爾朱榮㉑ ザルなようで緻密に葛榮を処理しました。

▼賊徒を平定するのは実はそんな難しくなかったり。


河陰でヒャッハーして孝荘帝を擁立した後、

爾朱榮が洛陽から晋陽に戻ってからの動きを

ちょろっと整理しておきます。


五月辛酉 爾朱榮が洛陽を出発、晋陽に還る

  乙亥 晉州刺史の樊子鵠が唐州刺史の崔元珍と行臺の酈惲を殺す

  癸未、費穆と王羆が荊州に攻め寄せた梁の曹義宗の平定を命じられる

   平原で流民を率いて叛乱していた高乾兄弟が東道大使の元欣に降る

六月 葛榮の賊が飢えて沁水にまで現れるも元天穆たちに退けられる

   青州の北海で邢杲が河北の流民を率いて挙兵する

七月 高歓が相州に退いた葛榮の王七人、兵一万余を降す

  乙丑 爾朱榮が天柱大将軍に任じられる

   高平鎮人の万俟醜奴が皇帝を僭称する

八月 太山太守の羊侃が背き、梁の王辯を引き込んで兗州を攻める

   葛榮が鄴城を囲む


この裏では元顥が梁に逃れて画策していたり、

多事多難というヤツですね。


五月中の晋陽帰還から三ヶ月ほど後、

爾朱榮は葛榮平定のために出兵します。



『魏書』爾朱榮伝

九月、乃率精騎七千、馬皆有副、

倍道兼行、東出滏口。

葛榮為賊既久、橫行河北。

時眾寡非敵、議者謂、

「無制賊之理」。

葛榮聞之、喜見於色、

乃令其眾曰、

「此易與耳。

 諸人俱辦長繩、至便縛取」。


九月、乃ち精騎七千を率て、馬は皆な副あり、

道を倍して兼行し、東のかた滏口を出ず。

葛榮は賊と為りて既に久しく、河北を橫行す。

時に眾寡は敵にあらず、議者は謂えらく、

「賊を制するの理なし」と。

葛榮は之を聞き、喜びは色に見れ、

乃ち其の眾をして曰わしめていわく、

「此れ與しやすきのみ。

 諸人は俱に長繩を辦じ、至らば便ち縛取せよ」と。



せっかく出兵したにも関わらず、

世人は「ムリムリカタツムリ」、

と見ていたようです。


理由は「衆寡敵せず」、

爾朱榮の騎兵は伝では七千ですが、

孝荘帝本紀は七万となっています。


フツーに考えると七万でしょうし、

小説的には七千のが面白いですね。


どちらにしても杜洛周を合わせた葛榮の

流民に比べると少ないのは事実ですけど。


なもんで、

葛榮も爾朱榮を軽く見ていたようです。

「どうにでもなるわ。

 長縄を用意して来たらフン縛ってまえ」

流民たちもそんなことを言ってました。


噂話は当然のように爾朱榮の耳にも入り、

軍勢の士気もおそらく下がっていたはず。


滏口に向かう爾朱兵団は手前の上党郡に入ると、

襄垣というところでいきなり狩りを始めました。



初、榮之將討葛榮也、

軍次襄垣、遂令軍士列圍大獵。

有雙兔起於馬前、

榮乃躍馬彎弓而誓之曰、

「中之則擒葛榮、

 不中則否」

既而並應弦而殪、三軍咸悅。

及破賊之後、即命立碑於其所、號「雙兔碑」。


初め、榮の將に葛榮を討たんとするや、

軍は襄垣に次し、遂に軍士をして圍を列べて大いに獵せしむ。

雙兔の馬前に起つあり、

榮は乃ち馬を躍せ弓を彎きて之に誓いて曰わく、

「之に中らば則ち葛榮を擒え、

 中らずんば則ち否ならん」と。

既にして並びに弦に應じて殪れ、三軍は咸な悅ぶ。

賊を破るの後に及び、即ち命じて碑を其の所に立たしめ、

「雙兔碑」と號す。



狩猟は巻狩りだったようですね。

勢子が林中や藪の獣を追い出し、

そこを射手が狙い撃つ感じです。


何の偶然なんだか折よく二羽の兎が、

爾朱榮の馬の方に追い込まれました。


「コイツらに中れば葛榮は擒えられる。

 外れれば葛榮も擒えられへん」


爾朱榮はそう叫んで兎に射かけます。

相変わらずジンクスを気にしまくり。


幸い、

爾朱榮の弓矢の腕前がよかったのか、

不幸な二羽の兎さんは弦音とともにR.I.P.


お行儀のよい爾朱軍団のみなさん、

当然のようにやんやの喝さいです。


これで士気も振るったのでしょうかね。

なお、

この場所には後日、雙兔碑という碑を

立てて記念としたとのことであります。


さらに、

爾朱榮さんは戦の前日に吉夢を見ます。



榮將戰之夜、夢一人從葛榮索千牛刀、

而葛榮初不肯與。

此人自稱我是道武皇帝、汝何敢違。

葛榮乃奉刀、此人手持授榮。

既寤而喜、自知必勝。


榮の將に戰わんとするの夜、

夢に一人の葛榮より千牛刀を索むるあり、

而して葛榮は初め與うるを肯んぜず。

此の人は自ら稱すらく、

「我れは是れ道武皇帝なり、汝は何ぞ敢えて違わん」と。

葛榮は乃ち刀を奉じ、此の人は手ずから持して榮に授く。

既にして寤めて喜び、自ら必勝を知る。



戦前なのにグースカ寝ている爾朱榮さん、

夢では葛榮らしい人が手にした千牛刀を

誰かに引き渡すように求められています。


当然、葛榮は千牛刀を渡しません。


「ワシ道武帝やで?命令に背いたらアカンやん?」

相手がそう言うと、葛榮もしぶしぶ千牛刀を渡し、

自称「道武帝」はその刀を爾朱榮に手渡しました。


目覚めた爾朱榮は必勝を確信した模様。

ところで、

爾朱榮と葛榮って面識ないですよね?

どうして葛榮と分かったんでしょうか。




葛榮自鄴以北列陳數十里、

箕張而進。

榮潛軍山谷為奇兵、

分督將已上三人為一處,

處有數百騎。

令所在揚塵鼓譟、

使賊不測多少。


葛榮は鄴より以北に陳を列ぶること數十里、

箕張して進めり。

榮は軍を山谷に潛めて奇兵と為し、

督將已上の三人を分かちて一處と為し、

處ごとに數百騎あり。

所在をして塵を揚げて鼓譟せしめ、

賊をして多少を測らしめず。



ジンクスを気にしつつ変な夢も見ますが、

爾朱榮さんも無策の人ではありませんで。


葛榮の大軍、でも流民連中を相手にするため、

策はちゃんと考えておったようでありました。


まず、鄴の北に展開した葛榮の流民は、

数こそパワーで箕張、つまり半包囲で

爾朱榮の軍勢を呑み込もうとしました。

しかし、

滏口から鄴までの地形は起伏もあり、

平原みたいな戦い方はできませんの。

つまり、

あまり脳ミソ使ってない感じですね。


一方、

爾朱榮さんの部隊長レベルは3人セット、

それらを見通しの悪い山谷に潜ませます。

それぞれの場所はおおよそ数百騎ほどで、

馬を駆けさせて砂塵を巻き上げています。


これで、山谷に向かう葛榮の流民からは、

どれくらい兵が潜んでいるか分からない。

むしろ、

山谷に濛々と揚がる砂塵を見る限り、

「敵が少ないいうて嘘ちゃうんか!」

と思ってしまってもムリありません。


葛榮の流民は素人さんの集団ですから、

会戦となると経験が不足しましょうし。

その上で、

爾朱榮さんは戦い方も指示しています。



又以人馬逼戰、刀不如棒、

密勒軍士馬上各齎神棒一枚、

置於馬側。

至於戰時、不聽斬級、

以棒棒之而已、

慮廢騰逐也。


又た人馬の逼戰するに刀の棒に如かざるを以て

密かに軍士を勒して馬上に各々神棒一枚を齎し、

馬側に置かしむ。

戰時に至れば、斬級を聽さず、

棒を以て之を棒つのみ、

騰逐を廢するを慮るなり。



騎兵と人との闘いとなりますと、

振り下ろす刀より振り回す棒の方が有利、

そう判断したのか、騎兵には棒を与えて

馬鞍の横に提げさせていたみたいですね。

さらに、

今回の戦では首級を挙げることを禁止し、

敵は棒でブッ飛ばすだけと命じています。


戦功を首級の数で考えるのであれば、

これは現場にはけっこう厳しいです。


何か他に戦功を測る方法があったのかな。

この命令の目的は、

敵が逃げ出した際に追撃を怠らないため。

たしかに、合理的な命令ではありますね。


さて、いよいよ開戦となります。



乃分命壯勇所當衝突、

號令嚴明、戰士同奮。

榮身自陷陳、出於賊後、

表裏合擊、大破之。

於陳擒葛榮、餘眾悉降。


乃ち壯勇の當るところに分命して衝突せしむ。

號令は嚴明、戰士は同に奮う。

榮は身自ら陳を陷れて賊の後に出で、

表裏より合擊し、大いに之を破る。

陳に葛榮を擒え、餘眾は悉く降れり。



爾朱兵団は精鋭を葛榮の流民に突撃させ、

爾朱榮自らも先頭に立っていたようです。

とりあえず、

騎兵でもって流民の箕張を突き抜けてしまい、

引き返して背後からさらに一撃しております。


その時には、

第二陣の軍勢も前から衝突していましょうし、

流民とすれば前後からの挟撃になりますよね。


ロクに訓練もできていない烏合の衆では、

戦場に踏み止まれるはずもございません。


算を乱して逃げ惑ったであろうことは必定、

彼らを後ろから騎兵が棒でフルボッコする、

そういう戦であろうと容易に想像できます。


んでまあ、

葛榮をはじめとするエライさん方だけは、

騎兵であったのでしょうから離脱を図り、

そこを爾朱兵団の騎兵に追い回された後に

とっ捕まったことでしょう。


そうなると、

他の流民は次々に降ってしまいますので、

戦はあっという間にケリがついてしまう。


山東で猛威を振るった葛榮の流民たちは

あっけない終わりを迎えたワケですのよ。

しかしながら、

六鎮の乱での最大の問題は投降者の処遇、

これを誤ると流民から成る賊徒は何度でも

叛乱を惹き起こしてしまうワケであります。



▼投降者の処理にアタマを使いました。


降った流民をどのように処理するのか、

そこも爾朱榮さんは抜かりありません。



榮以賊徒既眾、若即分割、

恐其疑懼、或更結聚、

乃普告

「勒各從所樂、

 親屬相隨、任所居止」

於是羣情喜悅、登即四散、

數十萬眾一朝散盡。

待出百里之外、乃始分道押領、

隨便安置、咸得其宜。

擢其渠帥、量力授用、

新附者咸安。

時人服其處分機速。


榮は賊徒の既に眾きを以て、若し即ち分割せば、

恐るらく其れ疑懼し、或いは更に結聚せん、と。

乃ち普く告げるらく、

「勒して各々樂しむところに從い、

 親屬は相い隨い、居止するところに任す」と。

是において羣情は喜悅し、登らば即ち四散し、

數十萬の眾は一朝にして散盡せり。

百里の外に出ずるを待ち、乃ち始めて道を分かちて押領し、

便に隨いて安置し、咸な其の宜しきを得る。

其の渠帥を擢き、力を量りて用を授け、

新附せる者は咸な安んず。

時人は其の處分の機速なるに服せり。



つまり、投降した流民たちには、

「身内で行くも留まるも好きなようにせよ」

と布告することで、流民をバラバラにします。


戦場となった鄴北からの交通を考えますと、

・太行山に沿って北の定州方面

・太行山に入って西の并州方面

・鄴を越えて東の冀州方面

・鄴を越えて南の司州方面

といった各方向に人が参じて行くワケです。

むろん、

流民の多くの出身地は六鎮と河北でしょうから、

北と東が多かったと推測されるワケですけども。


で、

鄴北に止まりたい者などいるワケもなく、

あっと言う間に流民たちは道につきます。

また、

彼らは親族単位で固まり、渠帥に従っています。

渠帥は漢人なら領主、鮮卑は酋長みたいな人ね。

つまり、バラバラで大軍でもなくなっています。

さらに、

先々で道の分岐があるたびに行先は分かれ、

道ごとの流民の数は行くほど減りますよね。


そうして、

彼らが百里つまり50kmほど離れたところで、

道ごとに人を遣って監督させたワケなのです。


渠帥には抜擢して任官されるものもあり、

誅殺される者も一部にはあったようです。

この時、

宇文泰の兄の宇文洛生は誅殺されています。

まあ、宇文氏みたいな鮮卑の名門の場合は、

流民とは別の扱いをされていたようですが。


そんなこんなで、

戦よりも厄介な戦後処理もそつなくこなし、

爾朱榮さんは葛榮の賊徒を平定したのです。


これは、

爾朱兵団内では六鎮の乱について

かなり研究していたのでしょうね。


識者もビックリだったようです。


捕らえられた葛榮は檻車で洛陽にドナドナ、

翌月には洛陽の市で斬首されて終わります。


この戦功により、

孝荘帝は長い詔を下して爾朱榮を大絶賛、

大丞相、都督河北畿外諸軍事の官を加え、

食邑一萬戶を加えて合計三萬となります。


詔は長いので以下、ご参考までということで。



乃檻車送葛榮赴闕。

詔曰、

「功格天地、錫命之位必崇。

 道濟生民、褒賞之名宜大。

 是以

 有莘贊亳、不次之號爰歸。

 渭叟翼周、殊世之班載集。

 況

 導源積石、襲構崐山、

 門踵英猷、弼成鴻業、

 抗高天之摧柱、

 振厚地之絕維、

 德冠五侯、

 勳高九伯者哉。

 太原王榮代荷蕃寵、世載忠烈、

 入匡頹運、出剿元兇、

 使積年之霧倏焉滌蕩、

 數載之塵一朝清謐。

 燕恒既泰、趙魏還蘇、

 比績況功、古今莫二、

 若不式稽舊典、增是禮數、

 將何以昭德報功、遠明國範。

 可大丞相、都督河北畿外諸軍事、

 增邑一萬戶、通前三萬、餘官悉如故」


乃ち檻車にて葛榮を送りて闕に赴く。

詔して曰わく、

「功は天地に格しくんば、錫命の位は必ず崇し。

 道に生民を濟わば、褒賞の名は宜しく大なるべし。

 是れ以て有莘は亳に贊じ、不次の號は爰に歸し、

 渭叟は周を翼け、殊世の班は載集せり。

 況んや

 源を積石に導き、構を崐山に襲い、

 門に英猷を踵ぎ、弼けて鴻業を成す。

 高天の摧柱に抗い、厚地の絕維を振るい、

 德は五侯に冠たり、勳は九伯に高きものならんや。

 太原王たる榮は代々蕃寵を荷い、世々忠烈を載せ、

 入りて頹運を匡し、出でて元兇を剿し、

 積年の霧をして倏焉に滌蕩せしめ、

 數載の塵をして一朝に清謐たらしむ。

 燕恒は既に泰く、趙魏は還って蘇り、

 績を比して功を況ぶるに、古今に二なし。

 若し舊典を式稽して是の禮數を增さずんば、

 將に何ぞ以て德を昭かにして功に報い、

 遠く國範を明らかにせんや。

 大丞相、都督河北畿外諸軍事たり、

 邑一萬戶を增して通前三萬とし、餘官は如の悉かるべし」と。


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マジメに調べずテキトーに語る南北朝時代北魏末の人々。 河東竹緒 @takeo_kawahigashi

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