第26話 小悪魔の契約

「へぇー、夜露がそんなことをねぇ」

「他言無用で頼むぞ」

「分かってるって。友達のそんな話、進んで他人に聞かせようとは思わないよ」


 無事にプレゼントを選び終わった俺と柏木は、モールの中にあるフードコートに腰を落ち着かせていた。

 俺の話を聞きながらクレープを頬張る柏木の表情は、若干の驚きを浮かべている。まあ、ある程度のことを察していたとしても、まさか始まりがそんな出来事だとは予想だにしないだろう。

 俺が聞かせていた話は、柏木が提示した見返りのもう一つ。葵との馴れ初めだ。

 一年の時に俺が葵を助けたらしいところから、二ヶ月前に屋上で起きたあの告白紛いのことまで、全部話してしまった。葵本人の許可を得ていないのは若干の申し訳なさを感じるものの、どうやら柏木は一年の頃の話を既に知っていたらしい。


「それにしても、まるで昼ドラみたいだ」

「あながち否定できんのが嫌だな」


 クレープをちびちびと食べながら、柏木は他人事のように適当な口調で言う。友人三人がこんな状況になっているとはいえ、柏木にとっては事実他人事なのだから当然の反応ではあるけど。

 その声が冷たい響きを伴っているのは、第三者から客観的に見ているからだろうか。


「てか、飯前にそんなもん食ってたら太るぞ」

「デリカシーないね、大神くん。夜露に同じこと言ったら嫌われちゃうかもよ?」

「この程度で嫌われるようなら、ここまで関係拗れてねぇよ」

「それもそっか」


 クスクスと笑う柏木だが、彼女の口元には生クリームがついていて、ちょっと間抜けに見える。こういうところも可愛いとは思うけれど、それ以上に締まりが悪くて、つい呆れたため息が漏れてしまう。


「柏木、口にクリームついてる」

「んん?」

「違う、反対だ」


 堪らずもう一度ため息。幸せが逃げていったらこいつのせいにしよう。

 口元を軽く指で拭った柏木は、手についた生クリームを舌でペロリと舐める。その仕草がやけに色っぽくて、直視するのも憚れた。


「取れた?」

「……まだついてる」


 テーブルに肘をついて手に顎を乗せてそっぽを向いていれば、視界の端に映っていた柏木の顔、その口元がいきなり弧を描いた。

 そしてテーブルに軽く身を乗り出し、俺との距離を詰める。反射的に体を後ろに逃せば、目の前の小悪魔から一言。


「じゃあ、大神くんが取ってよ」

「なっ、おまっ……⁉︎」


 笑顔のまま目を閉じて、こちらに顔を突き出している。違うと頭では分かっているのに、それがまるで、恋人からのキスを待っている顔にも見えてしまって。

 改めて柏木の顔を眺めると、こいつは美人だと再認識させられる。広瀬達と一緒にいると逆に目立つ黒い髪に、葵とはまたベクトルの違った可愛さ。葵はどこか幼い感じがするけれど、柏木にそんなものは感じられず、時折妙な色気を醸し出す始末。

 今だって、その色気のせいで、つい唇から目が離せなくなる。白い生クリームの跡が少し残った、桜色の唇。

 端的に言ってしまえば、見惚れていたんだろう。だから俺の体は完全に固まって動けなくなってしまい、しかし次の瞬間には、クスクスと耳触りのいい笑みが聞こえてきた。


「ふふっ、冗談だよ、冗談。そんなに赤くならなくても、これくらい自分で取るって」

「お前なぁ……」


 分かってはいたが、やっぱりからかわれていただけらしい。心臓に悪いからやめてほしい。あと謎の罪悪感も覚えるから。誰に対してかは知らんけど。

 笑みを引っ込めないままに今度こそ口元を綺麗に拭った柏木は、心底愉快そうに俺を見つめる。


「いやぁ、大神くんをからかうのは楽しいね。朝陽くんにはさすがに出来ないし、黒田にはそもそもこんなことする気起きないし。うん、いいオモ……お友達ができて嬉しいな」

「今オモチャって言いかけたろ」

「気のせいだよ」


 てか、黒田は呼び捨てなんですね。まあ黒田だしそんなもんか。酷い扱い受けてんな黒田。思わず同情しちゃう。憐れみをあげたくなっちゃう。

 尚も楽しそうな笑みを浮かべたままの柏木は、クレープを一口パクリ。謎の緊張から解き放たれた俺は、本日最大のため息を。


「大神くんも一口食べてみる?」

「いらん。またからかうつもりだろ」

「さすがに分かっちゃうか」


 そもそも、こんなことをして変な噂でも流れたらどうするのか。このモールには俺たち以外にも同じ高校の生徒はいるし、柏木の相手が俺だとは気づかれないだろうが、それでも柏木が誰かと恋人じみた真似をしていた、なんて勘違いするやつがいるかもしれない。

 なにより、こんなことをしていたのが葵の耳に入りでもしたら、更に面倒なことになるし、朝陽と広瀬からは何を言われるか分かったもんじゃない。


「まあ安心してよ。さっきも言ったけど、大神くんってわたしのタイプじゃないから、間違ってもわたしが惚れちゃうってことはないんだし」

「地味に傷つくからあんま繰り返すな」

「あ、大神くんがわたしに惚れちゃうことはあるかも?」

「ねぇよ」

「ふふっ、そうだよねー。大神くんには夜露がいるもんねー?」

「……」

「反論がないってことは、図星かな?」


 単に答えるのが面倒になっただけだ。特に深い意味なんてない。

 しかし実際、現状で葵からあんなにアプローチを受けているのだから、そんな中で俺が他の誰かに惚れるなんてことはないだろう。

 その点では、葵のアプローチは大成功していると言ってもいい。なにせ結局のところ、俺が葵に釘付けになってるのは、一つの事実ではあるのだから。


「でもさ。正直なところ、大神くんって夜露のことどう想ってるの?」


 顔からは笑みが消え、その表情も声色も真剣なものに。さっきクレープを齧ったせいでまた口元についてしまったホイップさえなければ完璧だったんだが、それは言わぬが花だろう。

 しかし、俺はその質問に対する明確な答えを持ち合わせてはいない。朝陽にも、広瀬にも、ここまで直球で聞かれたことは一度だってなかった。

 もし、あいつからちゃんと告白されたら。その時のことは考えたことがある。考えざるを得ない場面に、何度も出くわした。

 なら俺の、俺自身のあいつに対する感情は?


「質問変えるね。大神くん、夜露のこと好きなの?」

「……少なくとも、嫌いじゃないな」


 今はその答えが精一杯だった。

 あいつに、葵に好意的な感情を向けていることは認めよう。この二ヶ月間、向こうからあれだけ好意を示されて、嫌いになれるはずがない。

 葵夜露という一人の人間にも好感を持てる。

 可愛いだけじゃなくて、勉強も運動もなんでも出来て、しかし努力は決して怠らず、自分の願いをしっかりと持ち、それを口に出来る強い女の子だ。


「多分、今の大神くんなら、夜露に告白されればそれを受けてあげるでしょ?」

「……」

「沈黙は肯定と見なすね。でも、大神くんが夜露のことをちゃんと好きになれないまま、二人が恋人同士になっても、誰も幸せになれないと思うよ」

「四人全員が、か」

「うん。巻き添えみたいにあの二人もね。だから、ちゃんと考えないと。大神くんは、夜露のことをどう想ってるのか。夜露の気持ちを受け入れるだけじゃなくて、大神くんの気持ちもちゃんとぶつけてあげないと」


 俺の気持ち。葵の気持ち。それから、幼馴染二人の気持ち。

 分かっているつもりでいた。けれど、本当に俺が考えている通りなのかは、本人達にしか分からない。そもそも今の俺は、自分の気持ちすら明確に言語化出来ないのだ。そんなやつが他人の気持ちを正しく推し量ることなんて、出来るのだろうか。


「まあ、焦って考える必要もないと思うよ。でも、ちょっと早くした方がいいかもね」

「矛盾してるだろ、それ」

「してないよ。焦ることと早くすることは全く違うもん。急いては事を仕損じる。けれどそのスピードを緩めてはダメ。あくまでも落ち着いて、ちゃんと自分の気持ちに向き合わなきゃ」


 ニコリと笑みを作った柏木からは、先ほどまでの真剣な雰囲気を感じられない。ただ単純に、俺を激励してくれているように思える。


「わたしでよかったら、たまに相談乗ってあげるし。夜露は夕凪に色々相談してるみたいだから、大神くんにも味方は必要でしょ?」

「正直助かる……」

「まあ、ちゃんとそれなりの見返りも要求するけどね」

「一応聞いとくけど、例えばどんな?」

「今日みたいに一日デート、とか?」

「……これはデートじゃないと思うんですけど」

「ふふっ、冗談だよ。やっぱり大神くんはからかい甲斐があるなー!」


 心なしかイキイキしてる柏木に、俺はそっとため息を吐き出した。

 どうやら悪魔の契約ならぬ、小悪魔の契約を結んでしまったらしい。それでも、なんだかんだで俺たち四人のことを慮ってくれていると分かってしまうから、感謝せざるを得ないのだけど。









「えへへへ……」

「ちょっと夜露ー。ものすごい顔になってるわよあんた」

「え? あ、ごめんなさいっ!」

「いや、謝らなくてもいいけど」


 放課後になってからも、私は未だに昨日と今日のお昼休みを思い出してしまい、顔のニヤケを止めることが出来ないでいた。

 そんな私を見て呆れたようにため息を吐いている凪ちゃんと、微笑ましくこちらを見ている伊能くん。

 凪ちゃんが伊能くんの部活が終わるのを待って、それからお店に来てくれた。大神くんは、私の誕生日プレゼントを世奈ちゃんに助けてもらって買いに行くと言っていたから、今日はいない。

 今はもう二人ともご飯も食べ終えて、三人で雑談している最中。そんな時に、心ここに在らずだったから、ちょっと申し訳ない。


「それで、真矢は葵の弁当喜んでくれたのか?」

「はいっ! 昨日も今日も、美味しいって言ってくれました!」

「良かったじゃん。あいつの胃袋も、すっかり葵に掴まれちまってるな」

「そ、そんな、まだまだですよぉ……」


 言葉とは裏腹に、その実感を確かに持っているから頬は緩むばかり。どうやら、私の表情筋は仕事をサボってしまっているみたいです。


「恋は盲目ってより、失明してるわね、これ」

「微笑ましくていいじゃねぇか」


 お弁当を作り始めた理由は、彼に直接告げた理由も本当のことだけど、それよりも。

 大神くんは、お店に来てくれた時にいつも、美味しいと言ってくれる。

 その一言は私の胸に浸透して、悶えたいくらい嬉しい気持ちになれて。だから、もっとその言葉を聞きたくて。

 私の料理で、あなたに幸せを受け取って欲しくて。

 そんな、自分勝手な理由が本当の気持ち。自分が満足するためだけに、大神くんを利用しているようなものだ。完全なる自己満足。でも、それで少しでも、彼が幸せな気持ちになってくれるなら。

 そう思うと、お弁当を作るのは余計に気合が入ってしまった。

 もちろん、隠し味も忘れずに。


「そうだ。お二人は大神くんの食べ物の好みとか知ってますか?」

「んー、あいつってその辺りのこだわり薄いからなぁ」

「美味しいものならなんでもバッチコイ、って感じじゃない?」


 昨日大神くんにも投げた質問を幼馴染の二人にしてみるも、返ってきた答えは似たようなもの。出来れば、少しでも大神くんに満足してもらえるように頑張りたいけど、そのための有益な情報は得られそうにない。

 嫌いな食べ物がないのはいいことですけど、好きな食べ物がないというのも考えものですね。


「なんなら、葵の作る料理を好物にしてやる、くらいの勢いで作っちゃえよ」

「私の料理を……」

「そうそう。葵の料理なしでは生きられない体にしてやるんだよ。ま、もうすでにそうなってそうだけどな」


 ハハハッ、と愉快そうに笑う伊能くん。凪ちゃんはその隣で何故かため息を。

 けれど、伊能くんの言うことも尤もですよね。そもそも、胃袋を掴むってそういうことでしょうし。

 毎日大神くんにお弁当を食べてもらって、そのうち毎食私の料理が食べたくなって、いつかは朝食も夕食も、同じ屋根の下で同じテーブルを囲んで、なんて……。


「えへへへへへ……」

「あれ、おーい、葵?」

「ダメだこりゃ……」


 や、やっぱりそのうち、二人から三人に増えたりするんですよね? でもでも、一人っ子は寂しいだろうから、最終的には四人になったり、大神くんが望むなら、それ以上でも私は……。


「この顔を大神に見せてやりたいわ」

「写メ撮って送るか」

「ナイスアイデア」

「しっかし、これは真矢が落ちるのも、時間の問題だろうなぁ」

「……そうなった方が、あたし達もだいぶ楽になるしね」

「違いない」


 カシャっと音が鳴ったのにも気付かず、伊能くんと凪ちゃんの会話も頭に入ってこず、私は真っ赤な顔で妄想に耽るのでした。

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