第十八章⑤ 折れた心のままで

 アーケモス帝国・帝都デルン、デルンタワー襲撃当日。


 大魔術師ファードラル・デルンは、アーケモス帝国の象徴であるデルンタワーにおいて、一階の大広間で宴会を催していた。


 招かれたのは大帝デルンと癒着した大金持ちたち。ファードラルは彼らに自分の支配力の一部を貸し与え、彼らは自分たちの儲けの一部を彼に上納していた。そこでは、人々のための社会機構は崩れ去り、一部の人間が一般階級から財産を巻き上げることが『正しい』社会機構として幅を利かせていた。



 日が沈んだころ、雨の降る広場に転位魔法で姿を現すものがあった。


 ベブルたちだった。


 『アールガロイ真正派』を滅ぼされてしまったので、ナデュクが黒ローブを着ていないのは当然だった。そんなものを着ていれば、一般人にさえすぐに通報されてしまうだろう。


 一方で、白いローブもそれなりに目立つものだった。大都市では、魔術師であることは一般人ではないことを示すのに近いようなフシがあるからだ。それに、反乱軍の頭であったムーガ・ルーウィングが白ローブを羽織っていることは有名だったし、彼女の率いた反乱軍が白黒混在の魔術師集団であったこともよく知られている。


 そのため、ムーガもフィナも、いまは白いローブを着ていない。そして、以前もそうだったように、『黒髪の三つ編み』は目立つということで、フィナはいつもの三つ編みを解いている。変わりに、『桃色の長髪』が目立つということで、ムーガのほうが三つ編みにして、更に砂避け帽子オウァバを被っている。これは手配写真の彼女と少しでも変えようという苦肉の策だった。そしてふたりとも、黒い上着を着ていた。


 ベブルは以前変装したときと同じように砂避け帽子オウァバを被り、黒い外套を羽織っていた。ムーガもそうだが、桃色の髪は目立つのだ。だからふたりとも、髪が自然に隠れるようにしている。


 ウィードもレミナもスィルセンダも、それなりには服を変えてきた。これで一般人とはあまり変わらない。特に、レミナは従来、身体にぴったりとくっつく設計のレイエルスの服を着ていたので、アーケモスの普通人の格好をするだけで、随分と印象が変わった。また、ウィードとレミナは以前ここに攻め込んだことがあるので、印象の違う服を着るのは必要条件だった。



 一同はそこから、デルンタワーへの短い距離を歩く。といっても、広場とデルンタワーとの間には大通りがあったので、そこを走る“魔導車”が通り過ぎるのを待つ必要があった。


 音もなく、柔らかな雨が降る。


 空は、真っ黒だった。


 待っている間に、その周囲をデルン市民が近づいてきては遠ざかる。大勢の人々が、街を行き交っていた。人々の声が聞こえてくる。


 あの戦いは本当に酷かったね。


 私の兄は兵士だったんだけど、その戦いで……。


 最後には指導者が逃げたんだってよ。


 あいつのせいで、全然関係なかった弟が巻き込まれたんだ。


 連中は何がしたかったんだ。


 デルン様に敵うわけがないんだから、もうそっとしておいてくれ。


 余計なことをして、酷い目に遭うのは俺たちなんだ。


「ねえ」


 ムーガが、隣のベブルに訊いた。


「ん?」


「わたしたちって、正しいのかな?」


 ふたりはじっと、黒い雨に打たれていた。


「さあな。だが、ここはデルンの都市だ。……だが、お前は、本当の声を聞いたんだろう? ジル・デュールで叫びながら死んでいく人間の声、それに、ヴィ・レー・シュトの連中の訴える声を」


 ムーガは、ゆっくりと、しかし、深くうなずく。


「うん。……そうだよね」


「いくぞ」


 ナデュクが言った。“魔導車”の流れは止まっていた。


 通りの向こうには——デルンタワー。デルンの本拠地だ。



 一同は塔の裏に廻った。すると、丁度、物品の搬入口が開く。それを開けたのは、女給の格好をしたウェルディシナだった。


「こっちだ」


 言われるままに、ベブルたちは塔の中に入った。全員が入ると、ウェルディシナが扉を静かに閉める。


「この塔に施されている“隔離の魔法”を中和した。いまに気付かれるぞ」


 ナデュクはそう言った。


 一同はナデュクを先頭に、細い道を突き進む。暗い道だった。遠くから騒がしい宴会の声が聞こえてくる。


 ベブルたちは宴会を催している明るい大広間に出た。どうやらデルンはここにはいないようだ。


 ここで、先頭がナデュクからウェルディシナに代わる。


「こっちだ」


 ウェルディシナに従って、ベブルたちは歩いた。壁沿いに進み、客が普通に利用する沢山の転送装置がある場所に行くかに思われたが、そこを通り過ぎて、彼らはまた別の細い道に入った。


 幾度か角を曲がると、暗闇の中に薄く光る大きな装置を発見した。魔導転送装置だ。こんな隅にあるので、普段は大したところには繋がっていないものだろう。しかし、いまだけは違う。ナデュクが仕入れた『改造暗号』をウェルディシナがすでに入力してあるので、いまだけはデルンタワーの上層——『封印階層』へと繋がっているのだ。


 ベブルたちはそれに乗り込んだが、ナデュクだけはそれに乗らず、杖を手に召喚してその柄で床を叩いた。するとそこに、ひとり分くらいの光の魔法陣が現れる。


 この暗闇の中で、ディリアがやって来る。彼女は大声のする騒がしい方向からやって来たのだ。


「まったく、ナデュク、あんたの見立てどおり、これはかなり有効だったわ」


 ディリアは自分の髪を示した。彼女の長い青髪は、肩辺りの高さで左右に分けて平紐で括られていた。彼女は元々幼く見られる顔立ちと身長の持ち主だったが、そうすることにで、その幼さは更に際立っていた。


 ディリアは溜息をつき、苛立たしげに髪を解く。


「このあたりを担当する他の給仕に眠って貰うときに、人気のない場所に誘導するには大変役に立ったわ。流石に、女相手には役に立たなかったけど……。それにいまも、向こうの豚共の注意を引くには物凄く効果があった。自分でも、自己同一性が崩壊しそうなくらいにね。あんたの目は間違いなかったわ」


「土産話は後にしてくれ」


 ナデュクはそう言って、自分のつくった魔法陣から離れた。ようやく完成したのだ。それはここから外への——ずっと遠くへの転位の魔法陣だ。ただし、彼の工房の場所が割れてはいけないので、直接そこに転位させることはしない。


「面白い話はあとでたっぷり聞かせてもらうからな。ふたりはそれに入って帰ってくれ。“隔離の魔法”が中和されている間だけ外に出れる。ふたりが使えば勝手に消える。それと、俺たちが『封印階層』へ転送されたら、この装置を破壊してくれ」


「わかった」「わかったわ」


 ウェルディシナとディリアはそれぞれ、ナデュクの指示を了解した。彼は、ベブルたちが乗って待っている魔導転送装置に乗り込んだ。そして、上の階に転送された。


++++++++++


 封印階層というだけあって、ここに人の気配は全くなかった。


「さてと」


 ナデュクはそう言いながら、転送装置から出た。それに続いて、ベブルたちも降りる。


「ここからが勝負なんだな」


 ベブルが言うと、ナデュクは首を縦に振る。

 

「そうさ。流石の俺も、直接対決で相手を出し抜くなんてことはできないからなあ」


「期待してましたのに……」


 スィルセンダが残念そうに言った。


「やるしかないよ」


 ムーガがスィルセンダを宥め、フィナがそれに同意する。


「そう」


「数はこちらのほうが上ですよ」


 そうウィードが言うと、レミナが付け足す。


「それは、相手がデルンとディグリナートと“アドゥラリード”のみの場合です」


 それから、ナデュクが言う。


「そこは大丈夫だと思う。ここの転送装置も一時的に使えなくしたからな。復旧作業には時間が掛かるが、その前にデルンに戦いを挑めばいい。奴は増援を呼べないはずだ」


 ベブルは右の拳を左手のひらに打ち付ける。


「よし! 行くぞ!」


 ベブルたちは走り出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る