38 不出来な従者でお許しください! その2


「り、龍翔様っ!? おやめください!」


 あわてて押し留めようとするが、龍翔の面輪は上がらない。


「龍翔様が謝られることなど、何一つございません! むしろ謝罪しなければならないのは私のほうです! 私があんな……っ」


 言っているうちに先ほどの哀しみが甦り、胸がきゅぅっ、と痛くなる。龍翔の姿がにじみ、こらえなくてはと、明珠は自由な左手で服の上から守り袋をぎゅっと握りしめた。と。


 龍翔がつないだままの手をぐいっと引く。たたらを踏んだ身体が、顔を上げた龍翔に抱きとめられる。


「違う。わたしのとがだ」


 間近で聞こえる龍翔の声は、ひどく苦い。


「わたしが、もっと早くに晟藍国の事情を話しておれば、これほどお前を哀しませずに済んだものを……」


「そんなこと……!」 


 抗弁しようと龍翔を見上げた途端、秀麗な面輪が近づいてきて、反射的に目を閉じる。

 柔らかく、あたたかな唇がまなじりに押し当てられる。


「ひゃっ!? あの……!?」


 明珠の戸惑いをよそに、龍翔の唇が頬をたどり、涙を吸い取ってゆく。


「り、龍翔様……!」

 明珠は必死に龍翔を押し返すが、身体に回された手は緩まない。


 恥ずかしさに全身が沸騰ふっとうする。

 熱を持っているのが自分の頬か龍翔の唇か、それすらもわからない。濡れた頬をあたたかな呼気が撫でるだけで、身体にさざなみが走る。

 龍翔の唇に身体だけでなく思考までけそうになってゆく。


 が、この熱に惑わされるわけにはいかない。ようやく龍翔の唇が離れた瞬間、明珠はがばりと頭を下げた。


「申し訳ありませんでした! 私が泣いたりしたせいで、お茶会を中座することに……!」


 情けなくて、胸が哀しみとは別の痛みにきゅぅっ、と縮む。


 龍翔が柔らかに微笑む気配を感じた。かと思うと、頬に手を添えられ、そっと顔を上げさせられる。


「謝るな。泣いたことを責めるなど、決してせぬ。お前の優しい心根は、得難えがたいものだ」


 愛おしげに明珠を見つめていた黒曜石の瞳に、苦みが混じる。


「それよりも、わたしの不甲斐なさを責めてくれ。お前が哀しむかと思うと、事情を告げられず、結果、さらにお前を哀しませる羽目になったわたしを……」


「そんなこと! 龍翔様を責めるなんて、ありえません!」

 ぶんぶんとかぶりを振り、黒曜石の瞳を真っ直ぐに見上げる。


「龍翔様が判断を誤られるなんて、ありませんでしょう? 私にお教えいただけなかったのは、きっと私が知る必要はないことだと思われたから、で……」


 自分が発した言葉が自分自身の胸を突き刺す。また新たな涙がにじみそうになって明珠はあわててうつむいた。


 脳裏によみがえるのは、先ほどの玲泉の爆笑と、少年従者達の軽蔑のまなざし。

 季白や張宇はもちろん、初華の侍女達や玲泉の少年従者達だって、皆、立派だというのに。


 明珠だけが、不甲斐ない。玲泉に大笑いされるほど。


「どうしたのだ?」


 龍翔が柔らかな笑みを浮かべて、明珠の顔をのぞきこむ。

 視線から逃れるように、明珠はさらに深くうつむく。


 なんだか今日は変だ。さっき、人前で大泣きしたせいで、涙の栓が壊れてしまったのだろうか。止まったと思った涙が、またあふれてくる。


 龍翔が困ったように吐息する気配がした。龍翔の指先が、濡れた頬に伸びてくる。


「そんな哀しそうな顔をしないでくれ。お前の憂い顔を見るだけで、心が千々に乱れてしまう。どうすれば、わたしはお前の憂いを晴らすことができる?」


 優しく涙をぬぐおうとする手から逃げるように、明珠はふるりとかぶりを振った。


「違いますっ。龍翔様のせいじゃないんです。玲泉様に――」


 玲泉の名を紡いだ瞬間、龍翔の手がびくりと震えた。大きな手が明珠の両頬を包み、ぐい、と上を向かせる。


「玲泉が、何だ?」


 抑えきれぬ怒気をまとう、低い声。

 炯々けいけいと光る黒曜石の瞳に身体が震え、せきを切ったように、新たな涙があふれ出す。


「すみませんっ、龍翔様の従者という身分なのに、玲泉様に笑われてしまうなんて……。私のせいで、龍翔様の外聞まで悪くなってしまったのでは……っ?」


 告げる声が、どうしようもなく震える。


 敬愛する主に呆れられたかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうになる。

 こらえきれようとしても堪えきれない涙があふれる。喉が痛い。嗚咽おえつのせいで、うまく言葉が出てこない。


「も、申しわ、け――、っ!?」


 柔らかく、あたたかなものが、謝罪を紡いでいた唇をふさぎ、言葉を途中で断ち切る。


 後頭部に回して明珠を引き寄せた龍翔の手が、髪の間に指をき入れる。

 指先の心地よさに変な声が洩れそうになって、明珠はあわててぎゅっと目を閉じた。


 驚きにくずおれそうになった身体を、もう一方の腕に強く抱き寄せられる。


 何が起こったのか、理解できない。

 問い返そうにも、口をふさがれていて不可能だ。急に《気》が足りなくなったのだろうか。


 どれほど長くくちづけていただろう。もしかしたら、ほんの短い間だったかもしれない。


 ゆっくりと、龍翔の唇が離れる。かと思うと。


「ひゃあっ!?」


 突然、横抱きに抱きあげられて、明珠はすっとんきょうな声を上げた。

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