第2話 私と一緒に野球部を創って、甲子園目指しませんか?

 土下座。

 それは日本人にとっては馴染みのある言葉だろう。しかし、言葉自体に馴染みがあっても、実際にやった、された経験というのはどうだろうか?


 そんなのものはドラマやアニメ、物語の中だけだとこの少年、霧矢青大きりやはるとも思っていた。そう、つい先ほどまでは。しかし、高校の入学式当日、それは青大の目の前で起こっていた。それも女子校生によって。


「お願いしますッ!!」


「……は?」


 事の発端はつい、数分前のことである。


 ◆


「見た? あの新入生」


「見た見た! すっごい可愛かったよね」


 さっそくクラスできたグループの女子生徒たち。


「聞いたか? 新入生の中にすっげえ可愛い子がいるって」


「うっそー! まじ? 何組だ? 見に行こうぜ!」


 噂の新入生を一目見たさに盛り上がる男子生徒たち。


「確か三組」


「名前は?」


「確か、水無月……春菜。だったような……」


 高校の入学式。真新しい制服姿で談笑する新入生たちは、同い年の生徒の話題で持ちきりだった。


 青大たち新入生は入学式を終わらせ、これから一年間共に過ごすクラスメートたちと、自己紹介を交えたホームルームをやった後の下校時間にそれは起こった。


 欠伸あくびをしながらトイレから出てきた青大は、荷物を取りに教室へ戻ろうと、廊下の角を曲がったところで、ドタバタと走ってきたこの彼女と衝突したのだ。


 予想だにしない衝撃に、二人はお互い尻もちをついてしまった。


「キャッ! す、すみません」


「イテテ……わ、悪い。あっ……」


 青大とぶつかった彼女は初日早々、スカートをそれなりの丈まで短くしており、案の定青大の視界が「赤」を捉えてしまったのだ。


 だがしかし、これは不可抗力、俺は悪くないッ! と、青大は頭の中で彼女に責任転嫁していると、彼女はまっすぐにこちらを覗き込んでくる。


 やっべー、スカートの中見てたのバレちまったか? そんな思考が過ぎり、青大は冷や汗を流しながら視線をスカートの中から逸らす。


「その目、やっぱり……やっぱりそうだ!」


 突然の大きな声に、青大はビクッと身体を震わす。そして、今度は青大の手首を掴み始めてグイグイと女子にしてはすごい力で引っ張られ、どこかへ連行されていく。


 え? なに? カツアゲ……? 入学早々俺、女子からカツアゲされんの? そんなことを思いながら、青大は恐る恐る声を掛ける。


「ちょ! いきなり何?」


「いいから、付いてきて!」


 いや、この真剣な感じ、もしかしたら愛の告白かもしれん。そんな、淡い期待を胸に抱きながら、彼女の思うがままになった。


 そして、現在へ。


 ◆


 が。しかし、愛の告白でもなければカツアゲでもない。屋上へと通じる扉の前で、彼女は青大に向かって、美しい土下座をしているのだった。


 なにが問題かと言えば、入学式当日だというのにも関わらず、自分に対して、知らない女の子が美しい土下座をしているという、不可解な状況そのものに青大は訳も分からず、頭上にハテナマークを浮かばせていた。


 ただ一つ、青大にも分かることは、この場面を誰かに目撃されようものなら明日にでも青大の住居は特定され、教室にある自分の机と椅子はグラウンドに放り出されるに違いないだろうということだった。


 人の寄り付かない静かな場所だったのが幸いし、『目つきの悪い男子生徒が見知らぬ少女を脅している』という訳の分からない噂を立てられる心配はない。


 それにしたって気分が悪い。土下座ってするより、される方が嫌かもしれんな。いや、実際したことないから知らんけど。というか、初対面の人間にホイホイ頭を下げんなよ。そんな嫌悪感を丸出しにして、青大は土下座をする彼女を見下ろすようにしている。


「あの、とりあえず頭上げてもらっていい? そうされてると俺も困るから……」


「やれることなら何でもやるからッ!」


「おい、俺をなんやと思ってんねん。確かに他人よりちょっと……ほんのちょっとだけ目つき悪いかもしれんけど、普通やぞ普通……じゃなくて! あのさ、このままやと話が一生進まんから顔上げて会話をしてくれへんか?」


 タイルに額を擦りつけている彼女はのそのそと顔を上げた。


 その時、青大はまともに彼女の顔を間近で見て、初めて気付いた。


 そうだ、コイツ。俺と同じクラスのヤツや。名前はさっきクラスで自己紹介したけど、知らんというか忘れた。青大は必死に名前を思い出そうとするが、やはり無理だった。


「えっと、霧矢青大くん……だよね?」


「おー、よく分かったな」


「そりゃ、クラスメートだから……」


「そっか。悪い、同じクラスにおったな~ってのは分かったけど、名前なんやったっけ?」


 それを聞いた彼女は「やっぱり……」と呟き、ぶぅ~と頬を膨らまし、唇を尖らせる。


「いや、そんなふくれっ面で睨まれても……。悪いとは思うけど、普通初日からクラス全員の顔と名前なんて普通は一致させられへんやろ」


「ホントに覚えてないの?」


「すまん……」


 至近距離でまじまじと見てるとやばいな。と、改めて青大はそう感じた。


 肩にかかるほどの栗色のボブカットヘアは毛先がウェーブ掛かっている、ややツリ目で、程よく筋肉が付いてスラッとした手足、何かスポーツでもしているのだろうか? 女子にしては高めの身長、自分よりも少し低いくらいだから百七十センチ前後だろうと、青大は勝手に判断する。


 それともう一つ、青大の視線が吸い寄せられたのは彼女の胸だった。とにかく大きく、制服の上からでも充分に分かるくらいのサイズだった。


「いや、それ犯罪やろ……」


「ん? なにが?」


「あ、いや、なんでも……そ、それで一体どうしたんや? 急にこんなところまで引っ張り出して、最初おまえにカツアゲされるんかと思ってビビったわ」


 つい、うっかり口を滑らしそうになってしまった青大は、慌てて話題を本来の方向へと戻すことにした。


 青大の言葉を聞いた途端、先ほどまでの自らの行動を振り返って冷静になったのか、彼女はスカートの裾を両手でキュッと掴んで、急に顔がカーッと赤く染めていくのが分かった。


「あ、あのね! 念のためだけど、去年日本代表U-15に選ばれた、あの霧矢青大くん……で、合ってるよね?」


「……ッ!? あ、あぁ……。今はもう見る影もねえけどな」


 青大が野球をやっていた頃は年齢に見合わず、周りからは仰々しくも『鉄壁の要塞』『強肩堅守の王様』『ダイヤモンドの支配者』なんて呼ばれていた時期もあった。


「よ、良かった~! さ、さっきの自己紹介の時に名前聞いて、もしかしたらって思ったの! 背丈も顔も似てたから直接確かめるまでいてもたってもいられなくて……」


 たどたどしくも興奮を抑えられないのか鼻息を荒くさせ、目を爛々と輝かせながら、話しかけてくる彼女に青大は少し気圧されて後退ってしまった。


「それで廊下をあんなに駆け回ってたんか。でもホンマに他人の空似で人違いやったらどうしてたん」


「その時は、その時……? みたいな?」


 彼女の視線が明後日の方向に泳いでいる。


「あっそ……。でも、よう覚えとったな、俺が野球やってたのなんてもう一年前のことやん」


「何言ってるの、野球やってる同世代の子だったら、珠玉の世代しゅぎょくのせだいの一人、霧矢くんのこと知らない人なんていないよ」


「ハハ……。そりゃ流石に買いかぶり過ぎやろ。しかも、もう過去のことやし」


 正直、これ以上過去を掘り返されるのは、青大にとって望むところではない。そうでなければ、何のためにわざわざ野球部の無い高校に来たのかも分からなくなってしまうからだ。


「で? もう用が無いんやったら帰ってもええか?」


「ちょっと待って!」


 階段を下りようと、彼女から視線を外すと焦ったような大きな声で呼び止められた。


「なに?」


「私と一緒に野球部を創って、甲子園目指しませんか?」


「はい……?」

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