第346話 ■「とある日の一日」
その後もバルクス医学研究室の今後の方針や諸々の雑事の相談を行ったアンは来た時とは別人のように晴れやかに退室していった。
「……ふぅ」
「それで? もう少し詳しく教えてもらえるかしら?」
一つため息を吐いた僕に頬杖をつきながらクリスが聞いてくる。これこれお姫様、態度が悪いですよ。
「といっても僕も前世に小説や漫画で知った程度の知識でしかないさ
顕微鏡ってのも実際にベルたちが完成させたものを見た方がわかるだろうしね。
ざっくり簡単に言うと……より拡大してみることのできる虫眼鏡ってかんじかな?」
「へー、なんだか興味が湧くわね」
ベルやメイリア、ボルイド族のリザイア技長たちの努力のおかげでこれまで銀主体であった加工技術も鉄鋼主体の技術に発展し、それと併せてガラスなどの加工技術も向上しているから電子顕微鏡はさすがに無理でも通常の顕微鏡であれば作成は可能だろう。
うん、一応あとで顕微鏡の仕組みをまとめた本をベルに渡しておこう。
「ですが、小さなものが見えることの意味って何なんでしょうか?
どうも私にはピンと来なくて……」
一緒に話を聞いていたアリスも少しだけ考えるようなしぐさをしながら聞いてくる。
まぁこの世界のほとんどの国民にとっては目に見えないものがある。という感覚は希薄であろう。
強いて言えば魔法に関することなんだろうけれど『四賢公』の迫害によりその重要資料の多くが失われたか、一般人お断りの王国図書館の奥深くという状況だ。
「二人は風邪になる原因って何かわかる?」
「風邪の原因……ですか? 不摂生からくる疲労でしょうか?」
「一説には体内の魔力の流れが乱れているからってのもあるわね」
と、僕たちの中で知識がある二人ですらこれである。
中流階級以上であれば治癒魔法で一発快癒というのも原因究明を阻害している一因でもあるだろう。
なにせ風邪は小さな切り傷と同様、魔法ですぐ直る程度の感覚でしかないのだ。
一般的な風邪でさえこうなのだ。他の医学的なことなど推して知るべし。
「僕の前の世界では、風邪の原因はウイルス……簡単に言うと目に見えない生物が鼻やのどの粘膜から感染して炎症を起こすのが原因なんだよ
「ウイルス……ですか?」
僕の言葉にあまりピンとこないようでアリスは小首をかしげる。
うん。これは説明するよりも実物を見るしかないようだ。
「ま、今説明してもわからないだろうから実物ができた時に実際に見てもらうってことで」
「そうね。その方がよさそうよね」
そう返す僕の言葉にクリスとアリスは頷くのだった。
ちなみにこの時の僕は知らなくてアンに説明を受けるのだが通常の光学顕微鏡ではカビや細菌は確認することができるがさらに微小なウイルスは見ることは出来ないそうだ。
それでも顕微鏡で見える細菌という存在にクリスやアリスが驚くことになるのはもう少し先のお話。
――――
「え? ルーク先生ですか?」
「うん、アンはどう思っているのかなってね」
顕微鏡やカビの培養についてベルとアンの間を僕が取り持って以降、より親交が深まったようでこうして日に一度のティータイムにタイミングが合えばアンも参加するようになっていた。
当初は当主である僕や元王女であるクリスに緊張を隠せない様子であったがベルやメイリア、ユスティが上手く間を持ってくれたことで大分緊張せずに会話ができるまでになっていた。
そんなある日、ベルがアンに問いかけたのが先ほどの会話である。
それだけで何となくベルの考えが見えてくる。詰まるところ恋バナという奴だろう。
図らずもアンと僕の出会いと取り持ったのはルーク君の功績といってもよい。
ベルとしては、僕の元で使えるために単身でエルスリードに来ているアンの事を気にかけているのだろう。
この世界は僕が積極的に重臣に女性を採用していることで軟化しているとはいえここエルスリードでもいまだに男尊女卑の思想は根強い。
そしてそれは単身女性が生活するのも色々と不都合があったりする。
それを手っ取り早く解決するのがあまり気乗りしないけれど誰かに嫁ぐことで所帯を持つことである。
特に平民の女性たちは総じて早婚の傾向が強い。色々とやってはいるけれど意識改革から必要だから女性の社会進出は道半ばである。
十五歳のアンもあと五年もすれば行き遅れとして白眼視されかねない。
ベルの弟であるルーク君は今年で十八になるんだったかな? ピアンツ男爵……いや、子爵に陞爵予定の次期当主としてそろそろ結婚相手の検討を始める頃合いである。
一方でアンは三つ年下の十五歳。
平民であることを考えれば正妻は難しいけど将来的に側室ということも考えられるし年齢差的にもいい感じである。
場合によってはベルたちのようにアンに男爵位を与えたのちに正室にすることも考えられる。
だけどそれにはアンが自他ともに認められる功績を立てる必要があり不確定要素すぎる。
ってことでとりあえず本人の気持ちにそれとなしに当たりをつけようとしているのだろう。
ただこういったことに関しては僕が入ってもろくなことにならない気がするので聞き役に徹することにしよう。
クリスたちから「黙って聞いてろ」っていう無言の圧を感じているとかそんなことは無いよ。ホントダヨ。
そんな年長者たちの質問の本質を知る由もないアンは少しだけ考えた後に
「はい、学校ではお世話になりましたし、とても尊敬しています」
その言葉にベルではなくクリスがにやりと笑う。公ではやらない身内にしか見せない何かを企む笑みだねぇ。うん。
その事をベルたちもよく知っているのだろう。主導権をクリスに丸投げする。
「尊敬……か。それって好きということかしら?」
「うーん、そうですね。好きか嫌いかでいえば好きですよ」
その言葉に「言質とったり」とばかりに誰をも魅了する微笑みをアンに向ける。
実際にその微笑みにアンは顔を赤くする。うん、知らぬが花だねぇ。
ただ御免よ。動き出したクリスたちを止める術は僕には無い。
それに私事ながら『ギフト』持ちだから確保の意味で僕の側室に……と動き出さない分ありがたい。
いや、僕だって男だから美人――まぁアンはまだ若いから可愛いというほうがあっているか――が嫌いなわけがない。
ただ今ですら正室と側室が四人いるのだ。ぽんぽんと増やされても大変だ。
ハーレム王に憧れる男性は多いだろうが、よっぽど神経が図太くない限りそれぞれへのフォローは神経を使うのだ。
その分、ルーク君の側室というのは最善手といえるだろう。
「うん、今日もベルの淹れたお茶は美味しいねぇ」
そんなことを言いながら少しずつ春に近づいていく青空を眺めながらお茶をすするのであった。
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