44 言葉が雷と化して己を撃つ その2


「馬鹿も休み休み言え!」


 気がついた時には、握りしめた拳を思い切り卓に叩きつけていた。


「ふざけるなっ! そのようなこと許せるわけが――っ」

「冗談などではございません。わたしは、本気でございます」


 激昂する龍翔とは対照的に、小憎らしいほど泰然と、玲泉が反論する。


「明順は、家族を除けばわたしがふれても平気なただ一人の女人。彼女を逃せば、次に見つかる保証はどこにもありません。であるならば、何としても明順を得たいと願うのは、当然のことでございましょう」


「で、ですが……」


 驚愕のあまり、息を飲んで凍りついていた初華が、体勢を立て直そうとするかのように、声を上げる。


「明順は市井しせいの出ですわ。こう大臣や奥方様が、簡単に首を縦に振られるとは……っ」


 初華の反論など、予想していたと言わんばかりに、玲泉が悠然と頷いた。


「わたしが認めさせますよ。明順の身分など、関係ございません。そもそも、何とかしてわたしに妻を娶らせようと、何百人もの娘を試させた両親ですよ? ただ一人としてかなう娘がおらず、孫を諦めざるをえなかった時の落胆ぶりは、見ていて憐れなほどでございました。その両親が、わたしがふれることができる娘がいると知れば、歓迎せぬはずがございません。認めないどころか、むしろ、諸手もろてを挙げて輿入こしいれの準備を進めますよ」


「その物言いでは、まるで明順は子をすための道具ではないか!」


 胸をく怒りのままに、龍翔は握りしめた拳をふたたび卓へ叩きつける。

 重く鈍い音が響き、部屋の空気がおののくように揺れた。


 龍翔とて皇族だ。貴族の婚姻に当人達の意思など無関係――むしろ、家同士の結びつきを強め、権力を求める貴族の結婚では、花婿はなむこも花嫁も単なる駒に過ぎず、当人の感情など歯牙にもかけられないと、理解している。


 しかし、理解しているのと受け入れられるかどうかは、まったくの別物だ。


 何より、穏やかな市井でつつましやかに暮らしてきた明順を、権力争いの道具に使うなど、言語道断だ。


 隠そうという気すら湧かず、露わに放つ龍翔の怒気に、紫電を纏ったかのように、空気が緊張をはらむ。


 だが、玲泉は刃では断ち切れぬ薫風のように、華やかに微笑んでみせた。


「とんでもないことでございます。龍翔殿下は誤解をしていらっしゃる。わたしが明順を欲するのは、もちろん、明順がわたしがふれることができる娘だからですが、それだけではございません。わたし自身も、明順を非常に気に入っているからです」


戯言ざれごとを申すな! おぬしと明順はろくに言葉を交わしたこともないではないか!」


 飄々ひょうひょうとした玲泉の面輪を、今すぐ殴りつけてやりたい衝動に駆られる。

 玲泉が端正な面輪にあでやかな笑みを浮かべた。


「人を好ましいと思うのに、時間の有無はさほど重要ではございませんでしょう? 龍翔殿下がおっしゃる通り、確かに明順と言葉を交わした機会はわずかですが、その短い時間でも、明順が天真爛漫てんしんらんまんで愛らしいことは、十分に知れました。ならば、明順を求めぬ理由がどこにありましょう?」


 それに、と玲泉がからかうような笑みを閃かせる。


「共にいた時間だけが情愛を深めるというのでしたら、恐れながら初華姫様はどうなるのです? 初華姫様と藍圭らんけい様が逢われたのは、一刻にも満たぬ短い間ではございませんか。それでも初華姫様は、藍圭様をお慕いされてらっしゃるのでしょう?」


「わたくしは確かに藍圭様をお慕い申しあげておりますわ! ですが、わたくしとあなたでは、そもそも前提条件が違うではありませんか! 藍圭様が『花降り婚』を求めて龍華国へいらっしゃるとわかった時から、わたくしは藍圭様が未来の夫となられる方だとわかっておりましたもの!」


 龍翔が反論するより早く、初華が愛らしい面輪を険しくしかめ、玲泉を睨みつける。


「胸に手を当てて、今までの己の行状を振り返ってみられたらいかがです? 浮名ばかり流しているあなたが急に明順を求めたとて、素直に信じられるわけがないでしょう!?」


「おやおや、これは手厳しい」


 初華の糾弾に、王城一の遊び人の名をほしいままにする玲泉が、困ったように苦笑する。


「残念ながら、過去を変えることはできませぬ。が、ようやく伴侶にしたい女人と出逢えたのです。初華姫様がわたしを信じられぬとおっしゃるのなら、今後は身を慎み、明順にみさおを立てましょう。初華姫様の信用を得るために必要でしたら、いま連れてきている従者達を、淡閲に置いていってもかまいませんよ」


 さらりと玲泉がとんでもないことを言う。が、頷けるわけがない。

 差し添え人である玲泉に供の一人もいない状態にするわけにはいかぬし、ここで身元の知れぬ者を船内に入れる危険は冒せない。


 龍翔と初華の反応を確かめるような玲泉の表情からは、どこまで本気で提案しているのか読めなかった。


 初華が形良い眉をきゅっと寄せる。


「生半可なことでわたくしの心が変わると思わないでいただける? わたしく、大切な友人がみずみず不幸になるのを、手をこまねいて傍観する気はありませんの」


「不幸になどさせませんよ。むしろ、他の名家に嫁ぐより、よほど良いとおもいますがね」


 ちらり、と玲泉が龍翔に思わせぶりな視線を送る。


「平民が貴族に嫁ぐとなれば、いいところ愛妾どまりでございましょう? 妾が多ければ多いほど、妻達の争いも苛烈になると聞き及んでおります。が、ことわたしに関しては、左様なことは起りえません。そもそも、妾を持つこともできぬ身ですから。わたしに嫁げば、正妻として遇しますよ」


 玲泉の宣言に、龍翔も初華も思わず息を飲む。


 名家であるこう家の正妻の座を用意するなど――。どうやら、玲泉は本気で明珠に求婚するらしい。

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