028▽塔の破局



 「お仕事が無事完了しましたようですので、ご報告を」


 不意に、仮設テントの白幕がめくられ、銀髪のメイド服という、コスプレじみた女が姿を現し、そう告げた。


 特別防疫対策室の上司と部下が、お互いに話題が尽きて、気まずい空気の中でただ時間だけをもてあましていた最中の、転機だった。


 「何が、完了しただと……?

 もしや、さっきの3名が、偵察を終えて戻ってきたという事か」


 「あ、いや、えっと……多分、そうじゃなくて……」


 上司の細山課長が訝しむ表情で呟くと、セイラは独り言のような小声を返した。

 それを聞いていた銀髪メイド・白雪が、口に片手を当てて控えめに笑う。


 「ええそうですね、『偵察のついで』 で事が済んだようです。

 まあでも、 『この程度の案件』 でしたら、それほどお時間をいただきません」


 白雪が一礼して、仮設テントの対策本部を出ていく。

 部下のセイラがそれに付いてテントを出ると、少し遅れて課長の細山が立ち上がった。


 彼は、神経質そうな印象をさらに深めるように、眉間に皺を寄せて、小さく首を振る。


 「 『事が済んだ』、だと……?

 まさか、そんな……っ まだ、2時間と経っていないぞ」


 細山は、疑念の声と共に立ち上がる。


 白衣の中年男が、火の付いたタバコを灰皿で押しつぶして仮設テントの白いシートをくぐる。

 外は、夜空の頂点近くまで月が昇り、美しく輝いていた。


 月明かりで薄明るい夜の街中に、先導する銀髪メイドの後ろ姿が浮かび上がる。メイド服の純白のエプロン生地と、長く滑らかな銀髪が、月の光に揺れている。


 その白と銀の色に誘引され ――


 仮設テントのある緑地公園を出て ――


 次に、避難者や救護者の喧騒から遠ざかり ――


 まるで、ゴーストタウンのような夜の住宅地を巡り ――


 やがて、警察官の包囲網と赤色灯の並ぶ封鎖柵をくぐり ――


 ―― たどり着いた先は、魔物がひしめく巨塔・<天祈塔バベル>。


 無数の巨石で構成された、螺旋を描きながら、高く天へと伸び上がった巨大な石の塔。


 その巨塔は、まるで地面から急に隆起したかのように、整った街並みに巨大な爪痕を残している。

 アスファルトがめくり上がり、道路標識が巻き込まれて変形し、電柱が軒並みなぎ倒され ている。また、塔から少し離れた所に、運悪く巻き込まれた自動車が、スクラップ同然の様子でいくつも横転している。


 それも、当然だ。

 今回のバベルが完全形の半分の6階層とはいえ、近くの建物の中で最も高い10階建てマンションの、さらに倍ほどの威容を誇っている。

 いわば中国深山の岩山のような物が、巻き貝のように螺旋を描いて隆起すれば、市街地の一区画ほど破壊し尽くされても、当然としか言い表しようがない。


 ── 『スパイラル隆起現象』


 ―― それは、月の崩壊に端を発する、引力の急激な変化が原因と推測される。


 ―― 突然の引力の変動は、地球内部のマグマや大陸プレート、または潮流などに、多大な影響をもたらした。


 ―― 自然のサイクルが崩れ、その歪みが災害となって現れ、時に数十メートルどころか百メートル近くに達する突発的な隆起現象を呼び起こしている。


 政府や国際機関が、とても表沙汰にできない真実をカモフラージュするために名付けた天災としての名称が、真実かと錯覚するような状況だ。


 自然の荒々しさや、猛々しさを感じさせる。


 内部に入り込まない限り、科学では説明できない真実など、決して思いつかない。

 『邪悪な存在』が『神の摂理に反逆』するための『冒涜的な儀式の場』を築いたのだ ── などとは、とても予想だにできない。


 そんな、一種の感動を邪魔するように、ジャラジャラと耳障りな金属音が響いてくる。


「──……!?」


 居合わせた政府関係者全員が見上げると、石塔の上方から、その騒がしい音が鳴り響き、徐々に近づいてきた。

 消防士が火災現場から脱出するかのように、壁際をぶら下がって降りてくる人影だった。

 天祈塔の壁を伝い、鎖にぶら下がり一塊となって降りてきたのは、男女3人。

 青色長衣の魔術士と、バニーガール姿の女達。


 「まさか、本当に……!?。

 ……いや、まだ偵察が終わっただけに決まっている……っ

 いくら低階層の天祈塔バベルとはいえ、こんな短時間で、数時間程度で完結するような案件ではないはずだ……っ!?

 そうだろ、何かちがうか……?」


 細山は、思わずうめきのような声を上げながら、<天祈塔バベル>の上端から下端までを何度も視線で往復させる。

 さらには、降りてきた鎖の先が、天祈塔の最上部に続いているのを、疑惑の表情で凝視している。


 そこへ、青いウインドブレカーの男が鎖から飛び降りて歩み寄ると、懐から灰色の石を取り出した。


 「お、課長さん、おつかれ。

 ちょっと時間がかかったが、封印完了だ」


 「時間が、かかった、だと?」


 疑念ぎねんどころか猜疑心さいぎしんさえ見てとれる、細山課長の声だったが、対するアヤトはそれに気づいてもない。


 アヤトは無造作な手つきで、灰色の石に金色のコインを一枚貼り付けた。

 コインが3条の黄金の鎖に変化して、石塊に巻き付き、規則的に縛りあげた。

 アヤトは、金鎖で封印された石を、無造作に投げ渡す。

 それを、細山が慌てて両手で受け止めた。


「……だが、いや、まさか、しかし、これは──

 ── 本物の、月の石か……?」


 細山は、あまりに雑な扱いを受けた貴石を持ち上げて、しげしげと見つめては、め殺される鳥のような声でうめく。

 むしろめ殺されているのは、彼の中の既成概念きせいがいねんのようではあったが。


 「……まさか……本当に、たった『2体』で……?

 いや、……戦力が……換算値では……だが……そんな……」


 「んじゃ、補強を外すぜ?」


 アヤトが<天祈塔バベル>に向き直り、軽く告げる。

 するとセイラが慌てて、予想外の状況に呆然としている上司の肩を揺らす。


 「課長! 課長!

 危ないです、離れないと。 崩れますっ」


 「―― 崩、れる……?

 何? 何だ? 崩れるとは、一体……? わたしの常識か何かが?」


 何事かぶつぶつとつぶやいていた細山が、狐につままれたような顔をする。


 「ああ、もうっ」


 らちがあかないと思った女性部下は、白衣の上司を引きずるように移動させる。


 青いフードの魔術師が、パチン、と指を鳴らしたのを合図に、数十メートルの巨塔が倒壊を始めた。

 落雷のような轟音と共に巨石が立て続けに落下し、数秒と立たないうちに、夜の空に高く伸びた塔が形を失う。


 ── ドドドドドオオオォォ……! まるで、ナイアガラの大瀑布だいばくふのような崩壊音が、地響きと共に立ちこめる。


 そんな耳をつんざく崩壊も一瞬の事。

 後には、静寂と共に砂埃が立ちこめ、ゲホゲホと、周囲から人の咳き込む音だけが響いていた。

 一瞬で、砂山のように崩れ去る様は、まるで、ビルの爆破解体のようでもあった。


 細山もまた、少し咳き込み、さらには吸い込んでしまった砂埃をつばと一緒に吐き捨てて、周囲を見渡す。

 砂埃が風で流され、視界が明らかになると、その目が大きく見開かれた。


 天高くそびえた塔があったはずの場所が、いまや瓦礫の山に取って代わられている。


 瞬く間の激変に、細山は思わず小さくつぶやいた。


 「―― 『主』 を失った、<天祈塔バベル>は崩れ去る……」


 目の前の光景がとても信じられないとばかりの、弱々しい声だった。


 それが、<天祈塔バベル>の崩壊が意味する事は、一つ。

 そして、手の中にある『月の石』が意味する事も、また一つ。

 共に、同じ事実を明らかに告げている。


 「まさか、いくら6階層とはいえど、魔女2体だけで、天祈塔バベルの制圧が可能なのか……」


 見上げる先には既に塔の巨影はなく、ただ砕けた月の昇る夜空を見上げながら、細山は自問するような声を出す。


 「── あり、えない……。

 ありえんぞ……いくらなんでも。

 最低でも戦力40、つまり一個小隊だぞ……。

 たった2体で、それだけの力を持つというのか……?

 つまり、1体で兵士20人に匹敵するというのか……っ!?」


 九州厚生局特別防疫対策室の新任課長は、思わずつばを飲み込む。


 「<DD部隊>の魔女デミドラは……まさか、本当に、高位の吸血鬼に類する力を持つとでもいうのか……?」


 そして、白いコートを羽織ったバニーガール姿の姉妹へと、驚きと恐れの入り交じった視線を向けた。


 姉妹の隣には、『補強』、つまり塔の崩壊を抑制するために使った鎖を回収している、青衣の魔術師が立っていたのだが ――


  ―― 予想外の事態に興奮した細山の目には、最後の最後まで、魔女達に同行した異能者の姿が写っていなかった。

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