第二十二章③ 劫火の宿命
夜になると、どの地域でもレイエルス軍は引き上げていった。まだ、どこの都市も取られてはいない。ヴィ・レー・シュトとラトル、そしてボロネはほとんど壊滅状態だったが、その分、アーケモス軍が多めに配置され、人々に協力を行っていた。
ムーガはデルンタワーの作戦本部に部屋を持っていた。なにかあればどこへでも魔導転位装置で飛べるので、彼女は毎日ここに戻って、全体の状況を再確認しているのだ。そののち、彼女は自分に与えられた部屋で眠る。スィルセンダ、ウェルディシナ、ディリアも同様に本部で眠っていたが、ウィードやオレディアルは戦地に残って、急な戦闘に備えている。
ベブルにも部屋はあったが、彼はそこには行かず、わざとひとりで、デルンタワーの露台に出ていた。そこから見渡せるのはデルン市の街並み。六十年前とは違って、高い建物は他にも多くあるので、街がそれほど下にあるわけではない。いまはまだ、この街の中心地までレイエルス軍に攻められたことはない。ファードラル・デルンがいなくなっても、ここはアーケモスの首都のようなものだ。おいそれと敵を侵入させないように、配備されている軍隊は最大のものを用意していた。
月が出ている。
月面基地からここまで、なにも遮蔽物などない。向こうがその気になれば、この街など一瞬にして炎で包むことができる。ベブルは言いようのない無力感を抱いた。
背後に気配を感じる。
だがベブルは振り返らなかった。誰が来たかなどわかっているからだ。
ムーガだ。彼女は手摺に手を掛け、彼と同じようにデルンの街並みを、そして星空を見やった。
風が吹いた。
「月が出てるね」
ムーガも同じことを考えていたのだ。
「ああ」
ベブルは静かに答えた。
「それに、この星空の向こうに、わたしたちの敵がいるんだよね」
「……ああ」
それから、ふたりは沈黙していた。
どこまでも広がる星辰世界。
とても静かだった。ずっと、過酷な戦いが続いているとは思えないほどに。
ムーガは小さな声で言う。
「ごめんね」
「なにがだ」
「また……、今日も泣いたね。戦には勝ったけど、どうして、勝ちなのに、あんなに多くの人が死んじゃうのかな。アーケモスの人も、レイエルスの人も」
「泣くのは戦いが終わってからだ」
「それ、何度も聞いた」
星空の向こうに。レイエルスはそこにあるのだ。そこから、アーケモスを滅ぼそうとする軍隊が送られて来る。彼らはその敵と、戦わなければならない。
「……のに」
「何だ?」
ムーガはなにか言ったが、ベブルには聞き取れなかった。なにか騒音にかき消されたわけではない。辺りは静寂に包まれている。彼女の声が余りにもか細く、緩やかな風にとけてしまったのだ。
「こんなときに、フィナがいればいいのに……」
ベブルはなにも答えなかった。
「ごめん。これもまた言って、ベブルを怒らせたのに……。フィナが普通の学生だったのはわかってる。だけど、ベブルとフィナが揃いさえすればって……。ごめん、これまでずっと、ふたりのお陰で何とかなってきたから……」
ベブルは溜息をつき、手摺にもたれかかる。ムーガは少し慌てたように、また謝る。
「ごめん……」
「……怒ってねえよ」
「え?」
「ただ、俺自身が思い知らされちまうんだ。こんなに、あいつを頼りにしてたんだな、ってな……。あいつが見たら、なんて言うか……」
「……見て」
「ん?」
「いいから見てよ、綺麗な星空」
ムーガに言われるままに、ベブルはまた空を仰ぐ。彼女は無理に湿った空気を取り払おうとしている。少々わざとらしかったが、ベブルは自分自身が彼女に不安を与えていたことに気が付いた。思えば、ベブルが彼女に意気消沈している姿を見せるのは珍しい。
ベブルは気が滅入っていることを自覚し、自分に言い聞かせる。自分の仕事は、ムーガを支えることだ。落ち込むのは、戦いが終わってからだと。
ムーガの声が空に心地よく響く。
「前に言ったよね」
「ん?」
ベブルはムーガのほうを見やった。ムーガは夜空を眺めていたが、やがて彼女も彼のほうを向く。ムーガは微笑んでいた。彼を元気付けるために。
「わたしが星の世界から来たんじゃないかってこと。わたしの居場所はもっと遠くにあるんじゃないかってこと」
「ああ、言ったな」
「いまもそうなんだ」
ムーガはそう言って、手すりに両肘を掛けた。そしてまた、星々を眺める。
ベブルは黙っていた。
ムーガは溜息をつくと、また言う。
「でもね、わたしの居場所はレイエルスじゃないの。アーケモスなの。わたしはこのアーケモスが好き。誰にも渡さない。わたしはここで、みんなに出会ったんだから……」
「……そうか」
「ねえ、ベブルは?」
ムーガはまた、ベブルのほうを向いた。その顔は、星明りに美しく輝いていた。彼は一瞬、呼吸をするのを忘れた。
「俺は……」
++++++++++
十日目、オルスが予告した、戦いの最後の日がやって来た。
予想どおり、この日投入されたレイエルス軍はこれまでの比ではなかった。だが、それでも勝たねばならない。このまま一気に敗北してしまうなど、あってはならないのだ。
アーケモスじゅうで激しい戦いが繰り広げられた。ベブルは最も戦いの激しいデルン市地域で戦っていた。
レイエルス側の召喚獣は非常に強力だった。“アドゥラリード”こそいないものの、巨大な獣人“ハゾナム”や烏賊の脚が生えた大男“タレア”、そして“白雨の悪魔マディリブム”など、さまざまな怪物がアーケモス上に投入された。
そういった巨大な怪物たちは、基本的にはベブルたちが相手にした。彼らは、次々と巨大な怪物たちを倒していく。
“マディリブム”などは、ウィードひとりで十分だった。空を飛ぶ怪物は、彼の起こす魔法の竜巻の格好の餌食だ。
怪物たちを倒し終え、あとはアーケモス軍と共にレイエルス軍を攻撃するだけだ。そうベブルが思ったときに、アーケモス軍側に強烈な吹雪が巻き起こり、同時に小隕石が幾つも降り注いだのだった。
兵士たちは慌てふためき、戦いどころではなくなってしまう。そこへ、レイエルス軍が一気に猛攻撃を仕掛けた。
ベブルには判った。これがオルグスの使っていた魔法と同じであるということに。
周囲を見回すと、遠くにオルスがいるのがわかった。約束どおり、彼はここへ来たのだ。
ベブルは走り、そこへ向かう。その際にウィードもそれに気付き、彼もベブルの後を追った。
雄叫びと、そして悲鳴が木霊する中で、ベブルはオルスの前に到着した。
今回のオルスは、オルグスの使っていた魔剣と、手袋を持っていた。ユーウィが使っているものと同種の、特別な武器だ。
オルスは魔剣を構える。同様に、ベブルとウィードも構えた。
「さあ、勝負だ!」
オルスから打って掛かった。ベブルは魔剣による攻撃を防ぎ、反撃する。だが、それはオルスの魔力障壁に防がれる。
いまのオルスは異常に速かった。“高速の魔法”が掛かっているのだ。
だがそれでも、ベブルたちには負けられないのだ。
ウィードが“
ウィードは魔剣でオルスの胸を突き破る。
オルスは魔剣を取り落とした。ウィードが魔剣を引き抜くと、オルスは倒れ、大量の血を吐いた。だが、それでもその顔は嗤っていた。
ウィードは冷たく言う。
「貴方の負けです」
オルスは嗤う。
「そうだな。約束どおり、この時代のアーケモスからは軍を退こう」
「てめえ……!」
ベブルが吼えたが、血塗れのオルスは嗤っているだけだった。口から零れ出る血が、地面に広がっていく。
「六十年前で待っているぞ。勝負の規則は同じだ。……十日間、守り抜けるかな……?」
「ふざけろ!」
ベブルは倒れているオルスを『破壊の力』で殴った。オルスは消滅する。
そして、それと同時に、ここで戦い、殺しあっていたはずのレイエルス兵も、アーケモス兵も、共に消えて去ったのだ。
残ったのは荒れた大地のみ。
辺りに飛び散っていた血も、転がっていた死体も、すべて消えていた。
彼方に廃墟が見えるようだが、それが大都市デルンの成れの果てだった。
++++++++++
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