第十章② 善悪の所在

 デルンの地下研究施設への入り口が見えてきた。


 ベブルも一度入ったことのある、ボロネ村北の洞窟。いや、いまはボロネ街北の洞窟とよぶべきか。この洞窟の地下にデルンの研究施設があるのだ。それは彼もよく知っている。そもそも彼らが歴史上の第一発見者だ。


 ユジフ・サディロアが説明したとおり、洞窟の入り口付近には野営があった。彼らはここに住み込んで、デルンの残した遺跡の調査をしているのだ。


 現場にいる『真正派』の面々が、一行を出迎える。


 ユジフは振り返って、ベブルたちに言う。


「ここがデルン地下研究施設への入り口——通称、『時のいわや』です」


 大層な名前が付いたものだと、ベブルは思った。時の窟という名前が付いたということは、デルンがここでなにを研究していたのか、『アールガロイ真正派』も知っているということだろう。


「では、参りましょう。こちらです」


 ユジフが行く手を案内する。ボロネ街の関係者とは、ここで一時お別れだ。彼らは洞窟の外で待機することとなった。


 時の窟に入ると、先を行く『真正派』の人間がひとりから三人に増え、それぞれが杖を手に召喚し、その先に魔法の明かりを灯した。

 

 フィナもそうした。そして、ムーガとスィルセンダとウィードは、杖なしで同じ魔法を使い、浮遊する光の球を彼らの前に浮かべて歩いた。魔法の光が使えないのはベブルだけだ。後ろから付いてくる『真正派』たちも、それぞれ光の魔法を松明の代わりにしている。


 ベブルたちは洞窟の奥深くへと入り、そこから階段を下りた。この先にあるのが、デルンの研究施設だ。


 研究施設内では、至る所に照明が取り付けられているため、魔法の光は必要ない。この施設の廊下の所々には機械が置いてあった。これは、ベブルが以前にここに来たときにはなかったものだ。『真正派』の調査班が、ここを調査するために使用している道具が置きっぱなしにされているのだ。


 研究施設の廊下を進んでいくと、前には壁だったところが扉になっていて、それが開いていた。ベブルたちは気付かなかったが、これまでに行けた部屋の中に仕掛けがあり、ここの隠し扉を開けられるようになっていたのだ。


 ユジフはそこで止まらず、そのまま扉をくぐって先に進んだ。この反応を見ると、デルン研究施設の未踏破領域エリアというのは、この場所のことではないらしい。彼らが言っているのは、この扉の更に奥のことだ。


 廊下のいくつかの部屋に入らずに進みつづけると、ベブルたちは大広間に出た。そしてそこの奥の壁の前に到着した。


 ユジフが言う。


「ここです」


 見ると、その壁の向こうには、更に廊下が続いている。だが、肝心のその廊下へは、魔法の結界が邪魔をしていて踏み込めない。どうやら、この廊下へ行く扉を開けたものの、この結界が邪魔で先に進めないらしい。


 一行が止まり、ムーガだけが前に進み出た。ユジフは彼女のために道を開ける。


 ムーガは右手をすっと前に突き出し、魔法の結界に少しだけ触れた。すると結界は、すっと消えていった。


 『真正派』の人々は拍手した。彼らに消せなかった結界を、いとも簡単にムーガが消してしまったからだ。


「ご協力、感謝いたします」


 ユジフは笑顔で頭を下げた。


「大したことはない」


 ムーガはユジフの方を向かなかった。



 不意に、ウィードが呪文を唱え、魔法で右手に魔剣を召喚した。


 ベブルが駆け出す。ウィードはそれに続く。


 いま結界を消した廊下の向こうから、地響きが聞こえてくる。魔獣だ。騎士竜が三匹。こちらへ向かって駆けて来る。


 一匹目の騎士竜の股の下を、ベブルは滑り込みで抜けた。そして、二匹目の腹を殴り飛ばす。


 ウィードは、ベブルが攻撃しなかった一匹目の騎士竜に、魔剣で斬りかかる。竜は斬られて、叫び、あとじさる。


 ベブルに殴り飛ばされた騎士竜は、三匹目の竜に激突する。殴り飛ばされた方は既に死んでいる。


 フィナ、ムーガ、スィルセンダの三人も、ふたりの後を追って走る。そして、彼女らはウィードが切り伏せたドラゴンの横を通り過ぎて、廊下を走り抜ける。その先には、更に開けた部屋があった。


 ベブルはそこで、残った最後の騎士竜を殴り殺しているところだ。


「張り合いねえなあ!」


「後ろ!」


 ウィードの声を聞き、ベブルは飛び上がった。ベブルのいたところに、灼熱の炎が降りかかる。


 ベブルが振り返ると、そこには元帥竜がいた。魔界生まれの竜の中の竜。最強の、巨大な竜種だった。身の丈は、大人の男四、五人分くらいはある。先程の炎はこの竜が口から吹いたものだった。


「どうしてこんなところに、場違いな魔獣が……」


 ウィードは、魔剣を持つ手を握り締める。


 スィルセンダが言う。


「おそらく、この部屋はファードラル・デルンの魔獣飼育所だったのですわ」


 元帥竜が身体をぐるんと回し、尻尾を振り回す。ベブルが弾き飛ばされ、壁にぶち当たる。


「ベルド!」


 ムーガが叫んだ。


 フィナが氷の呪文ルリアスケラスを唱え、氷の刃を竜のうろこに深々と突き立てる。これはダメージにはなったものの、竜を興奮させ、より凶暴化させた。


「俺に効くわけねえだろう!」


 いつの間にか戻って来ていたベブルが、元帥竜の顔に拳の一撃を見舞っていた。この一撃で竜は大きく仰け反ったものの、すぐに持ち直し、彼を睨めつけた。


「上等じゃねえか!」


 ベブルと元帥竜の格闘戦が始まった。身体の大きさはまるで違う。しかし、彼は互角に戦っている。


 ウィードは魔剣で竜に斬りかかっては、尻尾や爪の攻撃を巧く躱している。


 フィナがまた、氷の魔法を投げつける。それが元帥竜の鎧に刺さり、動きが鈍くなったところを、ベブルが殴り、殴り、そして殴り飛ばす。まだ倒れない。


 ムーガは連続して何度も、元帥竜に雷の魔法ガーニヴァモスを浴びせていた。これは確実に、打撃になっている。スィルセンダは、うっかり竜の爪を身に受けてしまったウィードに、治癒魔法イルヴシュを投げかけている。


 元帥竜が炎を吹く。それに対して、ベブルは炎の魔法エグルファイナで応じた。彼の放った炎が竜の炎を軽々押し返し、元帥竜自身を炎で包み込む。床も壁も天井も一気に燃え上がる。一瞬そこに出来上がったのは、炎の地獄。元帥竜の近くにいたウィードは転がってそれを避けたが、竜は火達磨になって暴れている。誰が見ても、こうなってはもう助からないのは明らかだ。


「はっは、炎合戦じゃ、俺の方が一枚以上は上手だったな」


 ムーガもウィードもスィルセンダも、ベルドが炎の魔法に特化していると言った意味をここでようやく理解した。これだけの威力があれば、特化と呼んでも差し支えないだろう。脅威すら覚える。


「焼きドラゴンか。食ったら美味いだろうな」


 ベブルは両手を腰に当てて、そう言った。



 そのとき、炎に包まれた元帥竜が、ベブルに襲い掛かった。爪を使うでもなく、牙を使うでもなく、ただ燃え盛る身体で彼を押しつぶそうとしていた。


 ベブルにとって、これは何でもなかった。彼は応戦しようとしたが、ムーガはこれを危険ととったらしい。


 ベルドが押しつぶされてしまう!


「危ない!」


 ムーガが叫ぶと、が発動した。衝撃が部屋じゅうを駆け抜ける。あまりのことに、ベブルは驚いて彼女の方を見たが、彼女は元帥竜を凝視していた。


 衝撃は元帥竜を吹き飛ばし、跳ね飛ばして、粉々に噛み砕き、すりつぶし、この世から抹消した。ベブルの前に立っていた巨大な生物は、瞬時に消滅したのだ。


 完全な消滅。


 ベブルは気づいた。この力は……魔法などではないと。彼の腕にある『力』と同じ種類のものであると。敵を消し去る『力』。大きな違いは、ムーガは、相手に触れることなしにそれを発動させていることだ。


 ベブルは、自分のもっている『力』と同じ力を持っている存在がいることに感心した。だが、ムーガの様子がおかしい。


 ムーガは例の『力』を解放したあと、よろめき、急に力を失ったように両膝を床に付いた。そこへ、スィルセンダが慌てて支えに行く。スィルセンダが何度か声をかけるが、彼女は喘いでいるだけで、碌に返事をしなかった。それからしばらくして、彼女は意識を取り戻した。


 ベブルが声を掛ける。


「ムーガ、大丈夫か?」


 ムーガは声を出そうとしたが、一瞬出ず、なにも言わずに頷いた。それから、声を押し出した。


「……ああ」


「あの『力』……」


 ムーガは詰まっていたような息を吐き出した。


「……あれか。この世で、なぜかわしだけが持っておる力でな。何でも破壊する究極の破壊魔法のようじゃ」


 だが、ベブルは首を横に振る。


「違う。あれは魔法じゃない。あの『力』は俺も持ってるんだ」


 ムーガは目を丸くする。


「なんじゃと」


「何でも消す『力』。もっとも、いまは使わないようにしているし、使っても穴あけ器くらいにしている」


「そうか……。おぬしも、同じ力を……」


 ムーガは呟いた。



 そこへ、しばらくそこを離れていたウィードが戻って来る。


「ムーガさん。やはり、あの結界は最近つくられたものでした」


「やはりな。変だとは思ったんじゃ」


「なんだ、それってつまり……。この結界をつくったのは、あの『真正派』の連中だったってことか?」


 ベブルの言葉にウィードは頷く。ウィードは魔剣を魔法で消した。もう武器は持っていない。


「おそらくそうでしょうね。調査中に、この部屋を発見したものの、突然魔獣が出てきたのに驚いて結界を張ったというところでしょうか」


「利用された?」


 フィナが訊く。ウィードはまたも頷いた。


 怒りのままに、ベブルは大声を出す。


「なんだよ、それ! あいつら、調子に乗ってやがるな。いまから行って、痛い目に——」


 だが、それを止めたのはムーガだ。


「やめんか」


「はあ? お前、利用されたんだぞ。そのせいでいま、こうして地面にへたり込む羽目になってるんだろうが」


 ベブルはそう言いながら、右の拳を左手に打ちつけた。


「別にいいんじゃ。これが、連中に出来なくて、わしにしか出来ない仕事だったんじゃから」


 ムーガはスィルセンダに支えられながら、ようやく立ち上がった。


「でもな、お前はあいつらに騙されたんだぞ」


「いいと言っておるじゃろう」


 ムーガは言い切った。


 それでもベブルは、ひとりで引き返し、廊下の先で待っている『真正派』たちの方へ向かおうとした。


「ベルド!」


 ムーガが叫んだ。ベブルは振り返る。


「別に殴りに行くわけじゃねえ。呼んできてやるのさ。『掃除は完了しました』ってな」



 戦いが始まってからずっと遠目に見ていた『真正派』たちも、デルンの研究施設『魔獣飼育エリア』へとやって来た。彼らはここにいた魔獣は普通の魔獣ではなく、呪いで生きた死体となった魔獣だと言っていたが、ベブルにはどうでも良かった。


 ベブルたちはそんなことを知らなくても魔獣を倒せたが、『真正派』たちは、その事を知っていても何も出来なかったのだから。


 ユジフ・サディロアは、ムーガに丁寧に頭を下げていた。予測だにしなかった魔獣の襲撃からお守りくださいまして、感謝の言葉も見つかりません。


 ふざけんな。ベブルは思った。感謝の言葉が見つからないのは感謝してねえからだろ。


 ここから先は、我々だけで大丈夫です。ありがとうございました。


 そう言われてから、ムーガはじっとそこを動こうとはしなかった。帰るつもりがないのだ。

 

 ユジフが言った言葉の意味は、もう魔獣が出る心配はない。ここは安全だ、ということだ。あとは一番おいしいところだけが残っている。遺跡から何かが見つかるかもしれない。


 そこで、ベブルが気を利かせて大嘘をつく。


「俺は在野の歴史学者でね。この先の調査を見てみたいもんだな。いいだろ? ムーガ」


 ムーガはそう言われて、我が意得たりと笑う。


「ああ、よいじゃろう。ベルドに見せてやってくれんか。この先の調査を」


 ムーガにそう言われると、『真正派』の研究員たちは、嫌とは言いがたい。ただひとり、ユジフが反論した。


「いえ、この先は非常に緻密な作業になりますので、一般の方はどうかお引取りください」


「言ってくれるじゃねえか。あの結界、どうも俺の歴史学者の目から見ると、つくられた年代に不一致が起こるんだよな。デルンがつくったなら百八十年位前でないとおかしいのに、ここの結界が出来たのはわずか三十日ほど前と見える。奇妙な話だ。一度、ボロネの街の奴らと話してみようか」


「……わかりました」


 ユジフはベブルの脅しに、渋々引き下がった。



 ベブルは部屋の壁に扉のようなものを見つけた。だが、それには鍵が掛かっているようで、開かなかった。


「おい、ここに扉があるぞ」


 ベブルがそう言った。当然、ユジフたちは彼よりも先に、それに気付いていた。だが、わざとそれを調べようとはしなかったのだった。


 ユジフが答える。


「そうですね。ですがそれは、なにかの仕掛けで鍵が掛かっているのです。容易には開かないでしょう」


 そうは言うものの、ユジフはその扉を開けようとはしない。なにかの仕掛けを捜すわけでもない。


 それは他の調査員たちも同じだ。彼らは、どうやらユジフに、調査を進めないよう言われているらしい。ムーガの前で、新しい発見をしたくないのだ。いま見つければ、結界を解除した彼女の手柄になってしまうとでも思っているのだろう。


「俺が開けてやるよ」


 ベブルがそう言った。ユジフが笑いながら両手を振る。


「無理ですよ。あの大魔術師デルンの仕掛けです。よほど難解なものが用意されていることでしょう」


 バン、と破裂音が聞こえた。


 扉の錠の部分を、ベブルが拳の『力』で貫いたのだ。それにより、錠は解除され、その扉を滑らせて開くことができた。


「開いたぜ」


 ベブルは振り返って、ユジフを見た。ユジフは呆然として彼を見ている。全く声が出ないようだ。なので、彼はユジフを無視した。


 開いた扉の向こうには小さい部屋があり、床の上に円形の装置が見えた。魔導転位装置——魔王ザンの黒魔城にあったものと同じ種類のものだ。


「行こうぜ」


 ベブルがムーガにそう言った。見ると、彼女も放心している。何かに気をとられて、唖然としているようだ。だが、彼に言葉を掛けられて、はっと我に返った。


「あ、ああ……。そうじゃな」


 ベブルはその小部屋に入って、魔導転位装置に触れてみる。少し魔力を送って装置を刺激すると、たちまち機能を回復させ、暗い小部屋が明るくなった。


 その様子を見て、ユジフが声を取り戻す。


「待ちなさい! 装置を勝手に使ってはいけない! 全ての権限は我々に——」


 その言葉に何も答えずにベブルが、そしてムーガが、魔導転位装置の中へ消えていった。


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