第二十六章

第二十六章① 星空を征く

 ベブルたちは星の世界を歩き続けた。


 だが、世界は余りにも広大で、少しも進んでいるように感じられない。


 星は瞬きを繰り返している。


 激しい光を放つ星、冷たく光る星、そして、光らない星。この世界には、様々なものがある。


 光が映えるのは、そこに闇が存在するからだ。そして、よく闇を見ると、光よりも、闇のほうが不思議な強さを持っているようにさえ思えてくる。


 光は、闇が映えるために存在しているのかもしれない。


 そしてまた、別のようにも思われてくる。


 光と闇とは、対極のものでありながら、少しも互いに相容れぬものではない、と。



 時は光のように流れた。


 また、闇のように波打った。



 ベブルたちの行く先に、ひとりの若い女が現れた。


 白い髪、白い肌、白い服——顔には紅い模様があり、無数の光を映し込んだ深い赤目が、まるで星空のように輝いている。


 だが、それはまやかしに過ぎなかった。彼女の持つ星空は、歪んだ星空だった。そう見えるように精巧に造り上げられた、虚構に過ぎない。


 その女は、闇の中で、淡く光り輝いている。


 ベブルは直観する。こいつの光は、こいつの闇は、俺の嫌いな奴だ。造り物、贋物にせものだ。そして、本物を贋物に引き摺り落とし、すべてを贋物にする——。


 この光と闇が、デューメルクの光と闇を消し去った——!


「よくぞわらわのもとへ、我が子たちよ」


 その女は両手を広げた。髪は長く、顔立ちはベブルとムーガと、そしてユーウィの三人に良く似ていた。性別を考えれば、髪や瞳の色を変え顔に模様を描いたムーガかユーウィ、というところだった。


 だが、やはりそのふたりとも異なっていた。まるで人のものとは思えぬ、冷ややかな瞳、虚ろな瞳、それでいて、捉えどころのない不安と恐怖とを与える瞳。


「我が名は、すべての支配者イフィズトレノォ


 女神“イフィズトレノォ”の声が星の世界を響き渡った。


 ベブルたちはそれぞれに構えを取る。


「“イフィズトレノォ”!」


「愛しい我が子、ベブルよ。お前は実によく働いてくれた。これまで妾は、この世界のみの支配者であった。それは外の者たちの道具でしかなかったのだが……。ついに、すべてを取り込み、すべての支配者になるのだ。これまで妾の外側にいた者たちも、妾の抱く幻想のひとつに過ぎなくなる」


 ベブルが叫ぶように言う。


「ふざけんな! てめえの勝手で、俺たちの世界が潰されて堪るか!」


 “イフィズトレノォ”は歪んだ微笑を浮かべる。


「世界? 世界とはこの妾のこと。むしろ、この瞬間、妾は新たに生まれるのだ。非存在から存在へと。幻想から実在へとなるのだ。妾の思考の一部でしかなかったアーケモスなど、構わぬことではないか。この後に、新たな実在の世界が生まれるのだから」


「構わなくなどない!」


 オレディアルが魔導銃剣の切っ先を女神に向けた。


 ヒエルドもできる限りの大声で主張する。


「そうや! アーケモスは僕らのアーケモスや! 馬鹿にせんといてや! 未来も、そのずっと未来も、いろんな人が住む世界なんや!」


「そうです」


 ユーウィは魔剣『闇を裂くものウィエルドゥウイ』の柄を握り締めた。


「新しい世界を創るからって、いまのわたしたちの世界を潰すなんて許さない! それも、そんな自分勝手で!」


 ムーガも構えた。彼女は魔術師だというのに、構え方はいつも、素手で戦うベブルと似たようなものだった。


 “イフィズトレノォ”は微笑む。それは、嘲りの微笑だった。


「妾の世界の中で起こっていたことなど、妾の思考の一部に過ぎぬというのに……」


「そんなこと知るか! 俺たちが住む以上、この世界は俺たちのもんだ! 貴様なんぞに好き勝手させるか!」

 

 ベブルは拳を大きく振った。


 女神“イフィズトレノォ”は嗤い始めた。最初は声を抑えて肩だけ揺らしていたのが、次第に口から声が漏れ始め、最後には星の世界全体を響かせる高笑いとなった。


 星々は恐れているのだ。この、世界の支配者イフィズトレノォの怒りを。


「よいだろう、我が子らよ。母に逆らうというのなら、そのような子らは必要ない。妾自らが速やかに抹消してやろう」


 女神はその両腕を掲げ、より一層その輝きを増した。淡い輝きが毒々しいそれに変わる。周囲の闇を、自らの輝きで消し去ろうとする、独り善がりな光だった。



 “イフィズトレノォ”は右手をベブルたちのほうへ向ける。すると、星の世界は一瞬にして炎の世界へと変わる。


 ベブルの仲間たちは全員、瞬間的に反応して魔力障壁で身を包み、炎から身を守った。だが、ベブルだけは、そのまま突き走ると、世界の女神に殴り掛かった。


 『消滅の力』を載せた拳だったが、女神を消滅させることはできなかった。それどころか、“イフィズトレノォ”をほんの少し動かすことさえできない。


「なに?」


 女神は微笑む。


「ベブルよ。消去する命令を出そうとも、この世界は妾のものなのだ。妾が消去命令を許可せぬ限り、その力は発動せんのだ」


 それでも、ベブルは更に連続で殴りかかった。だがやはり、世界の女神は微動だにしない。まるで、彼の突きなど、存在しないかのように。


 炎が消え、星の世界へと戻る。


「“イフィズトレノォ”―――ッ!」


 雄叫びを上げながら突進し、オレディアルは女神の首目掛けて魔導銃剣を振り下ろした。しかし、女神の身体は、逆にその大きな剣を弾き返してしまう。


 女神は片手で横に薙いだ。その手はいとも簡単に、オレディアルの魔導銃剣の刀身を切断してしまう。この驚異的な攻撃に、彼は思わず後退った。


 女神は微笑んだまま、少しも表情を変えなかった。


「ご苦労だったな、オレディアル・ディグリナート。お前が過去に行くことで、妾の三人がこうして出会ったのだ。礼を言うぞ」


 オレディアルは刀身を半分失った魔導銃剣の魔導銃部分を起動し、それを“イフィズトレノォ”に向け連射する。だが、少しも効いていない。


「礼など不要だ! 私はお前を倒すためにここまで来たのだからな!」


「倒す? 面白いことを言う……。いままでお前は、妾のために働き続けていたのだぞ」


「なに……?」


「妾は世界の外を滅ぼすため、妾の『器』たるムーガを手に入れた。だが、それだけでは不十分だった。妾のしもべであるベブルとユーウィは集まらなかったのだ。しもべたちは別々の時代にいたのだからな。それゆえ、世界の外側を滅ぼすには、妾のつくり出した三人がひとところへ集まる必要があった」


「な、それでは……、まさか……」


 オレディアルは魔導銃を撃つのをやめた。


「お前は妾のために過去へ赴き、妾のためにその三人を引き合わせたのだ」


 世界の女神の声が響いた。


 ベブルが怒鳴る。


「何だと!」


「妾は世界であるぞ。『お前たちが時を越えて出会っていたという物語』をつくり出すなど、容易いこと」


 ベブルたちは驚愕する。女神は肩を震わせて嗤った。


「妾は未来のアーケモスを破滅へと導いた。オレディアルは歴史変えるために過去へ赴くであろう。過去において、妾の『器』たるムーガを殺すか? それは無理であろう。そして、更に過去へ、過去へ向かう……。そのお陰で、妾は妾の『器』、妾のしもべ、それらのすべてを揃えることができた。感謝しようではないか」


 ムーガは唇を噛む。


「そんなために……。そんなために、わたしを使って未来を滅ぼしたのか!」


「だから何だというのだ。妾は、『器』と、世界の外に対する戦力を求めただけだ。それ以外の人間など、妾には必要ないのだから」


 “イフィズトレノォ”は澄ました声でそう答えた。


「ふざけるな!」


 ベブルは思い切り、世界の女神の腹を殴りつけた。だが、やはり全く効いていない。


「そして、ベブル。お前だけは、唯一、人間の中で妾の言葉を聞くことができた。これは、妾の予想を超えていた。その結果、世界の外を滅ぼすのは、妾が期待したよりも随分早くに実現した。可愛いベブルよ、お前には感謝している」


「ふざけるなって言ってるだろ!」


「しかし、実に惜しい。ベブルも、ユーウィも、妾のしもべとなるべくつくったというのに、妾の命令に逆らうようだ。それゆえ、母はここでお前たちを処分してやらねばな」


「冗談じゃないです! わたしたちの望みは、わたしたちの世界を守ることです。そのために、貴女に処分されるわけにはいきません」


 ユーウィが毅然と言った。そして、魔剣『闇を裂くものウィエルドゥウイ』で、“イフィズトレノォ”に何度も斬りかかった。だが、やはり、まったく効果がない。


「そして妾は『器』を得て、実在となるのだ。妾は美しき現実の存在——美しき支配者になるのだ。……ああ、素晴らしい」


 ヒエルドが呪文を唱え、水の魔法を世界の女神にぶつける。


「美しくなんかない! そのためにアーケモスの人みんな犠牲にするんやろ? そんなんで、綺麗なわけないやんか!」


「所詮、人間ごときには理解できぬか」


 “イフィズトレノォ”は片腕を振り、一番近くにいるベブル、そして彼の仲間たちを撥ね飛ばした。彼らはいとも簡単に仰向けに倒される。ベブルだけが、すぐに起き上がり、立ち上がった。


 世界の女神は手を高く掲げ、巨大な炎の玉をつくり出している。彼女は、彼らをこれで焼き殺すつもりなのだ。


「少しの理解程度ならばできると思うたが、所詮は人間。買い被りであったか。さあ、滅ぶがよい! 創造者の怒りを思い知れ!」

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