第4話 私のバカ! ついでに青大くんもバカバカバカ!

「ただいま……」


「おかえりなさーい、お昼食べるわよね?」


「うん、後で食べる」


 春菜は帰宅するなり、母親に素っ気ない返事をしながら自分の部屋へ戻ると、身を包んでいる白と紺のコントラストが特徴的な制服のままベッドへとダイブして、真っ赤になった顔を枕に押し付けて、足をバタバタとさせながら悶えていた。


「んぅ~~~~~~~」


 ホームルームでの自己紹介で、春菜は青大の名前を聞いたときは一瞬、頭が真っ白になって、口をアワアワさせながら声にならない声を出していた。さらには、これは夢だと勝手に思い込み、自らの頬を両手でつまんだりもしていた。他の生徒が自己紹介している真っ最中にそんなことをやっているのは傍から見ればなかなか奇怪な行動である。


「はぁ~、いきなり引っ張り込んで、一緒に野球やろ! なんて言っちゃったけど絶対引かれたよね……。オマケに泣いちゃうし、スカートの中まで見られちゃったし。もう最悪」


 恥ずかしさのあまり春菜は頭を抱えてさらに悶えてしまう。


「張り切って勝負下着なんて付けてくるんじゃなかったよ」


 なにが勝負下着だ、朝の私は一体誰と戦うつもりだったのだ。思い返すだけで、恥ずかしさで爆発してしまいそうなほどに、顔が真っ赤になるのが春菜自身でも分かった。


「うぅ……私のバカ! ついでに青大くんもバカバカバカ!」


 春菜は青大のことが気になって、自己紹介の時からずっと教室でソワソワしていたというのにも関わらず、青大は全く憶えておらずケロッとしていたことに、春菜は不満をむき出しにする。


 放課後になってからはもう無我夢中だった。緊張感と高揚感を携えて、青大を探すために廊下を駆け回っていた。そして、気がついたら土下座して頼み込んでいた。行動力はある方だと自覚しているが、我ながら恐ろしいと、若干の後悔を踏まえて春菜は思う。


「私、やっぱり酷いこと言っちゃったよね」


 青大の姉であり、プロ選手の楓に憧れ、情報を常に追っていたこともあり、自然と青大の活躍も耳に入るようになっていた。完全に二人のファンとして。


 楓が亡くなってすぐ、青大がシニアのチームから、そして野球界から姿を消していたのはスポーツ誌を見て春菜は既に知っていた。


 記事にはあることないこと、様々な見解が飛び交っていた。


 『天才野球少年まさかの電撃引退!?』なんて見出しも出るくらいだった。それほどまでに、世間からの青大への将来の期待のされ方は尋常ではなかった。


 無理もないことだ。毎年中学や高校でスターと呼ばれる選手は数人輩出されるが、この青大や春菜と同じこの年の選手は異常だった。現にU-15での世界大会では、圧倒的なチーム力で優勝を飾っている。


 その中でもスタメンである各ポジションの九人が群を抜いていた。その九人こそが後に『珠玉の世代しゅぎょくのせだい』と呼ばれるようになったのだ。そこで正捕手を務めていたのが、まさに霧矢青大である。


 それなのに、あの時は必死だったとはいえ、強引にそれも半ば脅迫まがいなことをしてしまったことに春菜は罪悪感に襲われてしまう。


「私、最低だ。自分のことしか考えてない」


 そんな自分が嫌になってしまう。周りが見えなくなり猪突猛進してしまうのはいつもの悪い癖だった。


 あの日、交わした約束を春菜は一日たりとも忘れたことはなかった。それこそあの約束を原動力にしていたほどに。


 小学六年生の冬、あの日誓った約束に思いを馳せる。みんなはまだこのことを憶えているだろうか? そんな心配を抱きながら、机の引き出しから小学校の卒業アルバムを引っ張り出した。そして何度も眺めたことのある泣きながらも眩しい笑顔を向けて写っている写真を見て春菜はポツリと呟く。


「はぁ~明日どんな顔して会えばいいのよ」


 ◆


「ただいま……って、返ってくるわけねえよな、そりゃそうか」


 青大は慣れない独り暮らしに、玄関を開けてつい、まだ引っ越してきてまだ三日目、ダンボールが積まれた殺風景な誰もいない部屋で一人呟いた。


 青大の実家は元々、大阪府だが、とにかく野球から離れたく、環境を変えたくて、全国の色々な高校からの推薦または特待生としての受け入れを全て蹴って、奈良県にある親戚が大家として経営しているこのマンションに転がり込み、ここ奈良県にある公立高校、桜原高校にやってきたのだ。


 姉の楓の影響で、五歳の頃から始めた野球を一年前に辞めると親に告げた時は、ひどく悲しい顔をさせてしまったが、「無理に続ける必要はない」と言ってもらい、どこかホッと安心したと同時に罪悪感も襲ってきた。今まで、野球をすることに対して、何ひとつ不便を感じさせない環境を作ってくれたのもまた家族だったからだ。


 後ろめたい気持ちに後ろ髪を引っ張られながらも、それでもこうして新しい土地にやってきたのは、空っぽになった自分を変えたかったからだ。おそらく、あのまま無理に野球をやっていたとしても続かなかった。


「はぁ……入学式だけやったのに、なんか今日だけでドッと疲れたわ」


 鞄を放ったらかし、制服から部屋着に着替えてベッドへとダイブし、近くに立てかけられている自分と楓が写っている写真を手に取る。U-15選抜の日本代表として出場した中学二年の時に撮った写真だ。


「はは……なんつー腹立つ顔してんだよ、俺」


 憎たらしい笑顔で金メダルを掲げている自分に苦笑する。この頃は、まさに人生でも野球でも全盛期の時だった。一人でなんでもやれる。俺に勝てるヤツなんていない。当時は本気でそう青大は思っていた。


 だが、楓が亡くなって、青大は呆気なく、ぽっきりと心が折れてしまったのだ。なんともまあ情けないと呆れ返る。


「はぁ、アホらし。どうせ一瞬の気の迷いやろ。断り続けたら流石に無理強いはしてこやんやろし、そのうち諦めるやろ。あーーー! ウダウダ考えててもしゃーないし、晩飯まで寝よ寝よ」


 写真立てを元の場所に戻して、青大は意識を夢の中へと放り投げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます