50 黒い烏も真っ白に変えてみせます!


「あ、やっぱバレてました? いや~、お邪魔する気はなかったんスけどね? お望みでしたら、今からでも、一刻ほど隣室を引き払いますケド……」


 顔を覗かせた安理に、「馬鹿を申すな」と眉を寄せる。


戯言たわごとを吐く暇があったら、淡閲の街で手に入れた情報を報告しろ。もう、全員そろっているのだろう?」


「もっちろんス♪ もう全員そわそわしながら待機してるっスよ~♪」


 安理の返事に嘆息したくなる。気持ちはわからなくはないが、そわそわされたところで、何も起こらぬというのに。


「あ、さっき夕食も届いたんスよ。せっかくなんで、こちらに運んでよろしいっスか?」


 言われて、そういえばとうに夕食の時間を過ぎているのだと気づく。いつもなら、夕暮れくらいには食べているのだが、今はもうとっぷりと日も暮れ、窓の外には闇が沈んでいる。


 と、そばでくぅ、と可愛らしい音がした。

 振り返れば、明珠が真っ赤に頬を染めて、両手でおなかを押さえている。


「す、すみませんっ。私なんておやつにお菓子までいただいているのに……っ」


 愛らしい面輪を情けなさそうに歪めて詫びる明珠に、「気にするな」と優しく笑いかける。


「いつもよりかなり夕食が遅れているのだ。腹が空いても仕方がなかろう。安理、報告は食べながら聞こう」


「了解っス~♪ じゃ、腹ペコ明順チャンのためにも料理を運んでくるっスね♪」

「あっ、私にも手伝わせてください!」


 背を向けた安理を、明珠がぱたぱたと追いかける。その姿が扉の向こうへ消えたかと思うと。


「ひっ!?」


 明珠の押し殺した悲鳴が聞こえて、龍翔はあわてて後を追った。


 内扉をくぐってすぐのところで、明珠が唇をわななかせ震えている。

 怯えを露わにした視線が見つめる先は。


「……季白。そう険しい顔で明順を睨んでやるな。ひどく怯えているではないか」


 明珠をくびり殺さんばかりに、鬼の形相で睨みつける季白に、龍翔は嘆息混じりに声をかけた。


 おそらく、明珠の姿を見た瞬間、怒りが再燃したのだろうが、何も射抜かんばかりの鋭さで睨みつけることもあるまいと思う。


 賊に襲われたのも、玲泉に庇われたのも、決して明珠のとがではないのだから。


「き、季白さん……っ! 申し訳ありませんっ!」


 震えていた明珠が、突然、がばりと土下座する。龍翔が止める間すらなかった。


「明順っ!?」

 床に額をこすりつけんばかりの明珠の腕を掴み、あわてて引き起こす。


「で、ですが……っ!」


 抵抗する明珠の身体に腕を回し、無理やり横抱きにする。


「ひゃあっ!?」

 明珠がすっとんきょうな声を上げて身をよじるが、かまわず龍翔は季白を見据えた。


「玲泉に、明順が娘であると知られてしまったのは、今後のことを考えると頭が痛いが、明順に咎はない。何より、明順はもうすでに、十分にわたしに詫びておる。これ以上、叱責することは、わたしが許さぬぞ」


 龍翔の言葉に、季白が今にも両のこめかみから角を生やしそうな形相になる。


 腕の中の明珠が怯えるように身を固くした。龍翔は安心させるように腕に力を込め、明珠を胸に抱き寄せる。


 空気が紫電をはらんだかのように緊張に張り詰める。

 とりなすように口を開いたのは張宇だ。


「季白、その……。完璧主義なお前の基準からすれば、まだまだかもしれないが、明順は明順なりによく頑張ったと思うぞ? 周康殿がいたとはいえ、賊に襲われて気丈に立ち向かうなど……。ふつうの娘にできることではないだろう。その、確かに玲泉様に知られたのは大きな痛手だが、もしかしたら明順が大怪我を負っていたかもしれないと考えれば、まずは無事だったことを喜ぶべきだろう?」


「そうよ、季白。明順を怒らないであげて。明順はわたくしの代わりに襲われたようなものなのよ? 玲泉様のことなら、今後は常にわたくしと一緒にいればよいわ。そうしたら、さしもの玲泉様とて、そうそう近づけはしないでしょう?」


 張宇に続いて初華までもが季白をなだめる。


 二人の言葉に、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる音が聞こえそうなほど険しい顔をしていた季白の口元が、ようやくわずかに緩んだ。

 強張った顔の筋肉をほぐすかのように、ゆるゆると息を吐く。


「初華姫様、明順などにお優しいお言葉をありがとうございます。今後もご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞ、龍翔様のためと思い、明順を玲泉様の魔の手から守ってやってくださいませ」


 初華に深々と頭を下げた季白が、次いで張宇に向き直る。


「わたしとて、わかっているのです。今さら、玲泉様にバレてしまったことをくよくよ思い悩んでも仕方がないとは。わたし自身、玲泉様の従者に足止めされて出遅れましたからね。このような事態を招くとわかっていれば、あの時、ためらわずに殴り飛ばしていたものを……っ!」


 季白が白く骨が浮き出るほど拳を固く握りしめる。


「ええ、理屈ではわかっているのです。明順一人の咎でないことは。ですが、ですが……っ!」


 血を吐くように、季白が苦しげに呻く。


「今、目の前に突きつけられてなお、己の目が見ているものを現実として受け入れたくないのですよ……っ! ああっ、いっそのこと、目玉をほじくり出して、何も見なかったことにしたい……っ! これが現実とは、世は何と無情なのか……っ!」


 身も世もなく嘆く季白を見ていると、だんだん心配になってくる。


 ここまで苦悩している季白は、長年、苦楽をともにしている龍翔でさえ、見た記憶がない。

 明珠を大切に想うあまり、きつく言い過ぎてしまっただろうか。


 季白の狂態に怯えているのか、身を固くする明珠を抱き上げたまま、龍翔は穏やかに季白に語りかける。


「季白、お前にはいつも苦労をかけてすまぬ。だが、お前につい無理を言ってしまうのも、信頼しているゆえなのだ。頼む。これからもわたしを支えてくれぬか?」


 告げた瞬間、季白の身体が雷に撃たれたかのように大きく震える。


 一瞬、龍翔は季白が立ったまま気絶するのではないかと、本気で心配した。


 が、ふらりとよろめいた季白は、一歩足を出して踏みとどまると、今にも泣きそうに表情を歪めた。


「な、なんともったいないお言葉……っ! 龍翔様に頼むと言われてわたくしが断るなど、天地がひっくり返ってもありえませんっ! わたくしのすべては、龍翔様の御為に! 龍翔様がお望みだとおっしゃるのでしたら、この季白、黒い烏も真っ白に変えてみせます! たとえ泥団子を供されようとも、皿まで食らってみせましょうとも!」


 季白が悲壮な決意をにじませて告げる。


 いつも冷静な季白が、ここまでの覚悟を見せるとは……。やはり、本気になった玲泉は、それだけ警戒せねばならぬ相手ということか。


 龍翔が改めて気を引き締めていると、安理がこらえきれぬとばかりに、「ぶっひゃっひゃっひっゃ……!」と吹き出した。


「ダメだっ! 腹がいてえ……っ! 両方とも超マジメなのに、絶妙にズレてるっスよ……!」


 ひーひーと腹を抱えて笑っていた安理が、笑い過ぎて目尻に浮かんでいた涙をぬぐい、「で?」と首をかしげる。


「オレはいつ報告すればいーんスかね?」

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