64 晟藍国からの手紙 その1
季白の言葉を聞いた龍翔の行動は素早かった。
さっと長椅子から下り、明珠に手を伸ばして引き起こす。
「すまなかった」
苦い声で告げられた謝罪に明珠が視線を上げた時には、龍翔はすでに身を翻して扉へと向かっていた。
「何があった?」
扉を開けた龍翔が、鋭い声で季白に問う。季白がきびきびと答える声が、明珠の耳まで届いた。
「つい先ほど、《渡風蟲》にくくりつけられた文が、初華姫様の元へ届いたのです。わたくしはまだ内容を見ておりませんが、文に目を通された初華姫様が、すぐに龍翔様と玲泉様をお呼びするように申しつけられまして……」
「玲泉も? ということは、晟藍国で何かあった可能性が高いな。わかった。すぐに初華の部屋へ行く」
きっぱりと告げた龍翔が明珠を振り向く。
「明順、出られるか?」
「は、はいっ。もちろんです!」
こくこくと頷いた明珠は小走りに龍翔に駆け寄る。
「ですが、その……。私などがご一緒させていただいてもよいのでしょうか?」
龍翔の険しい表情を見るに、重要な話に違いない。そんな場に、明珠が同席してもよいのだろうか。
不安を隠せず龍翔を見上げると、龍翔と季白が顔を見合わせた。龍翔が考え深げな表情で口を開く。
「初華がわたしと玲泉を呼んだということは、晟藍国に関わる話に違いない。となれば、季白や張宇、安理もともに聞いておいた方がよかろう。となると、お前につけられる護衛がおらぬのだ。玲泉も同席するが、そこはわたしは目を光らせておくので心配はいらぬ。それとも、隣室に控える初華の侍女達に預けたほうが、お前の負担にならぬか?」
「いいえ!」
尊敬する主を見上げ、明珠はふるふると首を横に振る。
「龍翔様がお許しくださるのでしたら、私も同席させてください! その、私じゃなんのお役にも立てないのはわかっていますけれど……っ。届いたのは、藍圭陛下からのお手紙なのでしょう?」
まだ見ぬ八歳の幼い国王からの突然の手紙。
明珠には内容など想像つかないが、きっとよい知らせではあるまい。
自分に何の力もないとわかっていても、それでも中身を知らされず、
「そうだな。お前もわたしの大切な従者の一人なのだ。聞く権利は無論ある。それに、わたしもお前が目の届くところにいたほうが安心だ。わたしの隣に座るとよい」
「あっ、いえ。私なんかが上座に座るわけには……」
遠慮すると、険しい顔でかぶりを振られた。
「ならん! 玲泉がいるというのに、お前をわたしのそばから離しておけるか」
「す、すみません……」
二人のやりとりを黙って聞いていた季白が、きびきびと口を開く。
「では、わたくしはこれから玲泉様にもお声をかけてからともに初華姫様の船室へ参りますので、龍翔様と明珠は先に向かってくださいませ」
龍翔に恭しく一礼した季白が、くわっと明珠を振り返る。
「いいですか、明順! 龍翔様が許可されたので今回は同席を許しますが、絶対に余計な口出しはしないように! 置物にでもなった気でぴったり口を閉じてなさいっ! わかりましたかっ!?」
「はっ、はいぃっ!」
刃のように鋭い視線で睨みつけられ、明珠はぴしりと背筋を伸ばして返事した。
◇ ◇ ◇
「お兄様、玲泉様。急にお呼びだてして申し訳ありません。ですが、わたくし一人で留めてよい内容とは思えなかったものですから、相談させていただきたくて……」
明珠と龍翔が初華の船室へ行くと、すぐに奥へと通された。待つほどもなく、季白を伴った玲泉もやってくる。
広い卓に張宇や安理も含めた全員がついたところで、初華がまず、龍翔と玲泉に詫びた。
「何を言う。お前に頼られて不快に思うわけがなかろう?」
龍翔が安心させるように初華に微笑みかければ、玲泉も、
「殿下のおっしゃる通りでございます。わたし達は初華姫様の差し添え人なのですから、何なりと遠慮なくご相談ください」
と、見る者の心をとろかすような笑みを浮かべる。
さすがに場をわきまえているのか、玲泉は入ってきた時に、龍翔の隣に座る明珠に一度、微笑みかけただけで、あとは季白と張宇に挟まれて神妙な顔つきで座している。
「それで、藍圭陛下からの文というのは? 初華、おぬし藍圭陛下と、文のやりとりをしておったのか?」
龍翔の問いに、初華は「いえ……」とかぶりを振る。
「藍圭陛下からお文をいただいたのは初めてですわ。龍華国へ来られた際に、三本だけ、わたくし自身で《渡風蟲》を封じた巻物をお渡ししたのです。もし、何事か起こって、わたくしに文を送られたい時には、これをお使いくださいませ、と。……お使いになられる事態が起こらなければよいと、願っていたのですけれども……」
哀しげに告げながら、初華が一枚の紙片を龍翔に差し出す。驚くほどの長距離を飛べるものの、《渡風蟲》はさほど大きな蟲ではない。必然的に、運べる紙は薄くて小さなものに限られる。
紙片に素早く目を通した龍翔の秀麗な面輪が強張った。
「殿下。藍圭陛下は何と?」
玲泉が問う。手の内にすっぽりと収まるほどの紙片に視線を落としたまま、龍翔が固い声で告げた。
「
「汜涵……!? では、明日にでも着くではありませんか!」
季白が驚いた声を上げる。
晟藍国の王都の名が晟都だというのは、季白の特製教本で読んだ記憶がある。確か、汜涵は晟都よりも龍華国に近い町の名だったはずだ。
「もともとの予定では、初華姫様は晟都で藍圭陛下にお出迎えいただき、準備が整い次第、婚礼の儀を行う予定でございましたね?」
季白が険しい顔つきで口を開く。
「本来ならば、王都で花嫁を迎えるべき国王が、王都を離れるなど……。龍華国に敬意を表して、自ら初華姫様を出迎えに来た、という言い訳も立たぬわけではないでしょうが……」
「晟都におれぬ理由ができたか、それとも追いやられたか……。いずれにせよ、藍圭陛下は苦境に立たされておいでのようだ」
玲泉が端麗な面輪を苦くしかめて、季白の後を引き取る。
「初華姫様。手紙には、藍圭陛下が晟都を出られた理由は書かれていないのですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます