第十三章② 声が呼んでる

 ベブルたちは、透明な球体の装置の中にいた。以前ヨルドミスに行ったときに乗ったのと同じようなものだ。


 その装置は星辰界の只中に浮かんでいた。それはゆっくりと動き始め、間近にある巨大な惑星――アーケモス、その周囲には冷たい月が浮かんでいる――から離れていく。


 ルットーは、彼には珍しく大声を上げる。


「す、すごいぞ! あれが俺たちの星、アーケモスなのか。世界は丸いと知られていたが、実際に見たのは俺たちが初めてだ!」


 ベブルとフィナは、当然、その絶景に息を呑んでいたが、彼のようにはしゃぎはしなかった。すでに、ベブルに至っては二度も、星辰界に出ているのだ。そう何度も何度も騒ぎ立ててはいられない。


 妙に落ち着いているふたりに、ルットーが言う。


「どうしたんだ? 感動のあまり声も出ないのか?」


「いや……。なあ?」


 冷めた声でそう言って、ベブルはフィナの方を見た。


 フィナのほうも妙な表情をしていた。喜んでいるかのような、なにかを考えているかのような、驚きで思考が止まっているかのような。そして、なにかを言い出しそうな、躊躇っているような。


 そして、フィナは呟く。決心したのだ。彼女は自分の手をあげる。その指には、ふたつの宝石のついた指輪が嵌っていた。


「『時空の指輪』」


「俺が説明する」


 ベブルが割り込んだ。このままフィナに喋らせていては、いつまで経っても説明しきれないと思ったのだ。


「俺たちは『時空の指輪』っていう、デルンが作った指輪を持っている。これを使えば、過去と未来に行くことができるんだ」


「まさか」


 ルットーは涼しい表情だった。真に受けていないらしい。


「証拠ならある。俺たちがいまここで、星の海を見てあまり驚いていないのもそうだ。時空塔の合言葉の話もそうだし、あの青い玉が『ブート・プログラム』だと判ったのもそうだ。全部、過去の世界で、ボロネのほうの時空塔を使ったことがあるからだ」


「確かに、それらは全部、俺にとって不可解なことだった。だが、何にしても、その証明は弱いな。時間移動できるというのなら、実際に見せてもらうのがいいだろうな」


「ああ……。それは無理だ」


「どうして?」


「この『指輪』を使うと、別の時代のに出る。そうなると、未来や過去の星辰界に放り出されることになる。アーケモスに帰る手段がない」


「……いま証明はできない、ということか」


 ルットーは微笑った。困り果てて、ベブルは額を押さえる。


「いまはな。後で見せてやる。それに、カルドレイに訊くのもいい。あいつはもう知ってるからな」


「ふうん……?」


 その傍らで、フィナが呟くように言う。


「歪み」


「ん?」


 フィナの発言は、ルットーには訳が解らなかった。そのため、なにが言いたいのか訊こうとしたが、その必要は次の瞬間になくなる。


『この輸送機は、レイエルス直通です。只今より、わい亜空間領域に突入いたします』


 丸い乗り物内部の機械が、乗員にそう告げる。すると、瞬時に外の景色が伸び、幻覚的な激しい色の世界に切り替わった。星の海はもう見えなくなった。


 ベブルは床にどかっと座り込み、大きなため息をつく。


「さて、到着まで待つか」



 フィナも座り込んだ。ルットーはしばらく立っていたが、特にすることもないので、彼も座ることにした。


 ルットーはベブルに訊く。


「それで? 魔界ヨルドミスはどんなところだったんだ?」


 うつむいていたベブルが顔を上げる。


「なんだ、信じてないんじゃないのか?」


「信じてるさ」


 ルットーは微笑んだ。


 ベブルは、ルットーのありかたは理解しがたいと思った。そして、考えかたがおかしいのは、フィナと同じかと思い至る。


 ベブルは目を瞑る。


「建物は全部でかかったな。道も広かった。町全体が、なにか判らんもので造られてた。アーケモスにはない機械で溢れてた。だが……、死体ばかりだったな。百二十年前だから、二界戦争が終わってすぐだったらしいな」


 ルットーは顎に手を当てる。


「それなら、いまはもう、さすがに遺体はなくなってるだろうな」


「ああ。あんなもん、ないに越したことないからな」


 ふと、ルットーが感慨深げに大きく息を吐く。


「しかし、いいよなあ。過去に未来に時間移動か。歴史研究の究極の方法じゃないか。な、あとでその指輪を調べさせてくれよ。ちゃんと返すからさ」


「無理だ。俺たちはこの指輪を外せない。この指輪が、歴史の改変から身を守ってくれるからな」


「歴史の改変?」


 ルットーが首をかしいだ。


 そういえば、この言葉は普通の人間には通じないんだったなと、ベブルは思う。それから彼はフィナのほうを見やる。彼女も彼のほうを見ていた。そして、うなずく。説明を始めるのだ。



 それから、ベブルとフィナは交互に喋り、時空と指輪の説明をしていった。歴史は、絶えず改変されているのだということ、この指輪は所持者を改変から守ってくれるのだということ、フィナは指輪を持つ以前から改変に気づいていたということ。そして、この指輪の周りで起きた様々な事件についても話した。


 未来から来た魔術師たちに幾度となく命を狙われたということ、過去の偉大な魔術師ファードラル・デルンと戦ったということ、魔王ザンや『アカデミー』の創設者ヒエルド・アールガロイと親しくなったということ、そして未来での、魔術師ムーガたちとの冒険。


 ただ、ふたりとも、ムーガや従姉妹のスィルセンダが自分たちの子孫であるのだという話はしなかった。現在の自分たちのことを考えると、明らかにありえない話だからだ。こればかりはなにかの間違いだろうと、ふたりとも思っている。


 ルットーは驚きに目を瞠っていた。


「そんなに多くのことがあったのか。それに、フィナが命を狙われていたなんて……。リーリクメルド君ならかなりの対応力はあっただろうが、フィナはただの学者志望の学生だ。よく無事で」


 フィナは頷く。心配してくれてありがとう、の意味だ。


「しかし、デューメルクはかなりやったぞ。死にそうになったのはフリアのときくらいだな。あとは、『未来人』ども相手にも、むしろ勝ってたほうだ」


「死にそうになった?」


「ああ、背中に槍を喰らってな。だが、問題ない。あとでザンが治療したからな。で、こいつが寝てる間に、俺らはデルンの宮殿に」


「俺ら?」


「ああ、俺と、ヒエルドと、ソディと、……そうだ、ディクサンドゥキニーもいたな」


 ルットーは苦笑いしながら溜息をつく。


「代われるなら俺が代わりたいなあ。一度でいいから、ヒエルド・アールガロイ師にお会いしたいもんだ」


 ベブルは一瞬、返答に詰まる。


「あー……。会わないほうがいいと思うぞ。多分期待はずれだ。魔法も多くは使えないようだしな。ただ、自然と生きてる奴だ。かなりいい加減で、着てるものもぼろだったが」


 意外にも、ルットーはその言葉に驚かなかった。


「やっぱり。そんな気はしていたんだ。俺の想像上のアールガロイ師はそんな人だな。みんなが言ってるような、厳格な魔術師ってのは違和感がある」


「確かに、お前みたいなところもあるな。かなりやるくせに、『偉大』なんて言葉が欠片も似合わない奴だ」


「そりゃどうも。だけど、聞いてていろいろわかった。その指輪は歴史研究には使えないな。その指輪を使うと、歴史が曲がるみたいだからな」


「ああ、そうだな」


「だが、フィナの指輪なら調べられるかもしれないな。フィナは指輪がなくても時間改変を受けない可能性がある」


 しかし、フィナ本人が渋る。


「わからない。受けないのか、気づくだけなのか」


「それもそうだ。大丈夫。あくまでも最後の手段だ。指輪を外して、もしフィナが消えたら大変だからな。消えても、フィナは最初からいなかったことになるかもしれないんだろう? それじゃ、俺にはどうしようもない。指輪の話は、誰にもしないことにする」


「助かる」


 フィナはそう言った。そこに、ベブルが付け足す。


「それと、ディリア・レフィニアって奴がいるだろう? あいつは『未来人』のひとりだ」


 ルットーは驚く。だが、彼の驚き方はどうも力弱く、本当に驚いているようにはあまり見えない。


「彼女が? 『未来人』たちはフィナと君の命を狙うんだろう? どうして彼女がそんなことを? いや、そもそもどうして君らは命を狙われるんだ?」


 理由を答えようとして、ベブルはまた詰まった。これに答えるには、ムーガが狙われていること、そして、彼とフィナが彼女の祖父夫妻に当たるのだと説明する必要が出てくる。


 これだけは口にしたくなかったので、ベブルは曖昧にお茶を濁しておく。


「それについては、本人に訊いてみてくれ。俺からはなんとも」


「そうか」


 ルットーはやはり、あっさりと飲み込んでしまった。どうやら、彼はこういう人間のようだ。


 ここで、ベブルはふと思う。


 そうだ、ムーガは何で奴らに命を狙われてるんだ? 俺たちが狙われるのは、子孫のムーガを殺したいからという理由は一応通るが、ムーガ本人は? 『アーケモスの救世主』であるはずのあいつが、何で命を狙われる必要があるんだ?



 そうこうしているうちに、ベブルたちの乗っている透明の乗り物が歪亜空間領域を抜け、星辰界へと戻ってきた。アーケモス付近とは違う、また別の星の世界だった。


 そして、一番近くに、ひとつだけ、巨大な星が見えた。のっぺりと白い星。それがレイエルスだった。


 ルットーは立ち上がり、その光景に見入っている。


「すごい……。いよいよだな」


 ベブルもフィナも立ち上がる。ベブルは右の拳を左の掌に打ち付け、にやりと笑った。フィナは真剣な面持ちで、深くうなずく。


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