韋孝寬②唐と宋の頃の史家が選んだ「古の名将たち七十四人」一挙公開!


先に王思政おうしせいの列伝を読んだ際、

韋孝寛には「名将」の肩書きをつけてみました。


これは独断というわけではなく、

後世の評価に拠っています。


述べて作らず、接して漏らさず。


後世といっても、

唐や宋なのでたいがい古いです。


新唐書しんとうじょ禮樂志れいがくし武成王廟ぶせいおうびょうに関する記事がまとめられております。


武成王って誰やねんという話ですが、

太公たいこう尚父しょうほ

太公望たいこうぼう

呂尚りょしょう

姜子牙きょうしが

です。


釣りの最中に周の文王にスカウトされ、

武王と一緒に殷を滅ぼした人。

超絶荒唐無稽系伝奇小説

封神演義ほうしんえんぎ

でもおなじみですよね。


唐の宮廷には太公望を祀る廟があったらしい。


その廟は唐の玄宗=李隆基りりゅうきの治世、

開元かいげん十九年(731)に初めて置かれ、

太公尚父廟と呼ばれていました。


軍勢が出発する時の儀礼や、

武挙ぶきょ

(=科挙に対して武官を登用するシステム)

の合格者が任官前にこの廟を拝したようです。


この時は、

劉邦りゅうほうに仕えた張良ちょうりょうが配されています。


配するとは、

配享はいきょうとも言われ、

廟でメインに祀られる神や人に加えて、

サブで祀られる神や人を言います。


だいたい、

皇帝の廟に功臣を配する例が多いですね。


なので、

当初は太公望がメインで、

張良だけがサブだった。


それから20年ほど後、

乾元けんげん元年(760)に孔子廟の十哲=十人の弟子になぞらえて古今の名将から十人が配されることになりました。


廟は中央に太公望の像が置かれ、

その左右に名将たちが配されたようです。


向かって右に並んだのが以下の五人。

 白起はくき(戦国末、秦)

 韓信かんしん(前漢)

 諸葛亮しょかつりょう(蜀漢)

 李靖りせい(唐)

 李勣りせき(唐)


左にも以下の五人が並んでいました。

 張良ちょうりょう(前漢)

 田穰苴でんじょうしょ(春秋、齊)

 孫武そんぶ(春秋、呉)

 呉起ごき(戦国、魏)

 樂毅がくき(戦国、燕)


おおむね小説の主人公クラスの有名人です。


諸葛亮の後が唐の李靖と李勣というのも唐突な気もしますけど、唐朝建国の功臣だから順当です。


知名度では、

田穰苴(別名、司馬穰苴、『司馬法』の著者)、

李靖(唐の太宗に仕えた超絶名将)、

李勣(本名は徐世勣、野盗上がりの超人)

の三人はマイナー寄りかなあ。


ホントは超有名ですが、日本だからネ。


さらに20年ほど後、

建中けんちゅう三年(782)にも

この廟に関わる詔が下されます。


詔史館考定可配享者,

列古今名將凡六十四人圖形焉。


 史館に詔して配享すべき者を考定せしめ、

 古今の名將凡そ六十四人の圖形を列せり。


史館に勤める史官が史書をひっくりかえして探し、

六十四名が追加されて先の十人と合わせて

七十四名になります。


激増。A●Bより多いやんけ。


この時に追加されたのが以下の方々。

ズラーッと並びます。

お好きな方にはたまりませんね。


これまた左右に分かれていたのですが、

時代別に並べなおしてみます。


時代の見出しに対して一段下げが十哲相当、

それ以外は二段下げにしています。


順番はなんとなくなんで、

あまり気にしないで下さい。



春秋戦国

 孫武そんぶ(春秋、呉)

 田穰苴でんじょうしょ(春秋、齊)

 白起はくき(戦国、秦)

 呉起ごき(戦国、魏)

 樂毅がくき(戦国、燕)

  范蠡はんれい(春秋、越)

  管仲かんちゅう(春秋、齊)

  田單でんたん(春秋、齊)

  孫臏そんぴん(戦国、齊)

  廉頗れんぱ(戦国、趙)

  趙奢ちょうしゃ(戦国、趙)

  李牧りぼく(戦国、趙)

  王翦おうせん(戦国、秦)


秦末漢初

 張良ちょうりょう

 韓信かんしん

  彭越ほうえつ

  曹參そうしん

  周勃しゅうぼつ


前漢

  周亞夫しゅうあふ

  李廣りこう

  霍去病かくきょへい

  衞青えいせい

  趙充國ちょうじゅうこく


後漢

  鄧禹とうう

  寇恂こうじゅん

  呉漢ごかん

  馮異ふうい

  耿弇こうえん

  賈復かふく

  馬援ばえん

  段熲だんけい

  皇甫嵩こうほすう


三国時代

 諸葛亮しょかつりょう(蜀漢)

  張遼ちょうりょう(魏)

  關羽かんう(蜀漢)

  周瑜しゅうゆ(呉)

  陸遜りくそん(呉)

  鄧艾とうがい(魏)

  張飛ちょうひ(蜀漢)

  呂蒙りょもう(呉)

  陸抗りくこう(呉)


西晋

  羊祜ようこ

  王濬おうしゅん

  杜預どよ

  陶偘とうかん


東晋十六国

  謝玄しゃげん(東晋)

  慕容恪ぼようかく(前燕)

  王猛おうもう(前秦)

  檀道濟だんどうさい(劉宋)

   ◆宣和五年の選定で登録抹消

  王鎮惡おうちんあく(劉宋)


南北朝

  長孫嵩ちょうそんすう(北魏)

   ◆宣和五年の選定で登録抹消

  慕容紹宗ぼようしょうそう(北齊)

   ◆宣和五年の選定で登録抹消

  于謹うきん(北周)

  韋孝寬いこうかん(北周)

  斛律光こくりつこう(北齊)

  宇文憲うぶんけん(北周)

  王僧辯おうそうべん(梁)

  呉明徹ごめいてつ(陳)


  楊素ようそ

  賀若弼がじゃくひつ

  史萬歲しばんざい

  韓擒虎かんきんこ


 李靖りせい

 李勣りせき

  尉遲敬德うつちけいとく

  李孝恭りこうきょう

  蘇定方そていほう

  裴行儉はいこうけん

  張仁亶ちょうじんせん

  郭元振かくげんしん

  郭子儀かくしぎ

  張齊丘ちょうせいきゅう

   ◆宣和五年の選定で登録抹消

  王晙おうしゅん

  王孝傑おうこうけつ



三国時代までで考えると、

前漢の趙充國ちょうじゅうこく

後漢の段熲だんけい

が一番マイナーですかね。


後漢初めは光武帝関連の小説もありますから、

昔ほどのマイナー感はなくなった気がします。


西晋以降は壊滅的です。

一部のマニアしか知らんぞ、これ。


『続三国志演義』を翻訳した都合上、

西晋までは馴染みがありますけど、

それも一般的な知名度ではないですし。


羊祜ようこ

王濬おうしゅん

杜預どよ

あたりは三国志の終わりの方に

チラッと出てきますけど、

そこまで読む人も少ないでしょうし。


ちなみに、

『続三国志演義』でも触れたのですけど、

杜預は日本の春秋学の方で慣例的に

「どよ」と読まれているだけで、

別に「とよ」でもいいと思います。

というか、それなら

「杜甫」が「どほ」になるだろうが!

誰だよ!!


それはさておき、

知名度では陸遜の子の陸抗りくこうもアブナイです。


正史の本紀の人や『晋書』載記の人は

除外されていますね。


それぞれの人にコメントするだけでも

けっこうな量になってしまうので省略します。


しかし、

日本ではさて平安京に遷都しましょうかの頃、

すでにこれだけ歴史の蓄積があったと考えると、

「うーん」と唸ってしまいますね。


唸ったところで何も出ませんけど。


ついでに、

宋史そうし禮志れいしにも

武成王廟の記述があるのですよ。


340年ほど後の宣和五年(1123)に

72人の名将が選ばれています。


そこで落とされた人には付記しておきました。


「◆宣和五年の選定で登録抹消」

と書かれている人たちがそれです。


劉宋の檀道濟だんどうさい

北魏の長孫嵩ちょうそんすう

北齊の慕容紹宗ぼようしょうそう

唐の張齊丘ちょうせいきゅう

の四人が落とされています。


この時、

唐代から

李光弼りこうひつ

李晟りせい

の二人が新たに追加されていますので、

宣和五年に選ばれた名将は74-4+2で72人です。


すでにお気づきかと思いますが、

韋孝寛は建中三年も宣和五年も入選しており、

少なくとも唐や宋の頃に名将を選ぶ際には、

常連だったと言えます。


なので、

肩書きを名将にしてみたわけですね。


その割りには知られていない。


そこで、

そんな韋孝寛の伝を読み、

詳しくなってみたいと思います。

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