56 自分だけが知る反応を、もっと引き出してみたくなる その2


 頬を包む手が本来の大きなものに戻る。見上げていた明珠が、今は腕の中にすっぽりおさめられるほどに小さい。


 もう片方の腕を背に回し、抱き寄せると明珠の身体がぴくりと震えた。

 反射的に龍翔を押し返そうとした明珠の指先が、はだけた素肌にふれた途端、恥ずかしそうに握りしめられる。


 羞恥に戸惑う仕草のひとつひとつがたまらなく愛らしくて、自分だけが知る反応をもっと引き出してみたくなる。


 頬にふれていた手をそっと動かし、優しく耳朶じだに指先をすべらせると、「んぅ」とくぐもった声がこぼれ出る。


 強くなる蜜の香気に、くらりと理性が酩酊めいていする。


 かぶりを振って逃げようとする明珠の儚い抵抗を、頭の後ろに手を回して封じ込める。ほどかれたままの髪に指を差し入れると、さざなみが走ったように明珠の背がかすかに揺れた。


「んぁっ」


 息が限界になったのか、明珠が引き結んでいた唇を薄く開ける。真珠のような歯の間に舌を差し込みたい衝動を、龍翔はかろうじて自制した。


 代わりに、一欠片の呼気も逃さぬとばかりに、ふたたび深くくちづける。


「んぅっ!?」

 くぐもった悲鳴を上げた明珠が、思わずといった様子で龍翔の胸板を押し返そうとする。


 細い指先が素肌の上をすべるだけで、背中にぞくりと甘い稲妻が走り、明珠の背中に回した腕に、思わず力がこもる。


 指先が、明珠の夜着の細い帯にふれる。今すぐ帯をほどいてしまいたい誘惑を、龍翔は理性を振り絞って押し込めた。


 ゆっくりと唇を離すと、限界だといわんばかりに荒い息をついた明珠の身体がふらりと傾いだ。よろめいた明珠をあわてて支える。


「明珠!?」

 我を忘れてしまいそうになった負い目に、狼狽うろたえた声が出る。


 胸元を合わせを両手でぎゅっと握りしめ、明珠が真っ赤な顔で龍翔を見上げる。泣きそうに潤んだ瞳に、剣で貫かれたようにずきりと胸が痛む。


「すま――」

 龍翔が謝るより早く。


「ね、寝こけた私が悪いのだとわかっていますけど……っ。息ができなくては倒れてしまいますっ!」


 熟れたすもものように頬を染め、うううっ、と龍翔を睨み上げる姿は、必死に威嚇いかくする子犬のようで、そんな場合ではないのに、つい笑みがこぼれてしまう。


「笑い事ではありませんっ!」

 明珠が大きな目を吊り上げるが、怖さは皆無で、愛らしさしかない。


「すまぬ。お前を窒息させる気はなかったのだが……」

 謝りつつも、一度緩んだ口は、なかなか元に戻らない。


「おまえの《気》に、つい我を忘れそうになってしまったのだ。すまなかった。……許してくれぬか?」


 首をかしげて問うと、途端に明珠の眉がへにょ、と下がった。


「そうですよね。すみません。元はと言えば、私が《気》をお渡しせずにうっかり寝てしまったせいですのに……」


「そんな顔をしてくれるな。先ほどのは、わたしが悪かった」


 しょげる明珠の頭をあやすようによしよしと撫でる。


 本当は早く《気》が欲しかったからではなく、明珠とのくちづけが甘すぎて、思わずむさぼってしまっただけなのだが……。


 そんなことを、口に出して言えるはずもなく。


「次からは気をつけよう」

 己に言い聞かせるように、きっぱりと告げる。


 理性をしっかり保たねば、くちづけのたびにこうも惑わされていては、そのうち取り返しのつかない過ちを犯してしまいそうだ。


 今ですら、許されるならばもう一度、甘い唇を味わいたいと願っているのに。


「さあ、わたしは隣室へ行くゆえ、お前も着替えるといい」


 促すと、両手で着物の合わせを握りしめたままの明珠がこっくりと頷いた。

 先ほどの火照りがまだ残っているのか、それとも夜着が乱れていたのを思い出したのか、愛らしい面輪はうっすらと紅い。


 今、季白が安理に踏み込まれたら、確実にあらぬ疑いをかけられそうだ。


 明珠がぱたぱたと衝立の向こうへ去っていく。少年姿から青年へと戻った拍子にはだけた己の夜着を直しながら、龍翔も着替えを持って隣室へ移動した。


  ◇ ◇ ◇


「あのー、龍翔サマ? こちらにいらっしゃいます? 失礼しても大丈夫っスか~? そろそろ、季白サンが龍翔サマを案じるあまり、とち狂いそうになってるんスけど……」


 季白達従者用の船室の扉が遠慮がちに叩かれたのは、龍翔が一人で着替えを終えた頃だった。


 最初、船室へ入った時は、誰一人戻っていないことに驚いたが、ごちゃごちゃと飾り立てた礼装を着るわけでもあるまいし、着替えなど一人でできる。


 三人のうち、誰一人として船室に戻っていないのは、龍翔が初華の警護を命じたためだと思いたいが……。と吐息したところで扉の向こうから聞こえてきた安理の声に、龍翔は思わず嘆息したくなった。


「入ってもよいぞ。言っておくが――」


 龍翔の声を遮るかのように、ばたん! と扉が開け放たれる。


「龍翔様っ! お身体のお加減はいかがでございますか!? 何かご不調などは!? 禁呪はいかがなりましたっ!?」


 安理を押しのけ、真っ先に部屋に飛び込んできた季白が、龍翔へ駆け寄ってくる。龍翔が主でなければ、両肩を掴んで問いたださんばかりの勢いだ。


 鬼気迫る表情の季白を落ち着かせようと、龍翔はできるだけ穏やかな声を出した。

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