第20話 曝け出すその目

 俺のことを知っている人間ならばご存知の通り、俺の前髪は結構長い。しかしその理由を知っているやつは、その中から更に少なくなる。家族と幼馴染二人、それから葵だけ。

 世の中には、異性のパートナーを選ぶなら顔よりも中身とほざくやつらが一定数いるが、それは間違いだ。どれだけ相手の性格を重視しようが、第一印象というものはまず見た目、もっと言えば目から与えられる。

 溌剌とした。生気のない。静かな。鋭く尖った。忙しない。などなど、人の目ひとつしても、他人に与える印象はさまざまだ。

 性格、いわゆる中身というものは、どうしても顔、すなわち外見に出てしまう。それが最も色濃いのが目。というのが、俺の持論だ。

 もちろん、そこに出るのはその人のほんの一部分でしかない。もっと深く知りたいのであれば、必然的に深く関わっていくしかない。

 だが第一印象というのは大切で、それが良くない相手と、これから深く関わっていこうとは中々思えないだろう。

 相手の目を見て話せ、と親から教えられたことはないだろうか。親じゃなくても、教師やその他の大人たちから。教えられていなくても、どこぞの本やら教材やらで、そんな感じのことを見かけた覚えが誰でもあるはずだ。

 目を見る。ただそれだけのことで、多くの人は相手の心理、感情を推し量ることが出来る。今聞かされている言葉は嘘なのか、その言葉をどういう気持ちで発しているのか。またそこから、自分はどういった言葉を返せばいいのか。意識的、無意識的に関わらず、大体はそのような思考の元、会話は行われているはずだ。言うに及ばず、必ずしも目だけで判断しているわけではない。例えば、声色だって判断材料のひとつにはなる。

 その辺りを気にしないバカも、まあ一定数いるけれど。

 では、そんな人の目に、メガネなどのファクターを通してみればどうだろうか。これが不思議なもので、メガネひとつあるだけで印象というのは変わってしまう。

 例えば、死んだ目とか生気のない目とか揶揄されるそれにメガネをかけてみれば、結構劇的に変わるのだ。それだけで知的に見えるわけでもないが、与える印象はかなり変わってくる。推測ではあるが、これは目を直接見る時とは違い、メガネへとピントをずらしているからだろう。

 俺がメガネをしている理由も、似たようなもの。それひとつで瞳の色が変わるわけでもないけれど、それでもメガネへとピントをずらしてやることで、瞳の色を気づかせにくくする。その上で長い前髪も邪魔をしているのだから、俺の瞳の色に気づくやつなんてそうはいない。

 まあ、その結果が、今の俺のクラス内での立ち位置にもなってしまっているが。

 人と人のコミュニケーションに目を見るという行為は不可欠だ。では、俺のような、目をちゃんと見ることが出来ない人間がいれば、周りはどうするのか。

 答えは明白。そいつを避けようとする。何を考えているのか分からないからとか、なんか陰キャっぽいからとか、まあそんな感じで。

 俺の実際の性格がどうであれ、必要以上に目を隠している俺が周りに与える印象はそんなもんだ。

 そもそも、人の性格というのは第三者の観測なくして成立しない。明るい性格だと思っていても、その明るさを振る舞う誰かがいなくてはならない。自分で自分がどんな性格なのかと考えても、結局のところ他人がどう思うのかはその人次第なのだから。

 葵が自分を弱いと断じていても、それでも俺が、彼女は強いと感じたように。

 俺らしさ。彼らしさ。彼女らしさ。

 そういったものは全て、自分じゃない誰かが定義づけるもので。だからこそ人間は、周りからどう思われているのかを気にして、その上でご機嫌とりなんてのに奔走するのだ。

 閑話休題。話が長くなりすぎた。

 さて。このように長大な前置きをしたからには、もちろん大神真矢として一世一代の大勝負がこれから待ち受けているわけだ。

 今日は土曜日。現在、待ち合わせ場所である駅前。葵とデート、というか映画を観に行く日。

 それが直接的な要因というわけではない。彼女と二人で過ごすことには、すでに慣れているから。

 言うまでもないが、気合いが入ってることに変わりはない。どれだけ慣れようが、あんな美少女とデートなのだ。気合い入らないとか男じゃない。

 問題は、現在の俺の格好にあるわけで。


「──」

「葵? どうかしたか?」


 待ち合わせ場所にやってきた葵。挨拶をするよりも前に、口を開けてしかし言葉を発さないその様は、まさしく絶句という他ないだろう。

 あの葵が挨拶すらしないとは相当なことがあったのだろうか、なんて白けてみるが、原因は明白。というか、俺にある。


「お、大神くん、どうしたんですか? メガネもしてないですし、髪の毛も、綺麗に整えてますし……」


 まあ、つまりはそういうことだった。

 学校に行く時や誰かと出かける時は、いつも長い前髪を垂らした上でメガネもしているが、今日は違う。

 そもそもメガネは伊達だから視力とか関係ないし、髪の毛もワックスを使ってちょっと整えてきた。お陰で俺の視界を遮るものはなにもなく、瞳の色も周りのやつらからはよく分かるようになっている。いわゆる、『遠出』仕様にしてきたわけだ。

 まあ、他人の瞳の色なんて、見ようと思わなければ分からないものだけど。


「いや、葵にはもう隠す必要ないだろ? 一人で外出るときとか、遠出するときは大体これだからさ。それとも、なんか変か?」


 家族以外にこの格好を見られたことは、あの人以外になかったのだが。もしかして、あの人がなにも言わないだけで、どっか変なところでもあるのだろうか。

 しかしどうやらそういうわけでもないらしく、顔を赤く染めた葵はぶんぶんと首を強く横に振る。


「い、いえいえ! そんなことないです! それどころか、その、大神くんの目がちゃんと見えるから、私はいいと思いますよ?」

「ならよかった」


 葵だって俺の素顔をちゃんと見たのは、今日が初めてじゃないのに、なにをそんなに緊張しているのか。

 そもそも、俺の顔面偏差値なんてたかが知れてるのに。

 悪くはないが特別いいというわけでもなく、ちゃんとした格好したらカッコよく見えなくもないけど、朝陽には遠く及ばない。てかコメントに困る。つまり中の上。とは、広瀬の談。コメントに困る顔してて悪かったですね。そもそも比べる相手間違えてるだろ。あんなイケメンと比べんなよ。

 恋は盲目どころか失明の勢いで突っ走ってる葵からすれば、もしかしたら俺がイケメンに見えてしまっているかもしれないけど。


「でも、どうして突然? たしかにお家にお邪魔した時も、目は隠してなかったですけど……」

「いや、お前と並んで歩くのに、あの格好はさすがにまずいだろ」

「……?」


 今の説明では理解できなかったようで。葵は可愛らしく小首を傾げている。

 ちょっと恥ずかしい上にどうなるかはある程度予想できるが、素直に全部白状するしかないか。


「葵みたいに可愛い子と歩いてるんだから、俺だってちょっとくらいはカッコつけたいんだよ」

「か、かわっ……⁉︎」


 やっぱりこうなった。

 今日も今日とてポンコツ夜露ちゃんが始動。余計に顔を赤くして、唐突な褒め言葉を受け止めきれていない様子。まあ、可愛いからいいんだけど。


「ほら、そろそろ行こうぜ。映画間に合わなくなる」

「か、かわ、かわわわわわ……」


 あの、ポンコツに磨きがかかってないです? これ大丈夫なの?

 完全にショートしてしまったらしい葵。なかなか動かないので、仕方なく手を引いて駅の改札まで向かった。仕方なくね、このままじゃ移動できないから、仕方ないからね! やましい気持ちなんて一切ないからね!

 それにしても、葵の手ってなんでこんなやわこいんですかね……。






 前回とは違う各駅停車の電車に乗って、前回と同じモールの映画館へ。

 劇場内に入った頃には、さすがの葵も正気を取り戻していたようで。上映開始してからチラホラと隣を見ていたのだが、彼女は瞳を輝かせてスクリーンに食いついていた。

 まるで幼い少女のように。しかし観ている映画は、蜘蛛男がいろんな次元からやってくる、なんて内容の映画なのだから、なんだかチグハグだ。

 さて。そんな今回鑑賞している映画だが。前回と同じくヒーローもので、原作者も前回と同じ人の、アメコミの映画化だ。


「いや、今回も凄かったな……」

「はい、なんというか、圧巻でしたね……」


 映画を観終わって、この前と同じ喫茶店へ移動した俺たちは、あまりにも素晴らしい映像の世界に、ただただ呆然としていた。

 いやはや、映画というのはこうも素晴らしいものだったのか。前回で分かったつもりになっていたが、どうやら俺はまだまだのようで。葵がどハマりするのも頷けてしまう。

 感想を存分に語りたいのだけど、上手く言葉にすることが出来ない。非常にもどかしい気持ちだ。俺の語彙力では、あの映画の素晴らしさを表現出来ないのだから。

 一方の葵は、未だに映画の中の世界から抜け出せていないのか、どこか呆けた表情のまま。目の焦点が微妙にあっていなくて、ほうっと息を吐いた。

 不躾ながら、そんな表情はいつもより色っぽく見えてしまう。


「……軽く昼飯食うか」

「そうですね」


 そんな風に思ってしまったのが、なぜか申し訳なくなって、それを悟られないうちに言葉を続けた。どうやら気づかれてはいなかったみたいで一安心。

 店員を呼んでそれぞれ食事を注文する。今日は二人ともサンドウィッチ。

 程なくしてからやってきたサンドウィッチに手をつけ、ポップコーンのお陰で中途半端な腹のなかを満たしていく。


「この後、またモールの中でもぶらつくか?」

「はいっ、大神くんさえよければ」

「もちろん問題ないよ。映画見て飯食って解散ってのも、さすがに味気ないしな」


 言えば、嬉しそうに顔を綻ばせてくれる。その笑顔を見せられて、俺まで嬉しくなるのは、一体いつの頃からだったろうか。

 葵とももう二ヶ月の付き合いになるが、俺たちの距離は着実に近づいている。近づいて、しまっている。

 それが悪いことだとは思わないけれど、あまりにも潔く行き過ぎではないだろうか?

 人の感情というのは、時に理性や思考から大きく逸脱した行動を取らせてしまう。特に、俺たち思春期の少年少女はそれが顕著だ。嫉妬、羨望、そこから来る憎悪。それらの感情を上手くコントロール術を、未だ高校生の俺たちは知らない。


「大神くん……」

「ん?」

「ひとつ、お聞きしたいことがあるんですけど……」


 思考の海から抜け出したのは、葵の不安そうな声を聞いたから。

 視線は手元のサンドウィッチに向いていて、その表情には迷いが見える。

 何を聞こうとしているのかは、ある程度候補があるけど、さすがにそこから絞り込むことも出来ない。

 やがて顔を上げた葵が口を開いて、しかし俺になにかを尋ねる前に、あっ、と小さく声を漏らした。


「あれ、世奈ちゃん……?」

「せな?」

「ほら、あそこです」


 葵が指し示す方向、俺の後ろに振り返ると、店の入り口から見覚えのある顔が入ってきた。

 柏木世奈。俺のクラスメイトで、広瀬の友人の一人だ。葵が下の名前で呼んだからイマイチピンとこなかったが、あの化粧っ気のない清楚な感じの顔と立ち姿は見覚えがある。

 その柏木と一緒に入店したのは、スーツ姿の男性。歳は四十前後だろうか。なにやら柏木とは親しげに会話している。


「ご家族の方、でしょうか?」


 葵が疑問形になるのも当然だ。親子と言うには、あまりに似ていない。遠目から見ているからそう感じるだけなのかもしれないけれど、それでも一目見て親子なのかと首を傾げてしまう。


「そういや、柏木は最近バイト始めたって言ってたな……」

「えっ、それがどうかしたんですか?」

「いや……」


 思い当たらないならそれで結構。俺は今、とても失礼なことを考えているのだから。

 ていうか、それよりも。個人的には、こっちに気づかれる方がまずいわけで。

 繰り返すようだが、俺は学校に行く時、いつもメガネをして前髪で目を隠している。つまり、朝陽と広瀬以外のクラスメイトが今の俺を見たところで、大神真矢だと気づかない可能性が高いのだ。

 そうなれば、葵夜露が見たことない男とデートしていた、なんて噂が出回るかもしれないわけで。

 もっと言えば、話しかけられでもした時の対処に困る。いや待て、逆に言えば、こちらに気づいて話しかけて来てくれたのなら、それはそれで柏木のバイトが俺の想像通りのものじゃない証明になってくれるのだが。


「大神くん、何か知ってるんですか?」

「あー、いや、そのだな……」


 まさか追求してきますか葵さん。

 え、これどう返せばいいの? 葵も柏木と友達っぽいのに、あなたのお友達は春を売ってるっぽいですよ、なんて言えるわけがない。

 ここはもうちょっとオブラートな表現を……。なにか、なにかないのか……。


「いわゆる、パパ活、的な……?」

「パパ活……?」

「いや、分からないならそれでいいんだぞ?」

「……つまり、やっぱりあの男性は世奈ちゃんのお父さんで、親子同士もっと仲良くなろう、みたいな感じですか?」

「……お前はそのままでいてくれよ」

「え、大神くん? どういうことですか?」


 葵が純粋すぎて、俺の目が焼かれそう。いやまあ、何も知らないやつが聞いたらそう思うよね。でも違うんだよね。葵にはどうか、いつまでも純粋なままでいて欲しい……。


「あ、世奈ちゃん、こっちに気づいたみたいですよ。どうします?」

「マジか……」


 もう一度振り返ってみれば、柏木は男性となにか言葉を交わした後、こちらに向かって歩いて来ていた。ひとまずは俺の想像通りじゃないと分かって一安心。

 しかし、ここからどうする? 葵も分かってくれているからか、俺にどうするかと聞いてくれる。それが今はありがたくもあり、同時に少し嬉しい。

 が、喜んでる場合ではない。そもそも、考える暇すらないのだから。


「夜露ー、こんなとこで奇遇だね! また映画観てたの?」

「こんにちは、世奈ちゃん。今日も映画観てたんです」


 やがてこちらに辿り着いた柏木は、葵とにこやかに挨拶を交わす。てか、なんで葵は無駄に誇らしげなんだ。

 そしてこうなってしまえば、自然と俺に話の矛先が向いてしまうわけで。朝陽と広瀬以外のクラスメイトにはバレたくないが、さてどう対応すべきか。

 やがて俺の顔を覗き込んだ柏木は、驚いたような顔をして一言。


「……あれ、大神くん?」


 なーんで分かっちゃったんですかねー?

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