51 不穏の影 その2
「どういうことだ?」
確信をもって告げられた言葉に、龍翔は妹を問いただす。
龍翔と視線を合わさず、遠いまなざしをしたまま、初華は静かな声で答えた。
「わたくしが嫁ぐと決まった際に、藍圭様がわたくしに詫びられたのです。「わたしはまだ年若く、何の力もありません。あなたを守ることすらできぬやもしれません。苦労をかけるとわかっていて、『花降り婚』を求めるわたくしを、どうぞお許しください」と……。その時のわたくしは、藍圭様が幼く、国王として何の実績もない身を悲観されているのだと思ったのですけれど……」
「……晟藍国の内情は、我々が考えている以上に不穏やもしれぬな」
呟く声が意図せず固く、低くなる。
季白が険しい顔つきで頷いた。
「こうなってまいりますと、藍圭陛下ご自身の身すら、危ういやもしれませんね」
「ら、藍圭陛下の身が危ないって……っ!? どういうことですか!?」
思わずといった様子で明珠が身を乗り出す。
季白の声は、研いだ刃のように鋭く、容赦なかった。
「前国王と王妃が暗殺された可能性があるのなら、すぐにわかることでしょう? 国王を
「藍圭陛下をも亡き者にして、自らが王になろうと企んでいるか、だ」
季白の言葉を引き取った龍翔は、安理に視線を向ける。
「で、安理。お前のことだ。その点についても調べはついているのだろう? 羽を伸ばす余裕があったようだしな?」
「やっだな~、龍翔サマ。お茶目な冗談を真に受けないでくださいっスよぅ」
おどけた口調で答えた安理が、
「もちろん、その点についても調べられる範囲で調べてきてるっスよ~♪」
と気安く応じる。
「フツー、国王夫妻が急死して、幼い王子が即位したとなれば、治安が乱れてもおかしくないじゃないっスか。下手したら、次の王の座を巡って、諸侯の反乱が起こったり、王族同士で骨肉の争いがあったり。けど、晟藍国と取引のある商人や船乗りたちをあたっても、治安が大きく乱れている様子はなかったんスよね。とゆーか、藍圭サマってゆー、正統な国王がいるにも関わらず、自分が王のように振舞って強権を振りかざしてる人物が浮かび上がったんスけど……」
「誰だそれは? もったいぶらずにさっさと答えろ」
龍翔は今まで、藍圭が『花降り婚』を求めてきたのは、後見人の支持ゆえかと考えていた。
突然の両親の死によって、
背後にしっかりした後見がついていたとしても、本人が幼すぎる。貴族たちに侮られる事態も多かろう。
そうした貴族達を抑え込むために、龍華国の後ろ盾を求めたのだろうと。
安易に他国の姫を
だが、子を生さぬことを婚姻の条件である『花降り婚』は別だ。
嫁いだ姫は正妃として遇され、龍華国の後ろ盾を受けることになるが、あくまでも影響は一代限りだ。
藍圭の後見人に娘がいるのなら、ゆくゆくは成長した藍圭に娘を側妃として嫁がせて男子産ませ、次期国王の父として権勢を振るえばよい。
『花降り婚』を求めた裏には、そういった目論見が隠されているのではないかと推測していたのだが。
眉間にしわを寄せ考えに沈んでいると、不機嫌そうな主の顔を見て、安理が「きしし」とからかい混じりの笑みをこぼす。
「も~っ、龍翔サマったらやけに気が立ってません? 先に報告をとおっしゃったのは、龍翔サマご自身じゃないっスか~。オレだって、明順チャンとの時間を邪魔する気はなかったんスよ? 明順チャンとは後でいくらで――」
「くだらぬことばかり言う舌なら不要だな? 引き抜くか」
「ぎゃ――っ! ひどい! 横暴! オレの美声が聞けなくなったら、嘆く美女がどれだけいると思ってるんスか!?」
安理が芝居がかった大仰な仕草で嘆く。淡々と応じたのは季白だ。
「さすが龍翔様。それは名案でございますね。そうすれば、安理の余計な
「季白サンまで!? ひどっ! オレ泣いちゃうっスよ!?」
「……安理。本当に季白に舌を抜かれたくなかったら、早く龍翔様の質問にお答えしろ」
張宇がため息交じりに安理を促す。
「へいへ~い♪ 季白サンがホントに角を生やしたら、明順チャンが怯えて泣いちゃうっスもんね。で、国王である藍圭サマを差し置いて、まるで自分が王のように振舞っている人物っスけど……。前国王陛下の弟である
「王弟か……」
龍翔は苦い声で呟く。
古今東西、国王が幼い王子を遺して死去した場合、成人している王弟との政権争いはしばしば起こるものだ。
兄の遺児である幼い国王を支える叔父もいるだろうが、それは
しかも、瀁淀は自らが王になるために、兄夫婦を手にかけている疑いさえあるのだ。
「これは……。心しておかねばならぬようだな」
龍翔の低い呟きに、季白達の表情が引き締まる。
「安理。瀁淀が前国王夫妻を
厳しい声で安理に問うたのは季白だ。「いや~」と安理が肩をすくめる。
「今の状況的に、
「前国王夫妻を暗殺した下手人を捕えて白状させる、くらいか」
安理の言わんとしたことを察した龍翔は、ふだんの言動はともかく、能力には信を置いている隠密に問う。
「安理、どうだ? 今日、船内に侵入し、周康に怪我を負わせた賊は――前国王夫妻を手にかけた賊と、同じ輩だと思うか?」
主の問いかけに、安理は「ん~」と首をかしげる。
「オレはその場に居合わせなかったんで断言はできないっスけど……。遼淵サマの高弟である周康サンに手傷を負わせた賊なんスよね? 剣も《
「でしたら、次にわたくしが襲われた時こそ、捕らえればよいわけですわね」
「初華っ!? 何を言う!?」
安理の答えを聞くなり、とんでもないこと言い出した妹を、驚いて振り返る。だが、初華は澄ましたものだった。
「今の安理の報告を聞くに、賊の狙いは、『花降り婚』で嫁ぐわたくしで間違いございませんでしょう? 晟藍国に入る前の今、襲われたということも、黒幕が瀁淀であることを指し示していますわ。龍華国にいる間にわたくしに何かあれば、責任は龍華国の警護の不備にありますものね。晟藍国は龍華国に責任を取れと迫ることすらできましょう。今日の襲撃が失敗した以上、もう一度、わたくしを襲ってくる可能性は大いにありますわ。そこを捕えることができれば……!」
「ならん! お前を
龍翔は初華にみなまで言わせず、声を荒げる。
大切な妹を危険に晒すなど、たとえ本人が申し出たとしても、許せるわけがない。
「ですが、お兄様。落ち着いて考えてくださいませ」
激昂する龍翔に対し、語りかける初華の声音はあくまで冷静だ。
「いつ、賊が襲ってくるかわからぬ状況では、神経をすり減らしてしまいますわ。それならばいっそ、こちらから誘いをかけるのも一つの策でございましょう? それに……。頼りになるお兄様がいてくださるのは、『花降り婚』が終わるまでですもの」
初華の声が寂しげに揺れる。龍翔は小さく息を吐いて冷静さを取り戻すと、大切な妹に優しく微笑みかけた。
「安心せよ。不安が残る状況で、お前をひとり晟藍国に残して帰るなど、わたしがするわけがなかろう? わたしが龍華国へ帰るのは、お前が晟藍国で幸せに暮らしてゆけると確信できるようになってからだ。お前が不安に怯えているのに、残して帰るようなことは、決してせぬ」
「ですが……」
初華の形良い眉が、心配そうにきゅっと寄った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます