無意味問答

   過去は現在を立てる骨か、今を縛る枷か


 時間の流れを見ていると、思う。

 この「時間」とはなんだ?

 と。

 

 いま現実は、時計やカレンダーで時間を可視化している。よって容易に補足可能ではあるが、いざ手に入れようとすると、難しい。

 例えば、二分、手に入れてみよう。どうすればいい。

 二分を刻む砂時計を作ろうか。二分を数えて過ごそうか。二分の歌を歌おうか。二分思いっきり遊んでみようか。二分水の中で息を止めてみようか。

 どれも、やってみてもいいだろうとは思うが、何か違う。


 聞いてみたい。あなたならどうやって二分を手に入れるか。

 なんだか怪盗が言いそうなことだ。そもそもこのお題が。

 『今夜二十一時、「二分」を手に入れに参上します。』と長方形のカードが探偵と宝石持ちのもとに届くのだ。サクッ とカードが壁にささる。それを見た探偵らはどう思うだろうか。誰もが盗めっこないと思うものを盗んでみせるのが怪盗だ、と私は思う。怪盗なら二分だって手に入れられるかもしれない。


 月や花火を手に入れる方法を知っているだろうか。水辺に行く。または、水面を用意すればいい。川、海、湖、水たまり、コップ、プール、手持ち花火を消火するバケツでもいい。足元に気を付けつつ、水面に月や花火を写す。これで完遂だ。いつか教科書で、月をそうやってつかまえて、スプーンですくって飲んだ熊がいたような。

 本題に戻ろう。時間はどうだろうか。時計の長針はおそらく、アナログ時計であれば、いつだって等しく二分を歩く。自分にとっては歩くという表現がしっくりくる。傾く、跳ぶ、動く、刻む、……。正しい表現があるのかもしれないが、知らない。

 まんまるなアナログ時計であれば、三百六十度を六十分で一周するのだから、一分で六度。二分は十二度、だろうか。

 ただ、一番大事にしていたことが解決しない。時間が流れること、またやってくること、過ぎ去って帰ってこない時があること。それがつかめない。時間とはいったいどこに流れているのだ。どこに行けば出会えるのか。

 さて、この文章は何分だろう。書くのと同じ時間で読むことはないだろう。時間は確実にそこにある。まだつかまえられない。

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