第61話 鎌田の爺い 降臨 2

午後4時50分


「太田さん店頭に鎌田さんがご来店です」


「この忙しい時に、もーしゃあないな。はいはい今行きます」


太田君が店頭に駆け下りると蒲田のじいさんが杖をついていつものように恵比寿顔で座っていた。


「太田さん、明日は孫の誕生日やさかいプレゼント買ってやらないかんのや。10月に買った投資信託を解約して出金して欲しいんや。できるかな?」


「鎌田さん、前も申したようにこの投信は2年は解約できないんですよ。ちゃんと先月説明しましたよね。この投信には換金できないクローズド期間があるって言いましたよね」


「そんなこと言いよったかな?忘れてしもうたわ。ほなこの前買うたシャープの株を今から売ってーな」


「えー、鎌田さん売ってって、今5時前なんですよ。株式の相場終わっているんですが。それともし仮に今が3時前で株が売れたとしてもお金の受け渡しは今日を入れて四日後になりますからお孫さんの誕生日には間に合いませんよ」


「あ、そうやったな株は4日後やったな。そらあかんな。ほな何とかしてな太田はん」


「はいはいちょっと待ってください」


そこで太田君はの顧客管理表をコンピューターで叩く。

「鎌田さんラッキーですよ、持っていた国債の配当金が出ています。しかもこれは今日出金ができますよ。良かったですね」


国債の前期の配当金が合計2万円ほどあったのである。

これでお孫さんは救われた。


「さよか、ほなすぐに出金しておくれ」


「わかりました、ここに印鑑を押しておいてください」と出金伝票を渡す太田さん。


「あかんわ、今日印鑑おまへんねん」

と屈託のない笑顔。


「出金は印鑑が必ず必要なんですよ」


「そんなこと言うてもいつもは銀行振込ばっかりやったからな。印鑑持ってきてへんねん。なんとかしてーな、太田はん」


「もうじゃあ仕方ないですね。仮受を切りますから、絶対明日印鑑持ってきてくださいよ」


仮受伝票とは印鑑なしでも出金できる証券会社唯一の方法である。

これは証券マンが顧客のところへあくまでもお金を持っていくという前提のもとに切れる伝票である。


総務に言ってあらかじめ出金がしてあってそれに伝票が1枚添えてある。

その伝票に印鑑をもらって明日までに証券マンが印鑑付きの伝票を経理に返せばいいものである。


この場合は鎌田さんが店頭に来たパターンであるが、印鑑忘れの際には証券マンの判断でこういう回避の仕方をする。


「明日は1日中、孫の家に行くさかい、太田はん悪いけど印鑑を夜に家に取りに来てな」


「はいはい、分かりました」

太田さんはわざわざたった2万円の出金のために遠路はるばる印鑑を取りに行かざるを得ない羽目になってしまったのである。


お孫さんの為を思うと仕方がない。

またこんなお客に限って家がやたらと支店から遠いものだった。


とほほ鎌田さんは、この店きってのトホホ客である。

つまりいつも何か大事なところが抜けているお客さんである。

しかし悪いことに本人には全く悪気がないだけに始末に負えない。


カーオブザイヤーという言葉があるようにこの爺さんは毎年支店内の「トホホ客オブザイヤー」の上位に必ずノミネートされていた。


さてさて次はどんな苦労をさせられることやら。


トホホ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る