第九章④ 仄かな星の光

 行程五日目。宴会は三度目になる。ほぼ毎日、夕方になると、宿で飲めや歌えやで大騒ぎをしている。


 まったく、考えられん『旅路』だな。ベブルはそう思った。どこへ行っても歓迎されて、寝食に金を必要としない。おまけに、大切な客として扱われる。俺なんか、金はあるが、こんなに騒がしい旅はしたことがない。


 ムーガは、宿の従業員や宿泊客、それにこの近隣の人間総出で囲まれて、馬鹿騒ぎをしていた。ときどき、爆発が起こったかのような笑いが起こる。



 今日はウィードもスィルセンダも、そしてフィナさえも、パーティの輪の中に入っていた。部屋に引っ込む前に宿の人間たちに捕まってしまったのだ。豪快に食べあさるベブルやムーガとは対照的に、常識的な量の料理をゆっくりと食べていた。


「まあまあ兄さんも遠慮なく」


 そうやって、ウィードは酒を勧められている。彼は少しだけは飲むが、それ以上飲もうとはしない。苦笑いしながら、料理には手を付けていない。スィルセンダもフィナも概ね彼と同じ立場だ。だがフィナは、周囲からの言葉にほとんど反応を示さないので、しばらくすると対象から外されたようだ。



「ムーガ様は怪物を探して旅してんだよな!」


 あるとき、騒ぎ立てている人々の中の、ひとりの男がそう言った。


 ベブルはその言葉に反応した。怪物を探して旅するのは、ムーガ本人は嫌がっているはずだ。理由は定かではないが、それを大声で言うのは失礼なのではないかと思ったのだ。


 だが、当のムーガは大笑いしながら、右手を上げ、「そのとおりじゃあ!」と叫んでいた。一斉に歓声があがる。


「わしがおれば、怪物だろうが魔族だろうが魔王だろうが、全部纏めて退治してくれるわ! アーケモスの未来は、わしに任せておけ!」


 大歓声。割れんばかりの拍手。酒をあおるムーガ。少し上気した笑顔。照明の光が、その艶やかな唇の上で零れそうに輝く。


 何だこいつ、好きで怪物退治やってんじゃねえのか? 心配して損したぜ。


「『アーケモスの救世主』様ひとりでもお強いのに、『漆黒の魔剣士』ウィード様に、『懸崖の一番弟子』様まで付いていりゃあ、どんな怪物も怖くねえわな!」


 ひとりの男がそう叫んで笑うと、ウィードもスィルセンダも苦笑いの愛想笑いをした。集まってきた男たちも女たちもみな酒に酔っていて、彼らの笑いが愛想笑いであることに誰も気づいていない。


 『懸崖の一番弟子』という言葉に、フィナは少しだけ反応を示す。その二つ名は、彼女の時代では彼女を指すものだったからだ。


「それで、ムーガ様。このおふたりは、噂に聞いたことがないんですが」


 ムーガにそんな質問が投げかけられた。このおふたり――ベブルとフィナが噂になっているわけはない。ふたりは過去から来たのだから。


 ムーガは料理を飲み込む。


「むぐ? ああ、こやつらはちょっとの間同行しとるんじゃ。歴史学者じゃて――」


 ムーガがそんな話をしているところで、ベブルが不審な動きに気付いた。彼は隣に座っている彼女の肩を無理矢理引き寄せた。


 ベブルは物を食べながら怒鳴る。


「おい、お前、何をしようって……!」


 瞬間、沈黙。馬鹿騒ぎの音量が下がり、すぐに消えた。


 ベブルは、一同の視線が自分に向けられていることに気付いた。誰もが、黙って――だが、口は呆然と開けたまま自分を見つめている。


 端から見れば、ベブルがムーガの肩を抱き寄せた格好になっているのだから。


 これはやばい。


 ムーガは公共物だ。下手に触れると、問題になりかねない。


 たとえ、ベブルならばこの場の問題をすべて腕力で片付けられるとしてもだ。だいいち、怒りを買っては宴会にはならない。それに、酒に酔っての喧嘩は趣味ではない。


 実のところ、男たちのうちひとりが、強引にムーガの手を引こうとしていたのだ。それで、ベブルが危険を察知し、彼女の身体を引っ張ってそれを避けさせたのだった。しかし、人々の視線はその男の方ではなく、ベブルのほうを向いている。


 ひとまず、ベブルは張本人に注目してもらうことにした。


「お前、ムーガの手をいきなり掴もうとしてんじゃねえよ」


 ベブルが言うと、全員の視線がその男の方を向く。その男は一同の怒りの視線を浴び、うろたえた。


「てめえ、何やってんだよ」「ふざけてんじゃねえ!」「何やってんのよ、あんたねぇ!」「いや……、握手していただこうと……」「んだとぉ!?」「皆そう思ってるっつうの!」


 その男は宿屋一階の食堂の片隅に連れて行かれ、それから、どたんばたんと食卓や椅子をひっくり返す音が鳴り響いた。やはり酔っ払いの喧嘩だ。


 ふと、ベブルは自分がいまだにムーガの肩を抱き寄せていることに気づいた。宴会に集まった人々の視線は喧嘩とベブルに分散されているものの、やはりこれはまだ居心地が悪い。


 そしてムーガは、そこから動かない。


 ムーガのほうから怒って離れてくれれば、こっちも気が楽なのに。ベブルはそう思ったが、一向にそうはならない。


 自分の胸に当たっているムーガの肩は、軟らかく、温かい。やはり酔っているようだ。近くで見ても、彼女の髪は綺麗だ。流れるような、揺れる髪。だが、髪のために表情は見えない。


 まあ、別にいいか。


「ほらよ」


 ベブルはムーガを突っ返した。すると彼女は、自分の席に戻る――かに見えたが、行き過ぎて、その向こうの床に倒れた。


 べしゃ。


 何て音だよ……。などと思っていたが、そんな場合ではない。ムーガは床に倒れて起き上がらないのだ。


「お、おい!」


 ベブルが椅子から立ち上がり、ムーガを引き起こした。当然、周りの宴会参加者たちがぞろぞろと集まってくる。部屋全体がざわめいている。これにはウィードもスィルセンダも驚いて飛んできた。ムーガが突如気を失って倒れてしまったのだから。フィナだけは、椅子に座ったまま、そこから様子を見ている。


 引き起こされたものの、ムーガの意識は戻らない。


「おい、大丈夫か? 一体どうしたんだ? しっかりしろよ」


 ベブルはムーガの肩を揺すった。しばらくして、彼女は目を覚まし、うめくように声を発する。


「ああ……。寝とったわ」


「寝てた?」


 ベブルは唇を歪ませる。ムーガは彼を支えにして、ゆっくりと立ち上がった。


「どうも最近、よく眠くなるんじゃ。ときどきこうして、気が遠くなって……」


「はあ? お前大丈夫か?」


 ムーガはベブルの方に顔を向けずに、手をパタパタと振る。


「気にせいでも。じゃがわしはもう寝る。おやすみ」


 そう言って、ムーガは歩いて行った。そこにいる大勢の人々は慌てて道を開ける。そして、彼女は階段を上ろうとする。階上の部屋に行こうとしているのだ。そのまま彼女はゆっくりと歩き去った。何も言わないで。よほど眠かったのだろう。


++++++++++


 宴会はお開きとなり、ベブルたちは部屋に入った。男部屋はベブルとウィードが眠る場所だ。ベブルはベッドに腰掛けていた。ウィードは遅れて、いま部屋に入ってきたところだ。


「なあ、ウィード」


「何です?」


 ウィードは微笑みながら、部屋のドアを閉めた。


 ベブルは額に掌を当てる。


「ムーガのことだが、あいつ、何か具合でも悪いのか?」


 ウィードは首を横に振った。


「様子がおかしいのは判るんですが、訊いても教えてくれないんですよ。どこも悪くない、って」


「強がってるんだな」


「ええ。前にも、あんなことがあったのに……」


 ウィードは素直に頷いた。

 

 ベブルは眉を顰める。


「前にも?」


「あ、いえ。もう関係のない話です」


「ちゃんと言えよ。お前、あいつの『保護者』なんだろ? 俺に言っておけば、あいつを危険にさらす可能性を減らせるかもしれないぜ」


 ベブルは自分の胸を親指で示した。だが、ウィードは首を横に振るだけだった。今度は、両手も小さく振って。


「いえ、本当に、もういまは関係のない話なんです。そう、まったく。その要素自体が、いまはもうないんですから」


「……そうか?」


「ええ。それではお休みなさい」


 ウィードはそう言い残し、早々と自分のベッドに入った。


 こうなっては仕方がない。ベブルも今日はもう寝ることにした。


 明かりを落とす。


 暗闇の中で、ウィードは天井を見上げていた。そして、呟く。


「もしも憶えているなら、は二度と繰り返さないでくれるだろうに……」


++++++++++

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