第318話 ■「新貴族の後継者事情1」

「はぁ? 結婚だぁ?」

「そっ、相手とかはいないの?」


 クイとニアの結婚式から一月ほどが経った七月後半のある日の当主室。


 十センチほど積みあがった資料の一枚一枚に目を通しながら質問した僕にアインツが訝しげに声を上げる。


 当主には基本的に休みというものが無い。領民からの陳情や時間に切れ目というものがないからだ。

 だからと言ってブラック企業のように働きづめというわけでもない。


 領民から上がってきた陳情を精査して資料にまとめるのは執務官たちが粗方終わらせてくれる。

 それに目を通して最終決定をするのが領主の仕事となるので毎日の勤務時間は長くて四、五時間と行ったところだ。

 午前中はのんびりと過ごすことも出来るまでになっている。

 情報精査もしなければいけなかった当主になった頃に比べればホワイト企業に等しい。


 この体制が出来るようになったのも執務官の人数が増えたからである。

 無償教育が開始されてからおよそ八年。

 優秀な生徒については、執務官の下について補佐しながら執務のイロハを学ぶことになる執務補佐としてスカウトを行ってきた。

 それにより執務官学校で教育を受けてきた執務官とはベースがやや劣るとはいえ安価な給与で人材を増やすことが出来た。


 そして実業務で経験を積み次第、執務官とほぼ同様の業務を行う執務次官として再雇用してきたことでマンパワーの充実が図れた。 それにより執務官達には週休二日の二交代制が組めるまでになった。


 執務官として安価とはいえ、その多くが農民である領民にとっては、破格な給与だ。

 噂が噂を読んで今や執務補佐の職は、特に跡を継ぐ予定の無い三男坊以下の領民にとって今やあこがれの職業の一つである。


 そうなるとそれまでは領主に命令されたからいやいやと……であった無償教育への見方が変わる。

 今やどこの学校も定員に達して待ちまで発生している状況で新規開校が追い付いていないほどである。


 閑話休題


 執務官が増えたことで作業量は減ったとはいえ、当主には休みはない。

 非常にまじめで優秀なクイは文句を言うこともなく当主代行をしてくれはするが、なんせクイは新婚ホヤホヤ。

 貴族というものは、政略結婚がメインでお互いの為人というものを知る時間もなく家族になる。


 なのでお互いを知る時間を作るために当面の間は週に二度。クイとニアにデートするように当主命令を出している。

 今頃はアインズ川に川遊びと狩りをしに出掛けているはずだ。


 ということで仕事していた僕の元に妹を引き連れてアインツが邪魔をしに来ていたわけである。

 アインツも僕と同い年。つまりは今年で二十四歳になる。


 元の世界では未婚の方が多いだろうし、この世界でも若いうちの結婚を勧められる女性ならともかく男性でも半数ほどは未婚といった年齢ではある。

 貴族でも、政略結婚の道具としても価値がある女性と違って後継がほぼ絶望的な三男坊以下であれば、むしろ金がかかるからと独身のほうが多いだろう。


 アインツの生まれであるヒリス男爵領……という名の村は既に長子が継いでいる。子供にも恵まれているのでアインツにお鉢が回ってくることはほぼない。

 そう、今までは……


「僕としてはせっかくの新設貴族を一代限りで消滅させるわけにはいかないんだよね。ヒンドルク子爵殿?」


 そういう僕の言葉にアインツ……ヒンドルク子爵は嫌そうな顔をする。

 発表はもう少し先となるが、アインツはバルクス辺境侯内で新たに新設される貴族位の一つとなるヒンドルク子爵家の当主となる予定だ。

 これはアインツのみならず各騎士団の団長は、これまでの功績と今後の活躍に期待して子爵位もしくは男爵位に封じられる事になる。


 大体の団長については、子供がいるため継承については問題ないのだが幾つかの問題が発生する。

 アインツ。レッド。ブルーの三人である。

 三人ともに僕と同年代だからこれまでは結婚していなくても別に変なことではなかったのだが貴族家の当主ともなると話は別である。

 騎士団の団長である以上、いつ戦場に倒れることになるかはわからない。しかも新設された貴族位については、別領の親族に対しては適用が難しい。


 つまりは彼らがもし死んだとしても、バルクス辺境侯以外に居住している親兄弟が後を継ぐのはほぼ不可能。

 とりあえず三人ともに両親はバルクス辺境侯内に引っ越しているため、最悪親が後を継ぐことは出来るが、年齢的なことを考えると結局後が続かないことになるのであまりよろしい状況ではない。


 レッドとブルーについては……誠に不本意ながらもアリシャとリリィの関係は良好なようで、今回の事が残念ながら関係をより進める一助となるだろう。

 ……となると問題はアインツだけになる。


「ってことで誰かいい人はいないの?」

「……別にいねぇよ」


 そう言いながらアインツは、顔を横にする。

 ふむ、正直男の僕からしてもアインツは容姿に関しては上の方だろう。

 身長も僕よりも五センチほど高く百八十はあるだろうし、顔も整っている。若いメイドさんたちの中にもファンがいることを僕は知っている。……となると。


「…………まさか。そちら側の方ですか?」

「そちら……バカちげぇよ」


 わざとらしく自分の体を抱きしめた僕の姿を見たアインツは全力で否定する。ふむ、男色家ではないらしい。それなら僕も安心だ。


「それならさぁ。ローザちゃんとかどうなの?」


 それまで黙ってお菓子を食べていたユスティが口を開く。

 ふむローザか。確かに彼女は今年二十でこの世界での結婚適齢期ではある。しかもアインツが拾ってきた子だ。


「なるほど。飼い主の責任を……」

「いや、いつまでそのネタを引っ張ってんだよ」

「えー、でも可愛いよ? ローザちゃん」


「可愛いとかそういう事じゃねぇだろ。そもそもだっ!」

「?」「?」

「結婚したとして亜人との間に子供ができるのか?」

「……」「……」


 そう返すアインツの言葉に僕とユスティは無言になる。

 なるほど、そこは盲点だった。たしかにローザはグエン領の亜人で猫耳族だ。ファンタジー小説とかだとハーフエルフとか存在するけれどこの世界も同じなのかはわからない。


「俺に求められているのは後継ぎだろ? ならば不確かなローザは無理だろ? つーことでこの話はなかったってことで」


 僕達が黙ったのを好機と見たのかアインツは矢継ぎ早に喋って話を終わらそうとする。

 実際のところどうなのかは後でレスガイアさんに聞くとしても、たしかに今の段階でローザを妻にするというのは後継者という話からは難しいか。


「あ、でも正室は無理でも側室ならありなんじゃない? 大丈夫だよ。ローザちゃんも兄さんの事は慕っているから」

「なっ! ユスティ!」


 ところがどっこい、兄を知り尽くしたユスティが上手く梯子を外していく。


「なるほど……その線は当社としても前向きに検討することにしよう」

「りょうかーい」

「てめぇらなぁ」


 何かを言おうとしているアインツを無視してユスティは少し考えこむ仕草をする。

 そして何かを思い出したかのような表情をして。


「あっ! そうだっ! カグヤちゃんがいたじゃない!」


 そう嬉しそうに言うのであった。

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