最終話 大丈夫。私たちは大丈夫です。
——「へぇ。ここが今木くんの部屋」
井上が見回す。俺はそんな井上を後ろから抱きしめた。柔らかくて温かな感触がありありとわかる。
「今木くん?」
振り返る井上。俺はそのままベッドに井上を優しく押し倒す。
「“恋人”なんだから、こういうことだって必要だろ?」
「……仕方ないですね。“恋人”ですもんね」
そう言って井上がすっと目を閉じる。俺は——
使いおわったティッシュを丸めて、パンツを履いた。右手に持ったそれをゴミ箱に放り込み、ため息をつく。そして、真っ赤になってベッドに飛び込む。
(俺は……俺は今なにをした!?!?)
ベッドの上でゴロンゴロンとのたうちまわる。もう否定のしようがない客観的な事実として、俺は、井上を、オカズに——
「ああぁぁぁあぁあぁあっ!!!!」
ぐちゃぐちゃになった感情で背中を丸めながら叫ぶ。抱きしめたあの感触は妄想ではなかったはずだ。間近で見たあの顔も。恋する眼差しで頬を染めたあの表情も。悪戯っぽく笑う顔、俺のために泣きながら怒ってくれた顔、頭から心から井上が溢れてくる。もう一度抱きしめたい、触れ合いたい。
「ちがう!がうがうがうがうがうっ!!」
俺は獣のように叫んだ。俺は、どうかしてしまったみたいだ。
「あれ?今木くん知りません?」
昼休み、弁当を持って井上が訊ねる。クラスメイトは無言で首を振った。
「助かる」
「気にしないで。教室には居づらいよね」
そう言いながら中村連はスナックドローンで買った卵サンドを俺に手渡した。俺の好物だ。
「ありがとう。持つべきものは親友だな」
この屋上には人目はないがスナックドローンも飛んでこない。代わりに連が買ってきてくれて助かる。
停学が明けて1週間、クラスでの扱いは、連を振った直後のものに逆戻りしていた。まあ、この際それは大した問題じゃないんだけど。
「そうだ。放課後久しぶりにアーカイブ行かない?部活も、行けないんでしょ」
連の誘い文句に懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。
「アーカイブか。いいな」
「じゃあ、放課後に」
アーカイブは、正式にはテレビゲーム・アーカイブという名前の店だ。現在ゲームと呼ばれているものの先祖にあたる『テレビゲーム』というものが動態保存されている。マイナーなスポットだが1プレイ1コインという手軽さから、小学生の頃は連と一緒によく遊びにきていた。隣り合って座って、対戦ゲームにコインを入れる。開始からしばらくして、俺と連の間には大きな実力差ができていることがわかった。いや、画面上の結果からすれば勝負は拮抗しているのだけれど、連が『わざと拮抗させている』ことが感触として伝わってくる。
「翼」
1ラウンド目を俺が取ったところで連が話しかける。
「なに?」
「好きな人ができたでしょ」
「はあぁぁっ!?!?」
思わず立ち上がり連の方を見たが、自キャラが強攻撃を食らったうめき声を上げたので座り直す。
「おまっ、なんでそんなこと」
「分かるよ。だって翼、僕が見たことない顔してるんだもん」
反撃に転じるが、攻撃がことごとくブロックされる。
「というか翼、井上さんと付き合ってることになってるんだから、そこで驚いちゃダメじゃない?君、自分で思ってるより嘘つくの下手だよ」
必殺技を食らって自キャラが倒れた。最終ラウンドが始まる。
「連、もしかして最初から気付いてたのか」
「だって、僕を傷つけないためにやってくれたんだろ?恋人がいたフリなんて」
「いや、俺は」
「そうなんだよ。翼が自分で気づいてなくてもそうなんだ。自分一人のために他人を巻き込んであんな回りくどいことを翼はできないよ」
俺は精細を欠いたガチャプレイで、まぐれ当たりを期待するだけの状態になっていた。
「僕が告白したのに翼が逃げ回るなんて、ずるくない?」
連の強攻撃で自キャラが浮き、コンボが始まる。
「なんでそんなこと言うんだよ」
「好きな人が幸せになって欲しいって思うことが、そんなにおかしい?」
超必殺技が決まって、自キャラが倒れた。隣を見ると、連が俺を見つめていた。
「好きな人って」
「なに?一回振っただけで嫌われたつもりにでもなってた?ふざけるな。十何年分の僕の思いを馬鹿にするな!僕は告白して、翼は振った。それだけだ。愛してもらえないからって、愛しちゃいけないなんてルールはどこにもない!翼は今でも僕が世界で一番好きな人で、この先一生かけて、翼より好きになれる人を探すんだよ」
それは、とても強い言葉だった。
「行きな。逃げるなんて許さないよ。井上さんも、きっと待ってる」
俺はカバンを拾い上げて立ち上がった。
「ありがとう、連。お前カッコいいな。俺が女ならきっと惚れてたわ」
そう言って
連は翼の姿が見えなくなるまで笑顔で見送っていた。その後、ゲーム筐体にくずおれるように突っ伏した。
「せめて、ゲイならって言ってくれよ……叶わないじゃないか、それじゃあ……」
「どうぞ。入ってください」
感情を抑えた声で井上が俺を部屋に招き入れた。
「それで、話があるんですよね」
ベッドの上に俺を座らせながら、自分は椅子を引っ張ってきて向かい側に座って話を促す。俺は切り出した。
「偽恋契約を終わりにしよう。“別れよう”」
「どうしてですか?」
不思議なくらい感情を波立たせずに井上は尋ねた。
「もう部活に復帰の見込みがなくなったからですか?ノーマルだということがクラスのみんなにバレたからですか?たしかに当初の目的は果たせなくなりましたが、だからといって一方的に破棄するなんて、身勝手です」
井上の言葉から怒りが抑えきれなくなり、漏れ出す。それを聞いて俺は思わず呟いた。
「あ、そういう理由もあるか」
「そういう理由もって、他にどんな理由があるっていうんですか?」
井上が猫騙しを食らったような顔になる。俺は息を整えて、言った。
「俺が、井上を本当に好きになってしまったからだ」
井上は、どんな感情なのかわからない顔をしていた。
「…………それがどうしてその結論になるんですか?」
俺は気力を振り絞って続ける。
「俺は、ヘテロだって恋愛ドラマの主人公みたいに、綺麗に人を好きになることができると思ってた。あいつらが言う、『ヘテロは下半身で考える』なんて嘘だって」
身体が震える。崩れそうになる。だめだ、まだ耐えろ。
「でも、ひとを好きになってみて初めて分かった。井上を好きになったら、もっと触れ合いたい、抱きしめたい、キスして、もっと先まで——そんなことで朝も夜もずっとずっと頭がいっぱいになった。結局、あいつらが正しくて間違ってたのは俺だ。俺は、本能でしかモノが考えられないケダモノだ」
両手で額を支える。涙が溢れる。
「だから俺たちは一緒にいちゃいけない。一緒にいたら、俺はいつ自分が抑えられなくなるか分からない。そうなったら、俺は井上を傷つけることになる。だから——」
「今木くん」
井上の声に顔を上げる。井上は小さくため息をついて、言った。
「今木くん。いまあなたはふたつ致命的な見落としをしています」
「見落とし……?」
疑問符を浮かべる俺の右手首を井上が握る。
「ひとつは、私が今木くんを好きかもしれないということ」
そう言って、左手の手首も握る。
「もうひとつは……私もケダモノかもしれないということです!!」
そう言い放って井上は、両手を押さえて俺をベッドに押し倒した。
「なっ——」
疑問を口にしようとした口を井上の唇が塞ぐ。唇が離れる頃、俺の頭は真っ白になっていた。
「大好きな人にそんな風に迫られて、我慢できるわけ、ないじゃないですか」
そう言って井上は鎖骨にキスをする。それから両手を押さえている状態でどうやって服を脱がそう?と首を傾げていたが、とりあえず犬歯でボタンを食いちぎることにしたようだった。
「まっ!まままま待った!!さっきはあんなこと言ったけど俺キスの先って何したらいいか全然知らなくて!!」
ようやく頭が動き出した俺が叫ぶ。それを聞いた井上は目を丸くして、それから笑った。
「大丈夫ですよ」
ボタンから口を離して俺と目を合わせた井上が言った。
「それは……経験がおありということで?」
「違いますよ何言ってるんですか。……私も全然知らないですけど、『本能』が導いてくれるはずですから。だから、私たちは大丈夫です」
そう言って、もう一度沈み込むようなキスをした。
ヘテロフィリア サヨナキドリ @sayonaki
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