第7話 大事なのはどっちを選んだかではなく、選んだあとどうするかだ

 コンビニに設置されているベンチに座り、缶コーヒーのプルタブをカチッと小気味のいい音を立てて開ける。夜はまだ肌寒いこの季節にはホットコーヒーはちょうどいい塩梅だ。


 束の間の沈黙を破ったのは監督である三宅正雄みやけまさおだった。


「もう野球はやってないのか?」


「ブッッ! ゲホッゲホッ」


 開口一番火の玉ストレートを放ってきた正雄に対し、口に含んでいたコーヒーをそのまま吹き出してしまった。


「聞かれるとは思ってましたけど、まさかいきなりですか!?」


「なんだ? 気を使った方がよかったか? 霧矢はそういう質ではないと思っていたが。それにそういうのは慣れただろ?」


「ええ、まぁ……監督の言うとおりですよ。聞く人聞く人同情ばっかりで飽き飽きしてましたけど」


「ハッハッハッ! そうだろそうだろ」


 正雄は盛大に笑いながら隣の青大の背中をバシバシと叩く。


「痛い痛い、もしかして酔ってます?」


「なあ霧矢、本当はまだ野球に未練があるんじゃないのか?」


 豪快な声で笑っていたかと思えば、すぐにその笑みは無くなり、真面目なトーンで話を続けてきた。


「え……?」


「だってそうだろ? 本当に野球と縁を切りたいならここには来ないだろ。たった一年だけだったが、ここは霧矢にとっても大事な思い出が詰まってる場所のはずだ。違うか? 縁を切りたいならこの場所は逆に辛いところになるんじゃないか?」


「それは……」


 未練が無かったのかというと、正直自分でも分からない。完全に吹っ切れたと自分には言い聞かせていたが、心の底ではもしかしたらまだそういう感情があったのかもしれない。


「野球をやっていないことに納得いっていないのは他の誰でもない自分自身のようにも見えるけどな」


 図星だろと言わんばかりにニタリとした笑いを青大に向ける。


「どうでしょ、ホンマのところは自分でも分かってないんだと思います。姉が亡くなってからも暫くは野球を続けてました。でも、日に日に練習にも身が入らんし、しまいにはしょうもない怪我はするは喧嘩までするは散々でした。怪我のせいで暫く練習にも出なくなって……そこからはズルズル引きずって、もうどうでもよくなってしまったんです。でも──」


「でも?」


「実は今日各務原……じゃなくて、水無月春菜と学校で偶然会って頼まれたんです。野球一緒にやろうって」


 正雄は一瞬目を見張って驚いた素振りを見せ、「そういうことか」と小さく呟き、すぐに先ほどまでの顔つきに戻った。


「それで? なんて返事したんだ?」


「一旦は断りました。けど、アイツは一歩も引かないし、土下座はするし、ゴリ押してきて、それでせめて自分のボールを受けてみてくれって。結局返事も出来ずにアヤフヤなままですけど」


「ふむ、なるほど。昔から霧矢の非情になりきれないところは良いところでもあり、同時に悪いところでもあるな」


「はは……身内に甘すぎるって姉にも言われましたよ」


 青大は以前、楓にも同じことを言われたのを思い出して苦笑する。


「もし、もしも霧矢に少しでもボールを受けてやる気持ちがあるなら、受けてやってはどうだ?」


「監督まで、どうして……」


「他でもないキミと野球がしたいんだろう。それこそ、中学の部活を引退した後もすぐに硬球に持ち変えて、高校野球に万全の体制で挑もうとしていたくらいだ。『青大くんと会った時に笑われないように』ってな。彼女にとって三年前の約束とやらが、何よりも支えなんだろう」


 青大は驚いた、あの約束がそこまで春菜を衝き動かすものだったことに。


「約束……俺はアイツにとってそこまでの存在なんでしょうか?」


「そこまでの存在だからこそ、彼女は、文字通り青春全部賭ける覚悟で、野球部の無い桜原高校に入ったんじゃないのか?」


「ちょ、ちょっと待ってください! なんで俺たちが桜原の生徒だって……それにその言い方はまるで、春菜が初めから俺が桜原に来るって知ってたみたいじゃないですか!」


 春菜とは偶然同じ学校になったのだと思っていた。しかし、正雄の言葉で一瞬、青大の頭を過ぎった答えに青大自身身震いした。その答えがどうか間違いであり、自らの自惚れであってほしいとさえ思えてしまう。


 しかし、それ以外に今も尚、本気で野球を続けているはずの春菜が野球部の無い高校に入学した理由の見当がつかない。そんなことを頭の中でグルグルと考え込んでいると、正雄はさらに続けた。


「だろうな、どうやって霧矢が桜原に来ることを知ったのかまでは分からんがな。ワシも水無月から桜原に通うと聞いた時はまったく驚いたもんだよ。人の進路にとやかく言う権利も無いから深くは詮索しなかったが」


 それが本当だとしたら、春菜の行動はもう願望を超えて最早執念そのものだと言えた。


「だが、これはあくまでワシの推測の話だ。本当のところは水無月本人に聞くしかない」


「監督、俺は......アイツの想いに応えるべきなんでしょうか?」


 青大は膝に置いてある拳をギュッと握り締め、恐る恐る聞いてみた。


「それはワシが決めることじゃない。時間が掛かってもいいから霧矢が後悔しないと思う方を選べばいい。なあに、若いモンは悩んで悩んで悩み抜けばいいんだよ、未来の正解なんて誰にも分からんのだからな。それこそ神のみぞ知るってやつだ」


 そう言って、正雄は残ったコーヒーを一気に飲み干し、夜空を見上げながら一息ついて優しい口調で再び続けた。


「そうやって悩み抜いて自分が出した答えを正解にすりゃいいんだ。大事なのはどっちを選んだかではなく、選んだ後どうするかだ」


 しばしの沈黙の後、青大は一つ息を吸い込み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「そう、ですね……自分と向き合うちょうどいい機会なのかもしれません」


「ハッハッハ、良い顔してるじゃないか! さっきまで死んだ魚みたいな目してたのに」


「だといいんですが……って目は元からですよ! コンプレックスだって知ってんでしょ」


「あぁ悪い悪い。いや、すまんな、こんな老いぼれの話を長々と聞かせてしまって。ウザかっただろ? 自覚はあるつもりなんだが……ワシの悪い癖だよ、ガハハ」


 口ではそう言っているが、ゲラゲラと豪快に笑いこけている正雄を見ていると、そんなことはこれっぽっちも思えなかった青大は、苦笑しながら皮肉気に言った。


「監督、ほんとに自覚あるんですか?」


「ん? あるぞ、うん……多分」


 いや、ねーじゃねえか。と心の中でついついツッコミを入れてしまう。


「でも、おかげで少しは肩の荷が下りた気がします。気のせいかもしれませんが」


「自分がそう思うんならそうなんだろうよ。水無月の球、期待しとけよ? 驚いて腰抜かすかもな」


「監督、アイツにそんなハードル上げても平気なんですか? 腐っても元珠玉の世代ですよ俺」


 正雄の挑発めいた口調に、青大も自然と口角を少し吊り上げて、その言葉に乗るかのように返し、手に持っている飲み干した缶コーヒーをコンビニに設置してあるゴミ箱に寸分の狂いを許さず投げ入れた。


「フッ……昔の調子が戻ってきたんじゃないのか? ハードル上げんのはあたりめえだろ! ワシが教えたんだ。未来のエースなめんなよ?」


「そんだけ監督が春菜を推すなら、受けますよ。今日のことアイツに言いふらされても困るし」


「言いふ──」


 正雄が気になった点を聞き返そうとするが、青大は慌ててその言葉に重ねるようにして、ベンチから立ち上がり宣戦布告した。


「ただし! 辛口で判定しますからね? 甲子園だって甘くねえんすから」


「あぁ、望むところだ」


 青大と正雄は互いに不敵な笑みを浮かべあっていた。

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