第271話 ■「当主代理1」

「ただいま帰りました。エル兄さん」

「ただいま帰りました。エルお兄様」

「うん、クイもマリーもよく帰ってきたね。お疲れ様」


 三月十八日。

 王都ガイエスブルクからクイとマリーが帰還してきた。

 本当であれば二月末に帰還予定であったが、ボーデ領への魔物襲撃の影響で足止めを食ったことで半月遅れての帰還である。


「それから、メイリアもお帰り。大丈夫かい?」

「はい、ご迷惑をおかけしました。実家の整理もできましたし、見送ることもできましたので」


 キスリング宰相暗殺事件に絡んで王都に行っていたメイリアも一年二か月ほどぶりに再会することが出来た。

 彼女の言葉の通りにすっきりした表情に僕は安心する。


「アリスもファウント公爵との折衝ご苦労様。アルーン要塞方面はもう大丈夫ということでいいかな?」

「はい、ファウント公爵旗下にてボーデ領への反撃体制構築が完了しました。今後の対応はリスティにて問題なく」


 アルーン要塞で事後処理をしていたアリスもタイミングが合ったようで共に帰還してきた。


「これで久しぶりに兄弟勢ぞろいか。うんうん、嬉しいねぇ」

「はい、僕も兄さんや姉さんにお会いできて嬉しいです」

「もう、クイばっかりズルい! 私だって兄様や姉様に会いたかったのにぃ」


 最初の厳かな会話とは打って変わって賑やかになる。それに僕はホッとする。

 そう、こうして大きくなっても家族の雰囲気は何ら変わることが無いことに。


「さてと、色々と積もる話もあるけれどこれからの事について話そうか」


 僕の言葉に皆が頷く。二人に途中退学して帰ってきてもらった理由もちゃんと共有しておく必要がある。


「さてと、まずはクイに戻ってきた一番の理由だけれど……」

「はい、僕にできることであれば」

「これから度々、僕は病気になろうと思うんだ。その間の当主代理をお願いしたい」

「……えっと、病気……ですか?」

「うん、執務もできないくらいの重い病気ということで」


 僕の言葉にクイは少しだけ混乱したような表情をするが、しばらく考え込むと口を開く。


「それは、その間、当主としてではなく裏で動くつもりということでしょうか?」

「うん、ご名答」


 そう僕は笑って返す。


 ――――


 まず当主代理についてだけれど、これは実はそこまで珍しくもなんともないことである。

 領地をもたない子爵以下の貴族はともかく、領地をもつ伯爵以上の貴族であれば、いるのが普通といってもいい。


 もちろん中には、僕がやろうとしているように病気により執務が難しいからという理由もあったりはするけれど伯爵以上の貴族の場合、その殆どが王都に居を構えて、領地には当主代理を置いているのだ。

 彼らが王都に居を構える理由は、生活レベルの高さや貴族同士の派閥争いのためというのが実際のところであろう。


 中央に近い公爵領はともかく、中央から遠くなれば遠くなるほど生活レベル――衣食住全てにおいて悪くなってしまう。

 より贅沢できるものが優れているという僕にとってはよくわからない価値観が大多数を占める貴族にとっては王都に住むことこそステータスなのだ。

 うん、東京に憧れる地方の若者って感じだろうか。


 一方、バルクス伯であったシュタリア家は当主代理を置いた時期はそこまで多くはない。


 一つには上納金が免除されていたというのが理由だ。上納金を毎年納付する義務がある他の貴族に比べてどうしても中央との繋がりが薄くなる。

 さらに言えばやはり距離の壁である。片道二か月もかかる距離のバルクスからおいそれと離れることは魔物との最前線といえる立地から不可能といってもいい。

 僕の祖父が王都に赴いた回数は記録上は三回。父さんは近年のバルクス領主としては多いとはいえ僅か五回。

 僕に至っては、入学のための一回である。


 つまり大概はバルクス領内にいたわけで代理を立てる必要がなかったのである。


「どうしても当主として何かをやろうとすると大事になるからね」


 この世界の貴族家当主というのは、僕が予想していたよりも強大な権力を持っている。

 裏を返せばその権力に対する責任も重いのである。


 例えば、僕としては軽い気持ちで何かを家臣にお願いしたとする。

 僕にとっては、そこまで重要なお願いでなかったとしても、家臣にとってはそれは『命令』なのだ。

 そして『命令』である以上、失敗した場合には『責任』が重くのしかかる。


 場合によっては、連座して家族ともども死罪にだってなりかねない。

 僕としては、これから失敗も前提とした試みをしたいのにそれではとても実施することなんてできるはずがない。


 ということでクリスやアリス達を含めて話し合いをした結果、誰かに当主代理となってもらった裏で、ただの平民として活動をすることにしたわけである。

 正直、二人にはもっと反対されるものだとばかり思っていたけれど、実際にはそこまで強く反対されることはなかった。


 というのも、彼女たちからしたら言い方は悪いかもしれないけれど、後継者争いによる内乱に伴い、バルクス領の北部の第三王子派以外の領地を取る……つまりは対人の戦争については、僕はお呼びではないのだ。

 ただ椅子に座ってストレスを溜められるくらいであれば、僕がやりたいと思っていることを好きにやってもらっておいたほうが理にもなるし、僕のストレス解消にもいいだろう。という判断らしい。


 そこで問題になったのが、誰に当主代理を行ってもらうかである。


 まず第一候補として挙がるのが、僕の正妻であるクリスである。

 降嫁したとはいえ、かつて王族に名を連ね、帝王学も学んでいることからも適任である。


 実際に、今回のアルーン要塞への出征の際には、当主代理を任せたわけだ。

 ただ、これは短期的にであれば問題ないだろうが、場合によっては年単位で任せようとした場合、問題が出てくる。


 何度も言っているように、エスカリア王国は、男尊女卑社会である。

 家庭内における夫婦円満の秘訣は置いておいて、政治的にはそれはいまだに揺るぐことはない。

 それは、王国では継承権が男子優先長子継承制を取っていることからも明らかである。


 さらに言えば、エスカリア王国には『フィレンテェッペの闇』という忌まわしき過去の歴史があるのだ。

 第十三代国王ホーディンスは、父王の急死により僅か五歳にして王位に就いた。


 だが政務を五歳の子供が出来るはずがない、ゆえに母親であるフィレンテェッペが摂政として権力を握ったのである。

 第三位の権力を誇ったフェブラー公爵の娘にして先王の正室であった彼女を一言でいえば、『傲慢』であった。


 彼女は、先王の側室八名全員を暗殺もしくは自害に追いやった。

 それだけに限らず、ホーディンスの名のもとに、フェブラー公爵家と敵対していた多くの貴族家を取り潰し、王国民に対しても自身の贅のために重税を課した。

 折り悪く当時は天候不良により収穫量が落ちているにも関わらず。であった。


 それにより、王国民の二割が餓死や紛争により命を落としたとさえ言われる。

 その悪政は、彼女が不慮な――公然の秘密として毒殺といわれる――事故により命を落とす五年間に渡り続いた。

 彼女により仮初の栄華を誇ったフェブラー家も、彼女の死後、他の公爵との政戦により、公爵家から降位することは辛うじて免れたものの今に至るまで十四位という末席に甘んじているのである。


 その経験から王国内には、余程のことが無い限り女性が当主代理を務めることを嫌う――それゆえに第一王女派が台頭できない理由でもあるが――傾向があるのである。


 第二候補となるのは、継承権第一位となる長男のアルフレッドだけれど、ようやく三歳になり僕のように家の中をウロチョロし始めた子供だとそれこそ、『フィレンテェッペの闇』の二の舞である。

 そういった感じで自然と第四位継承権――僕の三人の息子の後――となるクイが適任となるわけである。


 これについても、クリスとアリス共に異論はなかった。

 むしろ、クリスは自分がサポートするからと乗り気ですらあった。


 ――――

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