第7話 手札は三枚


 *


 追い求める禁術書の僅かな手がかりを頼りに、深く霧けぶる森を駆け抜ける。ここまで来る道中、新たな土地での交流や秘められし魔術を体得し、さらには生死の淵をも彷徨いながら、脳の空腹を満たしてきた。

 未知が未知でなくなる瞬間。全身を巡る血液に数多の知識が刻まれて、おのれを再構成していく快感はひどく甘美だ。その瞬間を味わうためなら、自身の命を懸ける価値が十分にある。

 どこからか聞こえてくる梟の囁き合いと風に乗る獣の匂いが急速に急激に濃くなっていく。

 グラリ、不自然に身体が浮かぶ感覚を覚えた次のまばたきの後、さあっと開けた場所に出た。辺りを見渡す。木々の間からうっすらと射す陽光の先に、ようやく人の気配──建築物の全貌の一部を見た。

 レンガで造られたその建物は、全体を陰鬱な空気と生い茂る蔦で覆っていた。その様子はまるで、訪れる者を頑なに拒んでいるようだ。美しく整えられた庭園に咲く色とりどりの花々や、白と黒が映えるゆったりとしたテラスを垣間見ると、一度も経験したことのない優雅なティータイムさえまざまざと連想させた。

 目前の光景に暫く惚けた後、ハッとして一歩を踏み出した。

 露光る適度に湿り気を帯びた野草は、上質な絨毯の上を歩いているような心地良さを全身に伝えていた。俄然しやすくなった呼吸に、ここが澄んだ空気で満ちた場所なのだと理解したと同時に、近くに潜む何者かの気配を掴んだ。


 ここは魔女が管理すると噂の、荘厳にして気まぐれな図書館。ここには、ありとあらゆる時間と知識が保存されている。

 

 極秘文書、世界の理、生涯を賭した文献。この広大な図書館では、膨大な量の可能性と方法、証拠がうごめきあっている。叡智の魔女が随所に仕掛けた罠をなんとか看破し、とうとう手に入れた件の禁術書に触れると、まるで生物の最後の悪足掻きのごとく咆哮を響かせて、すっと頁が開いた。

 ゴクリ。低く鳴る喉に、歓喜と期待で震えているのだとはっきりわかる。これでようやく……。


 はやる気持ちでたどり着いたその頁には、綴じ代がじぐざぐと張りついているのみだった。探求者は、絶望の底に身を投げた。欲した未知はすでに、秘匿された後だったのだ。


『破かなければいけなかったもの、とてつもなく凄い存在になってみたい!』


 高校生にもなれば自ずと、俺は特別でも何でもなく、これといって不幸を背負う宿命でも幸運に導かれしハッピーな人間でもない、平凡なやつなんだと気がついた。


 だがしかし、十一歳の誕生日。そこを境にして俺は、誕生日だけは奇怪な特別を経験するようになった。

 奇怪な特別──十一歳の誕生日から続く今日までのどれもに、過去の思い出との接触があった。では十八歳。今年現れた俺とそっくりなモノの正体は、何なのか。起こっている遭遇は誰なんだ。この奇怪な出来事は、俺自身なのか?

 そのまま同じなスニーカーは、同一の証明であり。君が捲りあげた半袖は、個の意思の象徴だ。そしてなにより、俺には到底真似できない表情豊かな仕草。

 先程出会ったばかりの、俺そっくりで俺ではない君に、俺は動揺を悟らせまいと芝居を混ぜた。


「俺さ」


 どうすれば良い? 君がわからない。

 俺のこと、憎いのか嫌悪なのか。はたまた空想の続きなのか。どうして俺の姿でいるのか。

 尽きない疑問に、俺は頭を抱えた。

 君に対して何を思ったら良いのだろう。何を思って、俺は切るのだろうか? 叫んで助かって、それで終わりなのか。

 君は解決されるべき異端の存在として、それでも俺と楽しそうに話すのか。楽しげに笑えるのは何故?


「せっかくだからどこか涼しいところで食べたい」


 もしかしたら、思い出せるかも知れない。

 

 確認しよう。この舞台に残された手札は三枚。俺と君と、今は見知らぬ誰か。

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リバースバース 小沢すやの @synbunbun

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