第296話 ●「とても簡単なこと2」

「ふむ、どうやら鬼ごっこ……というわけではないようですね」


 目の前で行われる騎士による平民への残虐行為を見ながらもルーディアスはただの確認事項として言葉を発する。

 魔人にとっては、人間の死など当たり前の情景でしかない。

 単に直接的に人間種に手を下すことができないことを残念と思う程度の感情しか湧いては来ない。

 まだ感性が人間種よりの『蟲毒』ですらこの程度なのだ、『雷腕』に関してはより感情は希薄である。


 騎士たちは数十人。一人当たりの戦力に差があるとはいえ逃亡兵たちも協力して数にものを言わせれば対抗できるだろう。

 だが彼らには自身を統率できるだけの能力があるものが欠けていた。各々が逃げまどいそして殺されていく。


 そんな逃げまどう兵の一人が、目に二人の男を捉える。


「た……助けてくれっ!」


 それは彼にとっては藁にも縋る思いでの懇願。だがそれは知らぬ間に悪魔に契約の本質を理解させることになる。


 その助命の言葉は、二人にとってはかつて飽きるほどに聞き古した言葉。


 しかし同じ言葉であっても自分たちの殺戮行為に対するものと本質が異なる。それは人間種から、知らず魔人に対しての助力を求めての言葉。

 その言葉に『雷腕』は何の感慨もなくただ少し遠方を眺める。


 彼には変な癖がある。『雷腕』は普段の言動から殺戮狂のように見えるが実際には助命を求めたもの――つまりは弱者に対して何ら興味も持たない。

 彼はあくまでも戦闘狂なのだ。自分へと立ち向かってくる者との生死をかけた戦い。そこにこそ快楽を得るのだ。

 彼の興味はいま目の前で逃亡兵を狩る騎士たちに向けられていた。


「なんだ貴様ら! 邪魔をするならば切るぞっ!」


 騎士の一人が眼前に現れた二人に恫喝する。彼らはこの虐殺行為に正確な判断が出来てはいなかった。

 通常であれば魔物の蔓延る南側から何の武器も持たずに現れたことにこそ疑問を持つべきであっただろう。


 だがその騎士の言葉に『雷腕』はニヤリと笑う。騎士の言葉を自身への挑戦と受け取ったのだ。


「だとしたらどうするよ?」


 名の如く雷光にも負けぬ速さで騎士との距離を詰めた『雷腕』はその騎士を煽るように言う。


「ならば死ねっ!!」


 その速度が彼がただの人間ではないことを意味しているにもかかわらず、頭に血が上った騎士はその異常さを無視して『雷腕』へと剣を振り下ろす。

 その剣速は、曲がりなりにも彼が日々剣術を磨くために精錬していることを感じさせる。

 だがそれでもそれは人の域を超えることはない。


 『雷腕』に切り付けられた銀製の剣は、彼の皮膚に一つの傷もつけることなく根元から折れる。

 それに驚愕の表情を浮かべる騎士に『雷腕』は瞬く間に興味を失う。


「! 待ちなさいっ!」


 それに気付いた『蟲毒』が静止の声を上げるが事態は大きく動き出す。


「……ちっ、つまらん」


 そう言い放った『雷腕』の右拳が騎士のフルプレートアーマーの右胸部分にまるでスローモーションかのようにそっと触れる。

 そう、本当に触れただけ。


 その後に続いたのは騎士の背中からおびただしい血肉が飛び散りフルプレートが粉々に砕け散る風景。

 騎士は自分に何が起こったのかも理解することなく声もなく絶命した。


「何をした貴様!」

「我らに盾突くか!」


 それを見ていた残りの騎士たちも声高に叫ぶと『雷腕』一人を攻撃対象として襲い掛かる。

 だがそれは蛮勇でしかなかったのであった……。


 ――――


「まったく……なんてことを。こうも馬鹿ですかあなたは」

 

 ルーディアスは嘆息と共に『雷腕』を叱責する。

 数十人の血を浴びてようやく冷静になった『雷腕』もさすがに自身の行為の不味さに自覚があるようで一切の文句は言わない。


 ルーディアスも事態をどうしていくかに頭脳をフル回転させていてそれ以上の叱責をする余裕はない。

 完全に不味いことになった。

 悔しいが今の魔人側の体制では神どもの攻撃に抗い続けるだけの体力はない、奴らにとっては我々の今までの動きは取るに足らないものでしかないのだ。

 だが今回の件は、魔人が直接的に人間種を殺害するもの。それは忌まわしき神どもに前回と同様に介入の口実を与えてしまう事に他ならないからだ。


 ルーディアスは自然と上空を注視する。

 魔人として最弱クラス――それでも人間種よりも遥かに強いが――の彼は、その知性と強かさでこうして生き延びてきたのだ。

 そんな彼が手に入れたのは、神どもの動きを察知する能力。この能力のおかげで神どもの執拗な追撃から逃げ延びたのだ。


 それを発動して神どもの動きを察知しようとする。


「………………なぜだ? なぜ動かない?」


 だが彼の能力が捕らえた神どもは別段動きを見せることはない。忌まわしき過去の敗戦ではあれほどまでに迅速に介入してきた奴らが……だ。

 もしかしてブラフかと何度も確認するが、その結果が変わることはない。


 その事実にルーディアスは考える。……そして一つの結論にたどり着く。


「まさか……そういう事か……やってくれたな! @:w。k*;#」


 ルーディアスの頭の中に神どもの中心にいる最悪最低の少年の皮をかぶった化け物の姿がよぎる。


「なにがだ? 何の話だ?」


 それに『雷腕』は疑問の声を上げる。


「神どもの介入条件。なんて事はない簡単なことだったのですよ。

 そう考えると……なるほど『天変』の予想はあながち間違いではなかったという事ですか」


 ルーディアスと同様に人間種の世界に紛れ込んである活動をしているもう一人の魔人である『天変』の事を思い出す。

 最初に彼の予想を聞いた時には、そんなまさかと苦笑したがむしろ彼が正しかったというわけだ。


「あ……あの」


 ふいにルーディアスに声がかかる。その声にようやくルーディアスは現状を確認する。

 彼の前には『雷腕』のある意味暴走に助けられることになった逃亡兵の生き残りたちが不安そうな表情でこちらを見つめている。


 その不安は分からなくもない。藁にもすがる思いで握った藁が、猛獣の尻尾だったのだ。

 自分たちも周りで原形をとどめることもなく絶命した騎士たちと同じ未来を迎えるかもしれないのだから。

 かといって既に彼らには、圧倒的な殺戮劇を見せた『雷腕』から逃げようという気力は無くなっていた。


 言ってしまえば殺すのであればせめて苦痛なき死をといった心境であろう。


「ふむ、もしあなた達がまだ生きたいのであれば、私たちについてきますか?」


 そんな彼らが予想だにしなかった言葉をルーディアスは語る。『雷腕』がそれに口を出そうとするのを手で防ぐ。


「よ……よろしいので?」

「えぇ、騎士たちに追われていたあなた達はもう故郷に戻ることもできないでしょ?」


 その残酷な事実に逃亡兵たちは頷く。


「であればついてきなさい。なに、今の生活よりはましな生活ができると約束しますよ」


 それは悪魔の囁き。だが彼らにはそれに縋りつくほかない。

 その場のすべての人間が彼についていくのを決めるのにそれ程の時間は必要なかった。


 ――――


「おい! こんな何の役にも立たない奴らをどうするんだ?」


 一団がルーディアスに付いて移動を開始した後、『雷腕』はルーディアスに問い詰める。


「なに、我々で作るのですよ」

「作る? 何をだ?」

「人間による『国』を……ね」


「は? 『国』だと? 何を言ってやがる馬鹿じゃ……」

「あー、そうそう。『濁流』に国のトップになってもらいますか。王女というのも中々いいのでは?

 『雷腕』。あなたには王女を守る騎士団長にでもなってもらいますかね」


 自分が懸想する『濁流』の名前に『雷腕』はそれ以上の抗議をやめる。まったく分かりやすいとルーディアスはその細い目をさらに細くする。


「さて、これから忙しくなりますよ。国を作るからにはもっと人口が必要ですからね」


 そうルーディアスは怪しく笑うのであった。

 人類を滅ぼす。その足掛かりを作るために……

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