第十五章④ 狂乱の遊戯は赫く
ベブルは腕を組んで立っていたが、不意に、彼の背後で何者かの魔力が急激に膨張するのを感じ取った。
……敵だ!
ベブルは振り返った。同時に、魔法が迫ってくる。
ベブルは走り、それを全身で受け止めようとした。魔法耐性の強い彼には、その攻撃はなんでもないものだ。彼自身が盾になることで、仲間の負傷を防ぐつもりだ。
だが、その前に割り込みが入る。
『未来人』で『銀の黄昏』の一員、ディリア・レフィニアだった。敵の魔法を、彼女が水晶の杖で受け止めていた。
魔法が弾け、光を放ち、視界が真っ白になる。
ようやく光が収まって、ベブルは前を見る。
そこにいたのは魔獣だった。背中に大きな刃物を背負い、巨大な二本の角を頭に生やした、四つ足の、筋肉質な猛獣――『闇角牛』だった。
先程の魔法はフィナを狙ったものだった。そして、闇角牛の口から黒い煙が上がっている。どうやら魔法は口から撃ち出したようだ。
ディリアは彼女を守るために姿を現したのだ。
フィナが右手に杖を召喚し、それをかざして呪文を唱える。それに合わせて、ディリアも同じ魔法を発動させる。
あまりにも大きな生き物が駆け回るので、食堂内のテーブルや椅子は圧し曲げられ、弾き飛ばされる。この肉食獣の体が少しでも掠れば、その一撃で、食堂の備品は見るも無残に粗大塵に変わっていく。
この食堂で食事を取っていた他の師、学生たちは、叫びを上げて飛び出していった。しかし、中には杖を召喚し、遠巻きにこの魔獣と闘おうとしているものもいた。さすが、力のある魔術師の集まるところではある。
「調子に乗るんじゃねえ!」
ベブルが飛び上がり、魔獣に殴り掛かった。
拳が唸り、奇妙な風切音を上げる。
巨大な魔獣はその直撃を受け、派手に吹き飛ばされ、テーブルや椅子を巻き込んで、床の上を滑っていった。そして、音もなく消滅してゆく。
「き……」
ルットーの後ろから見ていたヤッヅが、なにかを言おうとしたが、驚きのせいで言葉にならなかった。
「消えた……」
続いて、ルットーが言った。彼は魔導銃を構え、撃つ好機を待っていた。
ザンは魔剣『ウェイルフェリル』を構えていた。だが、ベブルがすぐに片付けてしまったため、実際に攻撃することはなかった。
ベブルは左手で、拳打に使用した右腕を押さえている。
「俺の『力』が見たかったんだろう? ちょっとした心遣いって奴だ。これが俺の、破壊の『力』だ」
ルットーとヤッヅはいまも驚きを隠すことが出来ない。何度かその『力』を見たことがあるザンでも、やはり力に圧倒されてしまう。
そんな様子を、ディリアは一瞥すると、なにも言わずにここから立ち去ろうとした。
「待て!」
ベブルが制止する。ディリアは立ち止まるが、彼らに背を向けたまま、振り返らなかった。
ルットーは魔法で魔導銃を消し、二、三歩彼女のほうに歩み寄るが、近寄りがたさを感じ、それ以上近づくことはできなかった。
「ディリア……、君は……」
「わたしたちのせいで……。申し訳ないことになったわ」
それだけ言い残して、ディリアは消えていった。『時空の指輪』の力を使ったのか、魔法で作られた身体を操ってそうしたのか。最後まで、彼女は振り返らなかった。
「ディリア……」
ルットーにとって、ディリアは興味深い友人だった。そして、ベブルから聞いた話では、妹の敵でもある。そんな奇妙な関係だというのに、命を助けられて、同時に謝られては、どう反応してよいかわからなかった。
「レフィニアさん……」
ヤッヅもなにか言おうとしたが、ルットーと同じく、それ以上の言葉にはならなかった。彼女にとっては、ディリアは恋敵であり、恐るべき『未来人』だ。だが、好きな相手であるはずのルットーを前に、振り返らずに立ち去る心境を思い量ると、掛ける言葉が見つからないのだった。
状況は複雑化している。
どうやらこれ以上、魔獣が出現する様子はないようだった。
「やはり……、デルン側の鼠が紛れていたのか」
ザンは魔法で魔剣を消しながら、そう言った。
右腕を回しながら、ベブルがルットーに訊く。
「大丈夫なのか? こんなんで」
ルットーは諦め半分に首を振る。
「確かに、ここは魔王勢力下の街だが、人の出入りが完全に規制されているわけじゃないからな。予防策はない」
「そうなんです。時々、『アカデミー』内部でも魔王派とデルン派に分かれて小競り合いなんかがありまして……」
ヤッヅが諦めたようにそう言った。本当に、どうしようもないことのようだ。
「だけど、少なくとも『真正派』の人間だけは信じて欲しい。この世の悪の全てと対立するという、創設当時から一貫した主義の上に成り立っているからな。ディリアも、なにか考えがあったんだと思う。それに実際、俺たちを守ってくれた。あれは彼女が出した魔獣じゃない」
ルットーはそう断言した。彼は黒ローブの『アールガロイ真正派』の一員だ。
白ローブのヤッヅも肯定する。
「そうですね。『真正派』の選抜は特に厳しいですからね」
次の瞬間、爆音が鳴り響き、建物全体が振動した。大したものではなかったが、なにかが起こったということは確かだった。
ベブルたちはすぐに、窓の傍に駆け寄った。天井から床まで、すべてがガラス張りの大きな窓だった。そこから見える学園の景色に、明らかに異常なものが見える。
炎。そして、煙。
フィナが、いつもは引き結んでいる唇を少し緩めて、放心してそれを眺めていた。
ルットーが呟くように言う。
「あれは……、あの建物は……、あの場所は……」
ザンがその後を継ぐ。
「ドゥゼの研究室だ……」
ドゥゼ・クディルマトのグループの研究室は、その周囲の部屋を巻き込んで、跡形もなく吹き飛ばされていた。調査の結果によると、なにか強力な魔法兵器が投げ込まれたらしい。
そして、持ち出し禁止だった石碑の文字の写しは、この世から消滅した。また、ドゥゼ本人も、行方不明ということになっている。だが、恐らくこの爆発で命を落としたのだろうと、この爆発現場を見に来た誰もが思っている。
爆発現場で、ルットーとヤッヅはしばらくくの間、悲嘆に暮れていた。だが、やがて落ち着きを取り戻すと、離れたところで焼け跡の様子を眺めるベブルたちのところへと戻って来た。
ルットーは怒りと絶望の中にいた。
「これで、石碑の文字の研究はお終いだ。もう、どうしようもないさ」
「そうですね……」
ヤッヅが同調した。
しかし、意外にも、この状況下でフィナは否定した。
「まだある」
「え?」
「ノール・ノルザニ」
ベブルはフィナの言葉に首を縦に振る。
「確かに、デューメルクの言うとおりだ。ノール・ノルザニには、あの文章の全文があるんだからな」
「少しは読める」
フィナはそう言った。彼女は椅子に座っていたのだが、立ち上がり、スカートに付いた塵をはたいた。
ふたりの発言を聞き、ルットーは声を荒らげる。
「ノール・ノルザニに行くつもりか? 駄目だ! デルンの支配地域では、君とリーリクメルド君は、命を狙われているんだ。フィナ、君は命を狙われているから、ここじゃなく、ルメルトスに入門したんだろう? 忘れたのか?」
フィナが霊峰ルメルトスに入門した理由が変わっていた。彼女は元々、人付き合いが苦手だったため『アールガロイ魔術アカデミー』ではなくルメルトスを選んだはずだ。それが、デルンの魔の手から逃れるために変わっている。
ベブルもまた、ゆっくりと立ち上がる。
「転送装置があるじゃねえか。それでばーっと、ノール・ノルザニまで飛べばいいんだよ」
しかし、その装置の所有者である、ザンがそれを否定する。
「駄目なんだ、ベブル。魔導転送装置はデルンの専売特許。奴の技術は俺たちの技術を遥かに超えていて、奴の支配地域内には、俺たちの転送装置では侵入できないんだ」
それを聞いたベブルは顔を歪める。
「はあ? お前、魔界ヨルドミスから来たんだろ? アーケモスのデルンに負けてどうすんだよ」
「神界レイエルスの技術」
フィナは一言言った。これはザンへの補助だった。我が意得たりと言わんばかりだが、自嘲気味にザンは苦笑する。
「そうなんだ。デルンには、神界レイエルスへの『留学』経験がある。確かに俺はヨルドミス出身だが、ただのヨルドミス市民だ。それに引き換え、向こうは魔術師。魔法文明の理解度では、圧倒的に向こうが上だ」
それを聞いて、ベブルは溜息を吐く。
「しゃあねえな。じゃあ、別の経路で行きゃあいいんだろ」
ザンはベブルの意見に驚く。
「そういう問題じゃない。どんな経路で行こうとも、現在のノール・ノルザニはデルンの支配下にあるんだ。ルットーも言った通り、君たちは名指しで手配されている。危険すぎる。それに、ノール・ノルザニに行く途中には、デルンの本拠地、大都市デルンがある。敵地に乗り込むなんて……」
ベブルはいよいよ、肩を竦めて溜息をつく。
「お前、馬鹿だな。俺たちはこっそりノール・ノルザニに行くんだろ? わざわざ敵地を通って、それを敵に知らせてやる必要がどこにある? 過去の世界を通って行くんだよ。そうすれば、いまのデルンが気付くことはない。過去のお前の転送装置なら使えるんだろ」
「そうか……。その手があったか」
「ま、過去に行って、ノール・ノルザニまで行って、そこで石碑を読みゃあいいのか。それが一番楽だ」
誰もがなるほどと一瞬思った。だが、別のことを思い出したルットーが、その方法を否定する。
「駄目だ、リーリクメルド君。君の言う過去は、百二十年前のことなんだろう? 調査の結果、あの石碑は、そんなに昔には存在していないことがわかっている。だから、石碑の文字を読むなら、この時代しかない。まさか、デルンが更に強くなるだろう、未来で読むわけには行かないだろう」
「じゃあ、過去のノール・ノルザニに着いたら、現代のノール・ノルザニに飛べばよさそうだな」
ベブルが言うと、フィナは深くうなずく。
あまりにも容易に、そのような危険なことを請け負ってしまうフィナ——妹を見ていると、ルットーには不安だった。だが、彼は冷静に問題点を挙げていく。
「言うのは簡単だが、結局、現代のノール・ノルザニには踏み込まざるをえない。しかも、その石碑は闘技場の最も奥、表彰場にあるんだ。手が出せない」
対するベブルは、あまりにも楽観主義的だ。
「どうにかなるさ。そこまで行きゃあ、方法は勝手に思いつくもんだろ」
「そんな態度では……」
ルットーは反論しようとしたが、それ以上のことは言えなかった。極めて危険な方法ではあるが、これ以外の手段がないからだ。
フィナは兄の目を見て、また深くうなずいてみせる。
「これしかない」
本人にそう言われて、ルットーは腕を組み、大きく息を吐いた。考えているのだ。他の有効な方法を。だが、ザンの要望は、魔王側とデルン側との決戦の前にベブルの『力』を強化しておくことだ。前提条件を否定して、このままの状態でデルンに挑むという選択肢もあるが、おそらく魔王側は敗北を喫するだろう。そうなれば、アーケモス全土はデルンのものとなり、この地上にフィナの住める場所は存在しなくなる。デルンはじっくりと彼女を追い詰め、早晩殺すことになるだろう。
危険に立ち向かおうと、立ち向かわなくとも、フィナを待っている最悪の結末は、死だけなのだ。ならば、危険に立ち向かってでも、その結末を変えるしかない。
ルットーは承諾した。
「……そうだな、解った。気をつけて行ってきてくれ。ただし、危険な状況になれば、すぐに過去に飛ぶんだ。解ったな?」
フィナは深くうなずく。どんなときでも、彼女の反応は変わらない。これほど危険に満ちた選択を行うときでも。
ベブルは両手を腰に当てて胸を張る。
「任せろよ。俺たちがどうにかしてきてやるからよ」
ルットーは首を縦に振る。だが、その表情から不安の色を隠すことはできないでいる。
「ああ、任せたよ。妹を護ってやってくれ。彼女を石碑のところまで、安全に連れて行ってやってくれ。頼む」
それを聞いて、ベブルは自信に満ちた笑みを返した。
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