第十六章⑥ 望まぬ戦い

 三日後の早朝、ムーガは、ヴィ・レー・シュトの反乱軍『穢れなき双眸』を率いて、西へと旅立った。まずは霊峰ルメルトスを越え、ラトルを制圧するのだ。それも理想的には、戦わずにだ。ムーガにとっては、ヴィ・レー・シュトの人々を救うつもりでラトルの人々に危害を加えては、元も子もない。


 フィナは、ベブルの意見どおりに、『穢れなき双眸』の後方支援としてついて行くことになった。スィルセンダと共にいるところを見ると、どうやら前線で魔術師として戦うつもりなのは明白だったが、ベブルは、それについては特になにも言わないことにした。それは彼女の自由なのだから。


 とはいえ、フィナの歩き方はまだどこか変だった。まだ足がうまく動かないらしい。後遺症はないと言っていたというのに。ベブルは早く治ることを期待したが、やはり時空塔に行く組に入れなくてよかったのだと思った。


 大群がパーラス荒野へと出て行くと、村は異様なほどに静まり返っていた。


 ムーガとは、ろくに別れの言葉を交わすこともできなかった。それは仕方のないことだ。彼女は『アーケモスの救世主』なのだ。旅立ちの直前に『救世主』が名残惜しい別れをしていては、兵士たちの期待を裏切ることになる。


 これで『お別れ』になんかするものかよ。


 強い気持ちを抱き、ベブルはウィードとレミナと共に、荒野を北東へと出発した。


++++++++++


 ベブルたちには、金属製の乗り物が支給された。それは、『魔導単車』というものだ。丁度、魔獣ディリムの背に乗るようにそれに跨るのだったが、その移動速度は、魔獣の足よりも速かった。これに乗ると、目的地まで十二日で行ける――つまり、『穢れなき双眸』が帝都デルンを攻める予定日よりも二日程早く到達できるのだ。


 そういうことなので、ベブルたちは少しゆっくりと進み、時空塔で待機してから神界レイエルスに突入する予定にしている。


 道中、ウィードがベブルに言う。


「過去では、デルンはどうでした?」


 ベブルは溜息をつく。


「最悪だった。裏切られるわ、ノール・ノルザニが消されるわ、デューメルクは半殺しにされるわ……。デルンの野郎、着実に強くなってやがる」


「フィナ・デューメルクさんが、大怪我をされたのですか?」


 そう訊いたのはレミナだった。


「ああ」


「もしも、わたしが過去と行き来できるのならば、そのようなことは起こらぬよう努めますが……。わたしは、デューメルクさんにも、リーリクメルドさんにも、大変お世話になりました。百八十年前に、貴方がたがいらっしゃらなければ、わたしは永久に魔界ヨルドミスで眠っていたことでしょう」


 レミナの言うことは正しかった。幼い彼女は百八十年前のヨルドミスで眠っていたのだ。その彼女を救うように、魔王ザンに言ったのはベブルとフィナだった。


 ただし、最初にレミナを救おうと言い出したのはムーガだ。だが、歴史が改変されたいまとなっては、そのような過去はすでに消滅していた。


 しかし、生まれながらにして歴史改変の影響を受けないウィードだけは、そのときのことを憶えているはずだ。彼にとって、いま、どういう状況になっているのか、ベブルは知りたいと思った。


「おい、ウィード」


「はい、何でしょう?」


 走りながら、ウィードはベブルのほうへ近づく。車輪が大地を削り、ガリガリと音を立てる。そして更に、砂煙を巻き上げた。


「お前は覚えてるよな? 俺たちが、子供のレミナを助けるためにボロネの時空塔に突っ込んで行ったこと」


 ベブルが少し声を落としてそう訊くと、ウィードは素直に答える。


「もちろんですよ。前にムーガさんが酔っ払ったときに、そのときにベブルさんが愛の告白をしたとか言ってましたよ。本当ですか?」


 ベブルは顔を顰める。


「話はそこじゃねえよ。そのとき助けようとしたレミナが、いまここにいるんだ。しかも大人になってな。お前、どう思う?」


 そう言われると、ウィードは思い出すために、斜め上を見上げる。


「もちろん、最初は驚きましたよ。本人、ムーガさんやスィルさんの古くからの知り合いだって主張するんですからね。ムーガさんたちも、同じように知り合いだと言っていますし。レミナを助けに行こうとしたときのこと、忘れてるんですね。しょうがないですけど。でも、今度のことは本当に驚きましたよ。レミナは、僕の恋人だと言うんですから」


「はあ?」


 流石のベブルも、これには面食らった。幸いにもこの話は、少し離れたところで『魔導単車』を走らせているレミナ本人には聞こえていないようだ。


「確かに、彼女は僕のタイプなんですよ。知的で、清楚で、それに美しいですし。でも僕は普段、ムーガさんの保護者をしているので、特に女性にアプローチすることはないんですよね。一体、彼女の記憶の中の僕は、どういう人間なんでしょうかね?」


 本当に、どういう過去になってしまったのか、確かにそれはベブルにも気になる。


 まさか、ウィードのほうから口説きに行ったとかだったら、お笑いだな。


「で、どうするんだ? 相手は百八十歳の、レイエルスの創造神だぞ。ソディの話じゃ、かなり位の高い神だったとかいう話だしな」


「そうですね……。でも別にそんなことはどうでもいいんですよ。彼女は僕のことを好いてくれていますし、なにより、僕も彼女のことが好きですからね」


 ウィードの発言に、ベブルは呆れた。


「惚気やがって……」


「他人事じゃないですよ、ベブルさん」


 ウィードは微笑った。


「主題は何なのですか?」


 そこへ急にレミナが話に混ざろうとしたので、ベブルは慌てて自分の『魔導単車』をウィードから遠ざけた。ウィードは彼女に、苦笑しながら「なんでもないですよ」と言っていた。



 新しく見つかったという時空塔へ向かう道中には、何度も魔獣に遭遇した。しかし、その多くは、無視して『魔導単車』を飛ばしていれば相手にせずに済む程度のものだった。なんと言っても、こちらの乗り物は速い。


 しかし、翼竜タイプの魔獣ロクーンが群れで追ってきたときは別だった。どれだけ走ろうともそれらは三人を追い続けた。遂には追いつかれ、鋭い爪で攻撃されそうになった。そのため、ベブルは『魔導単車』を降りて戦おうとしたが、それはウィードに止められた。


「レミナに任せるといいですよ」


 腑に落ちなかったが、ベブルは降りずに乗り物を走らせ続けた。そして、レミナがなにをするのか待ってみた。


 レミナは『魔導単車』に乗ったまま、その機械から右手だけを離した。すると、そこには光が集まり、いつの間にか、彼女の右手には長く大きな魔導銃が握られていた。そればかりでなく、彼女の周囲の空間には幾種もの攻撃装置が並んで浮かんでいる。また、彼女の顔には、攻撃目標を見定めるためのゴーグルがある。ただしそのゴーグルは、機械が作り出した光が形成したもので、実体はない。


「目標確認。攻撃を開始します」


 レミナがそう言った。そして彼女は、魔導銃の銃口を飛び交うロクーンの群れに向ける。ウィードは答える。


「お願いします」


 その瞬間、レミナの右手の魔導銃から無数の光弾が撃ち出され、それらが上空の魔獣をことごとく打ち落としていった。


 あっという間に、三人を追っていた魔獣はいなくなった。ロクーンたちはそのすべてが荒野に撃ち落されていた。


 レミナは言う。


「掃討完了。武装解除します」


「お疲れ様でした」


 ウィードはそう返す。そしてまた、北東へと向かう単調な旅が続く。 レミナはすでに武器を魔法で片付けてしまい、完全に丸腰となっている。


 何だこいつ、結構やるじゃねえか。ベブルはそう思って、レミナを見た。そして、レミナが小さいころ、フリアが彼女の参戦を認めなかったことを思い出した。この武装があれば、デルンに勝てたのかも知れない。……とはいえあの頃は、レミナはまだ子供だった。無理もない。


 ベブルは風の中を突っ切っていた。


 それにしてもと、ベブルはまた思う。レミナは、その母親が「戦争のない時代に生きるように」と言って封印したはずだ。なのに、結局、戦う運命の中にいる。それに関しては、フリアも同じだった。フリアは大人に守られ、戦争から逃げて来た。なのい、成長したあとには、自ら戦いに飛び込み、最後は戦死した。レミナもそうなるのだろうか。



 出発してから八日の行程を経た。


 日も沈むころになり、三人は岩場を見つけて、そこで一夜を明かすことにした。


 レミナは小型の端末を掌の上に呼び出すと、それを使って荷物を呼び出した。


「まったく、便利な世の中になりましたね」


 ウィードは感慨深げに言った。彼は岩場の洞窟の中で、薪を置くと、小さな機械でそれに火をつけた。


 その間に、レミナは荷物の中から食料を取り出し、夕食の準備に取り掛かる。


 ただひとり、ベブルだけはどちらにも協力しなかった。彼は洞窟の中で座ると、なにもせず食事ができるのを待っていた。この三人の中では、明らかに一番態度が大きい。


 夕食ができると、ベブルたちは火を囲んで食事を始めた。


 食事の最中に、レミナの端末が音を立てた。彼女はそれを取り、その画面に映し出される情報を読んでいた。


「ムーガさんからですね?」


 ウィードは食事の手を止めて、そう言った。


 ベブルは食事の手を止めずに、食べ終わるまで一気に掻き込む。


 炎が静かに揺らいでいる。


「そうです。傍受のおそれから、通信は極めて困難でしたが、今回は可能だったようです。情報によると、『穢れなき双眸』はラトルを制圧し、すでにそこを発ったそうです。一方で、シムォルの『アールガロイ真正派』は先行してデルン市に突入した模様」


「シムォル?」


 ベブルはウィードに訊いた。聞いたこともない単語が出てきたからだ。


「シムォルというのは、フグティ・ウグフの近辺にある新しい街のことですよ。『アカデミー』から離反した『真正派』はそこを拠点にしているんです」


 ウィードはそう説明した。その後で、レミナが付け加える。


「事態を鑑みると、我々は急ぐのがよいでしょう」


 ウィードは同意する。


「そうですね。ヴィ・レー・シュトの『穢れなき双眸』のためでなく、シムォルの『真正派』のために。早くデルンタワーを攻撃したほうがいい」


「その通りです」


 レミナは真剣な面持ちでうなずいた。


++++++++++


 それから四日の後、ベブルたちは目的地へと到着した。


 確かに、ここの時空塔は見つかりにくい構造になっていた。この塔は天に向かってでなく、地中に向かって伸びているのだから。話によると、以前は地上に出ていたわずかな部分さえも砂に隠れていたそうだ。しかも、見付かった後でさえ、地下階層に進む手段がなく、長い間これが時空塔であるということさえ判っていなかったのだという。


 ベブルたちはこの時空塔を下ってゆき、最下層で魔導転位装置を発見した。


「これか……」


 ベブルは両手を腰に当て、その装置を眺めた。ウィードもそこで立ち止まる。


 ただひとり、レミナだけが歩き、魔導転位装置の中に入り、操作し始める。そして、認証のためにその装置に左手を触れると、装置全体に明かりが灯り、それが起動し始めたことを示した。


「準備は整いました」


 レミナがそう言うので、ベブルもウィードも転位装置の中に入った。そして、装置の出入り口が閉まると、三人は星の世界に向かって打ち出されたのだった。


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