33 ちゃあんと説明してくださいますわよね? その3


「……わたし?」


 龍翔が戸惑った声音で首をかしげる。


「そうですわ。お兄様とさほど親交のない玲泉様ですら興味を持たれるのですもの。妹であるわたくしが、気づかぬはずがございませんでしょう?」


 頷いた初華が、虚を突かれたような龍翔の表情を見て、目を円くする。


「……もしかしてお兄様。ご自分で気づいてらっしゃいませんの?」


「すまん、初華……。お前が何を言いたいのか、よくわからぬのだが……」


 珍しく戸惑った声をこぼした龍翔に、安理が「ぶぷ――!」と吹き出す。初華があきれたように吐息した。


「本当に、気づいてらっしゃいませんの? 明順だけ特別扱いしているのが、お兄様を知る者からすれば、一目瞭然ですわよ?」


「初華姫様のおっしゃる通りです! 龍翔様は何かと明順に甘すぎます!」


 季白が我が意を得たりとばかりに大きく頷く。季白の射貫くような視線が突き刺さって、明珠はひいぃっ、と震えあがった。


「特別扱いと言われても……」

 龍翔が困ったように眉を寄せる。


「季白や張宇、安理のように、古くから仕え、気心が知れた仲ではないのだ。扱いに差が出ても仕方があるまい?」


「でも、最近、仕え始めた周康サンとも扱いが違うっスよね~?」

 にやにやと笑いながら、安理が席を外している周康を引き合いに出す。


「お前達ともだが、周康と明順では年が違うだろう? それに、遼淵りょうえんの高弟である周康は、宮中の作法にも慣れている。放っておいても問題など起こさぬだろうが、明順はそうはいかぬだろう?」


 龍翔の困ったような声音に、自分の至らなさを指摘されている気がして、明珠は肩を落として身を縮める。


「えーっ、でも、さっきの茶会の時、玲泉サマの少年従者達にはすっごく冷ややかだったじゃないっスか~。あの子達なら、明順チャンと同じ年か、ちょっと下くらいでしょ?」


 先ほどの茶会で龍翔の供を務めていた安理が問いを重ねる。

 早々に退席した明珠は、その後どんなやりとりがあったのかまったく知らないが、龍翔が従者を冷たくあしらっている姿はあまり想像できない。


 安理の問いに、龍翔の眉間のしわが深くなる。


「あの者らは、玲泉の従者で、わたしの従者ではないだろう。そもそも、こちらに取り入ることしか考えていないやからに優しくする必要がどこにある?」


「だってさ。明順チャンも龍翔様に取り入ろうとしてみたら? もしかしたら対応が変わるかもよ?」


「えええええっ!?」


 突然の無茶ぶりにすっとんきょうな声をあげる。急にそんなことを言われても、清廉せいれんで高潔な龍翔に取り入るなんて、どうすればいいのかまったくわからない。


 困り果てて、思わず隣に座る龍翔に視線を向けると、龍翔も明珠をじっと見つめていた。

 まるで心の奥底まで見通すようなまなざしに、緊張に身体が固くなる。


 と、龍翔が諦めたように深く吐息した。


「……初華、お前の忠告はわかった……。だが、わたしには明順は愛らしい少女にしか見えぬのだ。男達と同じ扱いをしがたいのも仕方なかろう。梅宇達をのぞけば、今まで侍女がいた試しがなかったのだから。わたしも加減がわからぬのだ」


「……」


「……初華?」


 龍翔の言葉を聞くうちに、どんどん渋面になった初華に、龍翔が首をかしげる。

 初華は愛らしい顔をしかめたまま、兄の声には答えず、安理を見やった。


「安理、あなたこれ……」


「いや~っ、オモシロイっスよね~っ♪ オレもう、最近、龍翔サマにお仕えするのが楽しくって仕方ないんスよ~っ♪ あ、初華姫サマとオレとで結成します? 見守り隊」


 きしし、と笑いながら、安理が謎の言葉を口にする。


 初華がもう一度吐息して、頭痛がすると言わんばかりに、たおやかな手で額を押さえた。


「ええ、ぜひ入らせていただくわ……」


「おい、安理。初華を妙なことに巻き込んだり――」

「大丈夫ですわ、お兄様」


 安理に忠告しようとした龍翔を、初華が笑顔で押し留める。


「それよりも、明順のことですけれども」

 初華の言葉に、戸惑いを顔に浮かべていた皆の視線が、ふたたび初華に集中する。


「正体を隠すのでしたら、やはり明順の姿はできるだけ人目にさらさぬほうがよいでしょうね。お兄様の供としてつけるのでしたら、これまで通り、季白達や新たに加わった周康がよいのではないでしょうか」


 吐息して同意したのは季白だ。


「初華姫様がおっしゃる通り、人目にふれさせぬのが一番安全でしょうね。もともと、明順は従者として使うために雇ったわけではありませんし」


「で、でも……。ろくな働きをしていないのに、お給金をいただくなんて申し訳……ひっ!」


 ぎんっ、と音が聞こえそうなほど、鋭い視線で季白ににらまれ、明珠はびくりと身体を震わせる。


「季白」

 龍翔が咎めるような声を上げ、


「あら。そんな心配は無用よ、明順」

 初華がすこぶる楽しそうな声を上げる。


「玲泉様けも兼ねて、これから毎日、わたくしが訪ねるから。わたくしの侍女は古くから使えている年かさの者ばかりで、同年代や年下の者がいなくて寂しかったのよ。ふふっ、明順。いっぱいおしゃべりしましょうね」


 にっこりと花のような笑顔で告げられた内容に、龍翔が声を上げる。


「先ほど、人目を引くような真似をするなと言ったのはお前自身だろう!? 明順をお前の話し相手にしては、意味がないではないか!」


「龍翔様のおっしゃる通りでございます! 仮にも明順は「男」なのですよ! 嫁入り前の初華姫様と親しくしていては、御身によからぬ噂が……!」


 龍翔に続いて言い募る季白にも、初華は動じない。

 にこにこと微笑んだまま、龍翔を見返す。


「もちろん、明順に会いに、と告げてくるわけではありませんわ。あくまでも表向きは、「お兄様に会いに」うかがうのです。異国に嫁ぐ姫が、親しい兄と会って寂しさをまぎらわせるのをとがめる者が、どこにおりましょう? 今日のように侍女は帰らせますから、わたくしがここで実際には誰と話しているかは、ここにいる皆しか知りえませんわ。ならば、真実が明かされることは決してございませんでしょう?」


「それはそうだが……」

 苦い顔を崩さぬ龍翔に、初華がとどめとばかりに告げる。


「それに、女性であるわたくしがお兄様や明順のそばにおりましたら、この上ない玲泉様除けになるのではありませんか?」


「……わかった」

 龍翔がどこか諦めたように吐息する。


「だが、まずは明順の意思を確認してからだ。明順はお前の従者ではないのだ。明順が嫌だと申したら諦めよ」


「かしこまりました」

 なぜか、くすくすと楽しそうに喉を鳴らしながら初華が頷く。


「……で、どうだ? 明順」


「……え?」


 振り向いた龍翔に名を呼ばれ、呆気あっけにとられたまま初華とのやり取りを聞いていた頭が、ようやく動き出す。


 龍翔に問われた内容を、頭が理解した瞬間。


「えええええっっ!?」

 驚愕のあまり、すっとんきょうな悲鳴がほとばしる。


「わっ、わたわたわた……わ、私が初華姫様の話し相手ですかっ!?」


「……嫌だというのなら遠慮なく……」

 気づかわしげに告げる龍翔に、明珠はとんでもない! とぶんぶん首を横に振る。


「初華姫様に望んでいただけるなんて、こんな名誉なこと、お断りするわけがありませんっ! ですけど……っ!」


 びくびくと震えながら、明珠は龍翔と初華の美貌を交互に見やる。


「そもそも、私のような礼儀作法もなっていない庶民が、初華姫様のお話相手を務めさせていただいていいのでしょうか……? ろくなことを話せないでしょうし……、っていうか、不敬罪で罰せられませんかっ!?」


「わたしがお前を罪に問うわけがなかろう?」

「わたくしが不敬罪だなんて言わせませんわ」


 龍翔と初華が同時にきっぱりと断言する。さすが兄妹だと変なところで感心してしまうほどの息の良さだ。


「明順に異論がないのなら決まりね!」

 初華が嬉しそうに両手を合わせる。そんな姿ですら愛らしい。


「では……。明日からの楽しみもできましたし、名残惜しいけれども、今日のところはいったん戻りましょう。侍女達にろくに告げずに来てしまったから、気をもんでいることでしょうし」


 初華が残念そうに告げて席を立つ。


「供もなしに戻るわけにはいかぬだろう。誰か――」

「あ、オレがお送りするっス~」


 従者達を見まわした龍翔に、いち早く応じたのは安理だ。


「では安理、お願いするわね」

 頷いた初華が明珠を振り返り、にっこりとあでやかな笑みを浮かべる。


「では明順。明日からよろしくね。楽しみにしているわ」


「は、はい……っ!」


 微笑みかけられるだけで、天にも昇りそうな心地になる笑顔に、こくこくと頷き返し――。


 明珠はふと、不安を覚える。


 そばにいるだけでぽうっと惚けそうになる初華を前に、果たして話し相手など務められるのか、と。

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