第38話・最高の目覚め KAC7
大橋さんはお話の大好きな可愛い女の子である。
朝。
高校一年生である大橋さんはふかふかのベッドで目覚めた。
寝ぼけ眼の大橋さんは大きな胸に少々手こずりながら制服に着替える。
ふわ~っと欠伸をしながら、下の階にあるリビングへと降りていく。
エプロンを装備すると、大橋さんは朝食の準備を開始した。
まず砂糖をたくさん入れた卵焼きを作る。
それから多少手を抜きながらもお弁当箱の中身を詰めていく。
見ているだけでワクワクする昼食が出来上がると、大橋さんはトーストを焼いた。
朝食はトーストとサラダ。
大橋さんは朝ご飯をちゃんと食べる系女子なのだ。
そんな大橋さんがテレビのニュースを見ながらもぐもぐしていると、母親が起きてきた。
母親は寝癖のまま「おはよー」と微笑み、トーストを焼いた。
「おはよー。お父さんは?」
「出張だって。明後日帰ってくるから電話来たら欲しいお土産言っといてね?」
「うん」
頷きながら大橋さんはもぐもぐと口を動かす。
バターとジャムをたっぷり塗り、お砂糖までかけたトーストは甘くて美味しかった。
いつも通りの長閑な朝だった。
だがそれもテレビから入った一報によって砕かれる。
男のアナウンサーが朝のニュースにありがちな緩い空気から一変し、真剣な顔つきになった。
『昨日の国会で提出され、承認された【お話禁止法案】についてです。お話が禁止となるこの法案ですが、市民生活に多大な影響を及ぼすことが想定されます。
まず【お話】の定義ですが、これは単純な【会話】ではなく、一つのテーマに沿って複数人で無意味な掛け合いを続けるというものです。
最近この【お話】が若者の間で流行しており、日常生活に支障をきたす学生も多くいる為、政府が動き出しました。【お話禁止法案】の承認により、お話をすると禁固十年が課せられ、刑期の間は一切会話が許されない器具を口に付けられることになります。
国会前ではこの法案に反対する市民団体が連日デモ行進を行っていますが、与党は数の力で法案を通しました。これには野党も反発し、解散総選挙で民意を問うべきだと……』
大橋さんは愕然とした。
知らない間にこんな法案が国会を通ったのを知らなかった。
お話好きの大橋さんにとってこれほどの痛手はない。
大橋さんは持っていたトーストをぽろっと落とした。
「…………この世の終わりだよ……。アポカリプスだよ……」
大橋さんは泣きそうな顔でしばらく茫然として、ちょっぴり泣いた。
とんでもないことが起っている。
それだけは誰の耳にも明らかだ。
街中がしんとしていた。
商店街も、公園も、通学路もどこもかしこも静かだった。
お話は禁止だ。
すれば捕まってしまう。
それを気にして誰も話さない。
会話は許されているが、その線引きが非常に難しかった。
アナウンサーが言うには【会話】と【お話】の差は大別すると一つに凝縮される。
【お話】は意味のない掛け合いだということ。
つまりなんの目的もなく話し合っていれば【お話】だと認定されるのだ。
国はお話を非生産的な行為と認定し、固く禁じた上、お話をしないように見張る組織まで創設した。
【お話警察】である。
お話警察に捕まるとすぐに器具を付けられ、お話ができなくる恐ろしい組織だ。
登校途中、閑散とした住宅街で大声が上がった。
「ちがうわよ! あたし達お話なんてしてないわ!」
大橋さんがそちらを向くと主婦が二人、男達に押さえつけられている。
「貴様らが井戸端会議をしていたことは分かっている! 現行犯逮捕だ! 観念しろ!」
「ただ今日の献立を話し合っただけよ!」
「その後にくだらない無駄話をしていただろ!? 良いから黙ってお縄に付け!」
男は主婦達に猿ぐつわを付け、パトカーに乗せて連行していく。
周りの学生や会社員などはざわざわとしたが、お話警察に睨まれると一様に黙った。
大橋さんは青ざめ、ぶるぶると震えた。
「こ、こんな世界が来るなんて……。どうしよう……」
大橋さんは怖くなって、この気持ちを誰かに聞いて貰いたくて、学校へと急いだ。
教室へ着くと大橋さんはいつも一緒にお話をしているお話パートナーの篠塚君を探した。
篠塚君はどこにでもいる冴えない量産型の少年だが、大橋さんのお話を誰よりも聞いてくれる。
多少のオタク趣味に目を瞑れば、大橋さんにとってかけがいのない存在だった。
篠塚君を見つけた大橋さんはホッとして駆け寄った。
「篠塚君!」
「しー。ダメだよ」
篠塚君は口の前に人差し指をあて、静寂を求めた。
「……え?」
「教室にもお話警察がいるって噂だ。無駄話はできない」
「そんな…………」
大橋さんは絶望の表情を浮かべる。
ここにもお話警察がいるなんて。
一体その悪漢は誰と教室を見回すが、それらしい人はいない。
いつもは賑やかな学校だが、今日はゾッとする程の静けさが征服していた。
誰もが口を開くのを躊躇している。
そんな空気ではせっかくの昼食も美味しく感じなかった。
放課後。
大橋さんと篠塚君は周りの視線を気にしながら図書室に入り、そこにある図書管理室に潜り込んだ。
そこでようやく二人は肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
「ここなら大丈夫だよね?」
「うん。ここがお話部だってことは誰も知らないはずだし」
二人は安堵し、微笑み合った。
いつもより距離が近くて、大橋さんは少し顔を赤くする。
「御上はお話を禁止するなんて言ってるけど、そんなの間違ってるよ。わたし達だけでもお話しよ?」
「それってお話地下ゲリラってこと? でも大橋さんが危険な目に遭ったら……。捕まったら十年間話すこともできないんだよ?」
「大丈夫だよ。ここにはわたし達しかいないんだし、内緒ですれば。ね?」
大橋さんは可愛らしく小首を傾げた。
こうなると篠塚君はノーと言えない。
渋々と頷く篠塚君だが、一つ条件を出した。
「……うん。分かった。でも約束して。大橋さんはここで、僕としかお話しないって」
「うん。約束する♪」
二人は小指と小指を絡ませ、約束した。
寄り添いながら小声でする内緒のお話はいつもよりドキドキして、楽しかった。
そんな日がしばらく続いたある日。
ニュースは朝から騒がしかった。
『昨夜。地下に潜ってお話をするグループ。通称お話ゲリラの一斉検挙が始まりました。抵抗する若者達をお話警察達が取り押さえています。総理の話です。
「えー。昨今巷を騒がしているお話ゲリラですが、これはもう重大な憲法違反です。我々は頑とした態度でこの犯罪組織を取り締まる所存です」
これから日本各地でお話ゲリラに対する締め付けは強化されそうです。尚、昨日の国会ではSNSなどネット空間でのお話も取り締まる、改正お話禁止法案が通過しました。お話の温床となっていたネット規制により、お話はより一層制限されます』
大橋さんはまたトーストを落とした。
学校へ行くまでにお話警察に摘発された違法お話店をいくつも見た大橋さんは見も毛もよだつ気分だった。
そして放課後。
大橋さんは篠塚君と共にお話部の部室にいた。
ここも誰かに見られてそうで怖かった。
「もう……限界だよ……。お話したくておかしくなりそう……」
大橋さんは涙目で篠塚君にしがみついた。
篠塚君は大橋さんの震える背中を優しくさすってあげる。
「大丈夫だよ。僕がいるから」
囁くようにお話すると、大橋さんは随分と落ち着いた。
すると別の感情が湧き出てくる。
二人は指を絡め、互いを見つめ合った。
そして唇と唇が触れる。
その僅か前に図書管理室のドアが破られた。
そこにいたのは篠塚君の右隣に座るショートカットなスレンダー美人、宮前さんだ。
ミニスカポリス姿がよく似合っていた。
「お話警察よ! 二人共証拠は揃っているわ! 観念なさい!」
「宮前さん……! 君がお話警察だったなんて……!」
篠塚君は咄嗟に大橋さんの前に出る。
大橋さんは恐怖で震えながら篠塚君の腕にしがみついた。
「やだよ……。もうお話できないなんて絶対に嫌!」
「仕方がないわ。法律でそう決まったんだもの。あなた達はこの先十年の会話を制限されるわ」
「そんなのいやー!」
大橋さんは無我夢中で宮前さんにぶつかった。
「はわんっ♪」
柔らかいながら弾力のある大橋さんの大きなお胸が宮前さんをノックダウンする。
二人は追っ手を振り切り逃げた。
しかし逃げ切れず、どことも知らない崖に追い詰められる。
絶体絶命のピンチだ。
二人は宮前さん率いる屈強な男達に銃を向けられていた。
「さあ。観念しなさい」
降参を促す宮前さんだが、大橋さんと篠塚君は首を縦に振らない。
篠塚君は大橋さんの前に立ち、大の字になって銃口から守った。
「篠塚君……。もう終わりだよ……。わたし達、もうお話できないんだ……」
「……そうかもしれない。でも、きっといつか僕らはまたお話ができる日が来る。それが十年後か二十年後かは分からない。もしかしたら来世かもしれない。それでも、僕は大橋さんとお話できるその時をずっと待ち続けてる。だから――」
篠塚君は大橋さんを崖へと突き落とした。
そこには司書の戸田先生が操るヘリコプターが待っており、大橋さんを受け止めた。
「篠塚君っ! どうしてっ!?」
「僕はここでお話警察を食い止める。だから、大橋さんは逃げて!」
「篠塚君!」
叫びと共に撃鉄が起こされ、篠塚君の体に銃弾が撃ち込まれる。
凶弾に倒れた篠塚君は微笑みながらゆっくり倒れた。
「また会ったら…………、今度はたくさんお話しよう…………ね……」
「篠塚くぅーーーーーーんッ!」
そこで大橋さんは目を覚ました。
ここはお話部の部室だ。
どうやら日差しが気持ち良くて机で眠ってしまったらしい。
大橋さんが顔を上げるとそこには文庫本片手に優しく微笑む篠塚君がいた。
「どうしたの? 怖い夢でも見た?」
やけに怖がる大橋さんを篠塚君は心配した。
大橋さんはホッとして、「ううん」とかぶりを振った。
それから涙目ではにかんだ。
「ねえねえ篠塚君♪ これからもたくさんお話しようね♪」
「うん。いいよ」
それから二人は誰にも縛られずお話をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます