第3話 待ってるから

 あまりにも唐突すぎる提案に、青大は素っ頓狂な声を上げ、呆けたように口が開きっぱなしになる。開いた口が塞がらないとはこういうことだ。


 彼女が何を口走ったのか、理解が追いつかない青大は頭の中で懸命に整理する。


「だから──」


 まるで、懇願するかのように差し迫る彼女に青大は突き放す。


「断る! 俺が何のためにわざわざ野球部の無い高校に来たと思ってるんや? 悪いけど他をあたってくれ」


 ふざけんなよっ! ここまできてまだ俺は野球から追い回されるんかよ。青大は苦虫を噛み潰すような表情で、内心悪態をついた。


 二人の間に重い沈黙が流れる中、目の前の彼女は青大のことを瞬きもせず、真剣に見つめ続けていた。


「私が各務原春菜かがみはらはるなだって言ったら……?」


「各務原……なっ!? お、おい嘘やろ? おまえ、各務原春菜なのか?」


 振り絞るようにして出てきた春菜の声は、先ほどまでとは違い、今にも消え入りそうで頼りのないものだったが、青大の慌てっぷりを見て春菜はすぐさま鋭い眼光を飛ばす。


「やっぱり気づいてなかったんだ! いつ気づくのかな? ってずっと待ってたのに」


「いや……でも、さっきホームルームの時は確か、確か……えっと」


水無月春菜みなづきはるな……」


 一向に青大の口から春菜の名前が出てこず、耐えかねたのかジト目を向けて不機嫌そうに自身の名前を告げた。


「そう、それ! 水無月! そんなん気づくかよ! あれからもう三年やぞ! 髪型も身長も何もかも変わってるし、それに……名前だって」


 頭の整理が追いつかず、パンク寸前の青大。そもそも記憶の中の少女と目の前の彼女では色々と成長していて見分けがつかなくなっている。最早別人と言っても許されるくらいだ。


「髪は野球のために短くしたの! 名前は……まぁ、両親が色々あってね」


 春菜は自身の髪を手櫛で弄りながら言った。


「わ、悪い……」


「ううん、別にいいの。それに私も霧矢……って、もう青大くんでいいか。本当に青大くんか実際言質取るまで半信半疑だったし、今回はお相子ってことで」


「そりゃ、どうも……」


 何故か釈然としない青大は半眼で、春菜の言うとおりこの場はお相子という形で了承した。


「そ、それでさっきの話に戻るんだけど……」


「悪い、それはパスだ。俺と春菜が部活を立ち上げるのとはまた別の話や」


「どうして? やっぱりお姉さんのこと……?」


 春菜はバツの悪そうな表情で恐る恐る青大に問いかける。視線を合わすことができなくて自然と俯く形で声も小さくなってしまっていた。


「そう。だからわざわざ野球部が無いこの高校に入ったんや……すまんな」


「そっか……でも、ここで青大くんと会えたのは運命だと思ってるよ。神様が……ううん、お姉さんが引き合わせてくれた気がするんだよ」


 春菜はまるでそうだと疑わんばかりに自信を持って言い放った。


「そんな都合のいい解釈されても困るんだよ! そもそも、何もかも裏切って、捨てて、逃げ出して、そこまでしたのにまた呑気に野球やる資格なんて俺にはもうどこにも無いんや」


「野球をするのに資格なんているの? 青大くん言ってたじゃない、『姉ちゃんと約束したんです、必ずプロになって、姉弟で最強のバッテリーを組みます。それが俺に野球を教えてくれた姉ちゃんへの精一杯の恩返しです』って、私そのインタビュー見て、すごくすごーく素敵だなって思ったよ」※ダブルクオーテーションより、二重括弧の方が自然だと思います。が、まあ判断はお任せします。


「一体いつの話してんだよ……もう姉ちゃんはいねえんだよ! あの人がいなきゃ、目標が無けりゃ、俺がプロになる理由も野球を続ける意味もねえんだよ!」


 青大は無意識に、半ば怒鳴りつけるようにして春菜に詰め寄っていた。だが、春菜は一歩も引くことなく立ち向かう。


「でも! でもね、せっかくお姉さんが遺してくれた野球っていう大切な繋がりまで捨てちゃうのはやっぱり寂しすぎるよ」


 春菜は目に大粒の涙を溜めながら必死に堪えるようにして青大に訴えてきた。


「お、おい! なんで、そこまで親身になってくれるんだよ」


「だって親友だもん! それに、約束したじゃん。絶対また一緒に野球やろう! って。野球続けてたらまたどっかで必ず会えるって」


「それは……」


 確かに青大は憶えている。三年前の小学六年生のあの時。一年間を共に過ごしてきた春菜たちと誓ったあの約束を。


「私、それを信じてやってきたの! いつか必ずって」


「ハハッ……まったく、冗談じゃねえよ」


 まさかの予期せぬ再会と出来すぎた展開に青大は自嘲気味に呟いた。


「ええ、せっかく念願の再会を果たすことができたんだもん、冗談で済ませたくないよ。私は本気だよ? 本気でまた青大くんと野球がしたい! 確かにお姉さんが亡くなってどれほど辛かったかなんて私には想像できないし、お世辞でも分かるなんて言いたくない。でも、青大くんには絶対野球を続けてほしいって思ってる! これだけは絶対変わらないよ。だって、野球をやってる青大くん、すごーくキラキラしててかっこいい、私の憧れだもん」


「もう、遅いんだよ……」


「遅くなんてない! 物事を始めるのに遅いなんてことはないよ! 明日、放課後グラウンドで待ってるから。私の球受けてみてほしいの! あの頃からどれだけ成長したのか直接確かめてほしいの! 私の話に乗るかどうか判断するのはそれからでも遅くないはずだよ」


「それで、はい分かりました。行きます! なんて言え──」


 青大が春菜の誘いを断ろうとしたところに被せるようにして、春菜は逃げ道を塞ぐために最後の切り札を切ってきた。


「もし、来なかったらさっき私のパ、パン……スカートの中を凝視してたことみんなに言いふらすから!」


「なっ!? あ、あれはどっからどうみても不可抗力やろ! そもそも凝視なんてしとらんわ!」


「……。やっぱり見たんだ。変態」


「グッ……」


 春菜は蔑むような目を浴びせ、突き刺してくるのを感じた青大は頭を抱えてへたり込む。


 嵌められた。というか、もしかしてここまで先を読んで計算してたのか? いや、そりゃねーか。春菜の今にも茹で上がりそうな真っ赤に染まった頬を見て、その可能性は無さそうだと勝手に青大は納得してしまった。


「待ってるから」


「ちょっ!」


 そう言い残して、青大が引き止める前に、顔を真っ赤にした春菜は青大の横を通り過ぎて階段を駆け下りていった。


「ったく……カツアゲよりタチわりぃんだよ」


 だが、青大は春菜を責める気にはなれなかった。あの無邪気な笑顔とコロコロと変わる仕草と表情、それに自分に対してあそこまで真摯に向き合ってくれた春菜に対して、心が揺さぶられなかったといえばそれは嘘になる。そこまで青大は自分を薄情な人間だと思ってはいない。


「クソッ! やっと、心の整理がついて、野球とも踏ん切りがつけたと思ったのに、余計なことしやがって。ちょっと揺らいじまったじゃねーか」


 一人取り残された青大の言葉は誰にも聞かれることなく霧散した。

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