁淀ようでんの妨害にあって、止まっているだろう。『花降り婚』が決定した時点で、先に晟藍国へ向けて人を遣わし、初華姫様の受け入れや婚礼の準備をするよう、手はずを整えてはいるが……。慣れぬ他国で、どこまで作業が進んでいるやら。ひょっとすると、今まで準備してきた分も壊されているかもしれないね。瀁淀にしてみれば、婚礼が遅れれば遅れるほど、都合がいいのだから」


「そんな……っ! だって、お式はまだでも、藍圭陛下と初華姫様のご結婚は決まったことですのに……っ!」


 不吉なことばかり告げる玲泉に思わず抗弁すると、玲泉がくすりと笑みをこぼした。話している内容は殺伐としているというのに、微笑みは、ひどく甘い。


「本当に、明順は初々しくて愛らしいね」


「ふぇっ!?」

 顔を赤らめた明珠に笑みをこぼし、玲泉が言を継ぐ。


「確かに、藍圭陛下と初華姫様はご結婚なさることになっている。が、「なさった」わけではないからね。それはある意味、「ご結婚しない」と同義語なんだよ。もしわたしが瀁淀の立場なら、少しでも婚礼を遅らせて、それまでの間になんとしても藍圭陛下を亡き者にしようとするだろうね」


「そ、そんな……っ」


 淡々と告げられた言葉の衝撃に、明珠は声を失った。


 身体が震える。かじかむ手で自分で自分を抱きしめようとして。


 ふわり、と龍翔の薫りが揺蕩たゆたう。

 かと思うと、明珠は龍翔に抱き寄せられていた。

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