第十六章⑧ 望まぬ戦い

 その言葉通りにすぐ襲い掛かってくるものと思い、ベブルたちは身構えた。だが、ところが実際にはそうはならなかった。


 オルグスは魔剣を取り落としたのだ。


 魔剣の光の刀身が消える。


 そして、は言葉にならない呻きを上げ、オルグスは頭を抱えてくずおれた。


「ぅ……あ……」


 なにが起こっているのか、ベブルたちにはわからなかった。


 オルグスは自分自身に言う。


「久し振りだな、オルグス。随分長い間眠っていたようではないか。俺も随分退屈だったぞ」


「き、貴様……、やはり、やはりそうか……」


 オルグスはひとりで会話しているのだ。もうひとりの彼は言う。


「ほう、いま、戦っているところか。丁度良い、俺に代わってみろ」


「させるか……」


「無駄な足掻きだな」


 その瞬間、オルグスの全身から力が抜け、彼は人形のように、赤く染まった白い地面の上に崩れ落ちた。しばらく彼は、死んだように動かなかった。


 それから、オルグスは地面に両手を付き、自分の身を起こした。そうしてゆっくりと立ち上がると、武器を拾うこともせずに、ベブルたちのほうを見据えたのだった。


「お前たちが敵か」


 オルグスはにいっと笑った。明らかに、その表情は先程までの彼のものではない。


 ベブルたちは再び戦闘体勢を取る。こうなっては、もう新たな敵と遭遇したと考えたほうがいい。ウィードはすでに魔剣を拾って立っており、治癒の魔法薬で少し持ち直していた。


 つい先程までオルグスであった者が再度名乗る。


「我が名はオルス。万物の根源にして世界の支配者。レイエルスの創造神である。と、まあ、いつもの自己紹介はこのくらいで良いだろう」


「何だ?」


 ベブルがそう言うと、オルスはじろりと彼のほうを見た。


「お前たち相手に、オルグスは随分苦戦したようだな」


 オルスは自分の身体に付いている血糊を手で掬うと、手を振ってそれを地面に捨てた。


「俺ならばそんなことにはならない」


「やってみろよ。すぐに殺してやる」


「面白い」


 オルスは笑いながら、拳を構えた。


「武器はいらねえのか」


 ベブルは、足下の魔剣を拾わないオルスにそう訊いた。いままで、オルグスは魔剣で戦っていたのだから。


「いらないな。俺は素手で何でもできる」


 オルスはまた、不敵に笑った。



「上等だ!」


 ベブルは地面を蹴り、爆発的に加速した。彼はオルスに向かって駆け、急速に間合いを詰めた。


 ベブルは、自分の目がオルスの目と合ったのがわかった。そして、無数の拳を繰り出す。だが、驚いたことに、オルスはそれを避けもしなかった。


 連続する打撃音。


 オルスの胴部はベブルの拳によって、完全に潰されていた。


 言い知れぬ奇妙さを感じ取ったベブルは、一撃、強烈な拳を放ってオルスを弾き飛ばした。オルスは血を撒き散らしながら、離れた所に落ちた。


「何なんだ……?」


 ベブルの背後で、ウィードが言った。三人とも、オルスの意図が理解できない。


「やれやれだな……」


 仰向けに倒れていたオルスは、血を滝のように流しながら、それでも起き上がり、立ち上がった。


「まさか人間でここまで強いのがいるとは思わなかった。素手でこれとか、あり得ないじゃないか。そういうことは先に言えよ……」


 オルスはそう呟いていた。何を考えているのか理解不能だ。


「折角、斬られた左腕も元に戻ってたっていうのに、これじゃあまた治療のやり直しじゃないか。またしばらくオルグスとはお別れかもな」


「てめえ、なにを言ってやがる!」


 ベブルは訳がわからず、オルスに向かって怒鳴った。これでは、オルグスのほうがよっぽどましだと彼は思った。しかしオルスは、そんな彼の言葉には反応しなかった。


「次は俺の番だ。見ていろ、すべてを消し去るこの力を!」


 オルスは垂れ流しの血に構うことなく、ベブルに向かって走り出した。だがそれは、身体が激しく潰れているために、非常に遅かった。


 オルスの拳は空間を破壊し、奇妙な音を立てた。ベブルはそれが、自分の持つ『力』と同種のものだと感じ取った。当たれば消される。だが、避けるのは困難なことではない。


 ベブルはその拳を躱し、オルスの腕を掴んだ。これでもう、オルスはそこから逃げられない。


「よくも俺の拳を避けたな」


 オルスはそう言い、自分の腕を引っ張ったが、抜けない。彼の腕よりも、ベブルの腕のほうが力があるのだ。


「お前、あの『力』を持っているのか」


 ベブルはオルスに、間近でそう訊いた。


「『力』……? そうとも、すべてを消し去る破壊の力。これぞ神の奇跡、だっ……」


 言葉の途中で、ベブルはオルスを殴った。ついいまオルスが言った、『すべてを消し去る破壊の力』をまとった拳で。彼はもう、オルスを相手にしているのが嫌になったのだ。


「さっさと消えろ、馬鹿」


 ベブルは片手を腰に当て、もう片方の手で髪を掻き揚げ、そして溜息をついた。


 オルスはよろめきながら後退りした。そして、消滅していく自分の身体を見ていた。


「お、おお……。俺が……、俺が消えていく……。許せるものか……。この俺が、人間ごときに……。引き摺り……出される……」


「しぶといじゃねえか」


 ベブルは呆れながらも、このオルスという人物が、一体何者なのか、非常に気になった。


 その瞬間、オルスは砕けていく身体でベブルに掴み掛かる。


「なにしやがる!」


「お前を道連れにしてやる。俺は外に引き摺り出されるだけだが、お前はどうかな。時間と空間が歪んだ世界に放り出されるがいい!」


 オルスは狂ったように笑った。


「放せ、てめえ!」


 ベブルとオルスはほとばしる稲妻に包まれていた。ベブルは思うようにオルスを引き剥がせない。


 オルスは嗤う。


「本来はこんなことはできないのだがな。俺の本来の身体でなければ、こういう無理はいくらでも利く!」


「てめえ!」


「ベブルさん!」


 ウィードが魔剣を手に、助けに入ろうとする。だが、ベブルはそれを制止する。


「近づくな! お前も巻き込まれる!」


「しかし……」


 そう言っている間にも、ベブルとオルスの身体は消えてゆく。ベブルの身体は異空間へと引き摺りこまれるために消えてゆき、オルスの身体は破壊されているために消えてゆく。


「俺は絶対に戻ってくる! 先に行け! 早く!」


「了解しました」


 レミナはそう、はっきりと答える。


 そして、ベブルもオルスも、そこから消えたのだった。



 静かになった。


 ウィードとレミナは、ベブルとオルスが消えた場所をしばらくじっと眺めていたが、彼らが再び現れるなどということはなかった。


「仕方がありません。ベブルさんの言うとおり、早く行きましょう。『真正派』は、もう随分前からデルンと戦っているんです」


「これでようやく、当初予定が実行可能です」


 レミナはそう言った。彼女は武装したままで、その武器を消すつもりはないようだ。これから乗り込むのはデルンの本拠地なのだから。


 ふたりは歩き、階段を上り、祭壇へと向かった。


 確かにそこには、魔導転送装置があった。おそらくはこれが、デルンタワーへと繋がるものなのだろう。


「レミナ」


 その装置を見ながら、ウィードは言った。レミナは返事をする。


「はい」


「ベブルさんは……、無事だと思いますか?」


「その可能性はあります」


「そうですね」


 ウィードはやるせなさに大きく息を吐いた。そしてそれから、ベブルが死んでしまったかどうかを確認する方法に思い至った。彼は試みに、レミナに訊いてみる。


「レミナ、ムーガさんやスィルさんのことを憶えていますか?」


「はい」


「ベブルさんのお孫さんの、ムーガさんとスィルさんですよ?」


「もちろんです」


 これなら大丈夫だと、ウィードは思った。ベブルが死んでしまえば、ムーガとスィルセンダは生まれない。彼女たちが生まれなければ、レミナの記憶の中に彼女たちがいるはずはないのだ。


「よかった。ベブルさん、貴方は必ず戻って来ますよ」


++++++++++


 ―― わらわの戦いは、準備段階を過ぎたようだ。


 ―― もはや、これからが本当の戦い。


 ―― 期待しておるぞ、我が子よ。

 

 目を覚ませ。


 眠りのときは終わった。


 戦いが始まるのだ。


 目を覚ませ、ベブルよ――



 暗く、冷たく、湿った空気に包まれていた。


 頭がずきずきと痛んだ。


「っ……てぇ……」


 ベブルは片手で頭を押さえながらゆっくりと身を起こすと、周囲を見回した。


 静かな闇と、乾いた大地、そして、空に貼り付けられている分厚く薄汚い雲の層しか、目に入るものはない。


「ここは……、どこだ?」


 そう、ベブルは言った。

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