第248話 ●「歴史が終わる時」

 王国歴三百十四年十一月十六日。


 バルクス辺境侯の東方と接するボーデ伯領の南端にあるピシャール要塞。


 要塞という物々しい名前ではあるが、実際に目の前に広がるのは、木と縄で組んだ防衛柵と土や石を四メートルほど積み上げた防壁とバルクス辺境侯のルード要塞とは雲泥の差がある。


 防壁の上に適度な距離間で作られた見張り台の上に立つ兵士には緊張感は無い。

 中には誤魔化すことも無くあくびをする者までいるほどだ。


 その風景はバルクスであれば考えることも出来ないだろうが、仕方が無い部分もあるといえる。


 常に魔物の襲撃が考えられるバルクス騎士と比べてボーデ伯は魔稜の大森林に接しているとはいえ、大森林へと通じる道は狭く一度に大量の魔物が侵略してくることが少ないのだ。


 近年は魔物の襲撃により領内でかなりの被害を出しているとはいえ、それでも二・三ヶ月に一度、中規模魔物の襲撃がある程度。

 そして魔稜の大森林との境界線が長大ゆえ、要塞化されていない部分の方が多く。お零れによる被害が大多数を占める。


 この要塞に対しての襲撃も前回は二年前まで遡る。なので常に気を張っていろという方が難しい。


 ボーデ伯は所領の面積で言えば伯爵内でも最大を誇るが、実際には荒れた土地が大部分を占め国力――実際は国ではないが――でいえば下から数えたほうが早いだろう。

 当主はオルックス・ボーデ・メドル伯爵。齢は四十を数え伯爵になってから十六年となる。

 妻は六人おり、子供は十一人と伯爵としてはやや多い部類となるだろう。


 彼が当主になって以降、徹底的に進めたのは無駄経費の削減であった。

 領民にも質素倹約を半ば強要し、貧しい収入に見合う出費に抑える施策を行っていた。


 それは当主としては当たり前の事であったが、同じく少ない収入でも数々の改善を行ってきたエルに比べれば保守的と言わざるを得ないだろう。

 そんな彼が行った施策の一つが軍事費の削減であった。


 妄信的に進める経費削減の中で彼はボーデ伯への魔物侵略の頻度に対しての年間に出費される軍事費の多さが気に食わなかった。

 もし、ボーデ伯もバルクスと同様とまでは行かなくても半分でもあれば、しぶしぶ許容していただろう。


 だがボーデ伯設立以降、大規模襲撃が無いという歴史上の事実を元に三つあった騎士団を二つに減らしたのである。

 しかも経費が掛かる大規模訓練も無駄な予算として年二回から二年に一回と四分の一に減らした。

 この経費削減は劇的で彼を十分に満足させる結果となった。


 だがそれは経費としてみることが出来ない部分で支障をきたすことになる。騎士全体の質低下である。

 軍事費の削減は騎士への給料にも直接影響した。


 故郷を守るためという意志で命を懸けている彼らでもやはり先ずは先立つもの。つまりは金である。

 三千人もの同僚を解雇され、給料が減り……それは彼らの士気をくじくには十分な理由であった。


 それでも今まで問題とならなかったのは、実際にこれまでの歴史通り魔物の襲撃が無かったからであった。

 だが、その歴史は過去のものへとなっていく…………


 ――――


「……おい、ヒース。なにか物陰が動かなかったか?」

「いや、見えなかったな。レヴィン、お前の見間違いじゃないか?」


 見張り台の上に立ち、魔稜の大森林を警戒していた二人の騎士――レヴィンとヒース――は声を掛け合う。


 彼ら二人は同郷の幼馴染で同時期に騎士になり同じ部隊に配属された腐れ縁だ。

 レヴィンは三年前、ヒースの妹を妻にしたため義理の兄弟でもあった。

 そして三年目にしてようやく子宝に恵まれ来月には父親になる予定だ。


 こんな退屈な見張り、しかも日が暮れて灯されたかがり火の明かりも届かない暗黒の大森林を律儀に監視している義弟にヒースは苦笑いする。

 まぁ、こんな律儀な性格を妹は好きになったわけだが。


 そんなヒースも何かが草を踏むような音を聞く。

 音がしたほうにヒースは目をやり暗闇の向こうを覗こうと目を細める。


 最初に見えたのは小柄な――子供ほどの小さな足。だがそれは人間のものではない。

 肌の色は薄緑色、彼が知る限り人間に緑色の肌を持つ者はいないはずだ。


 それはこちらに向かって歩いているため、次第に体全体もかがり火の灯りに照らされていく。

 

 その小さな足と同様に小柄な体型で全長はヒースの半分も無いだろう。だがやはり全身は薄緑色。

 それは人間の生活圏にもっとも近く……そして嫌われる存在。


 ゴブリン


 魔物の中でも最弱の部類に入るだろうその魔物を見たヒースは思わず吹き出す。

 最弱の魔物が、ルード要塞からはかなり見劣りするとはいえ要塞化された場所に現れたのだ。


 ゴブリンは群れを組むとはいえ、せいぜい二十やそこらの数のはず。その程度であれば要塞にたどり着く前に全滅だ。

 彼の予想通り後続のゴブリンも次第に姿を見せていく。


 二匹……四匹……八匹…………その数が倍々に増えていく様にヒースの表情は次第に驚愕へと変わっていく。


「おいおい、冗談だろ。なんだよこの数はっ!」


 ヒースの目の前には既に百では足らない数のゴブリンが姿を現していた。

 もちろん、騎士団は三千人いる。この位の数であれば数でつぶせるだろう。


 それでもこれほどのゴブリンを見るのは初めてである。その異常さゆえにヒースはややパニックになっていた。


「ヒース、警鐘を鳴らすぞ。この数はまず……」


 その異様な風景に驚くヒースの後方から冷静に援軍を呼ぼうと提案するレヴィンの声が突如として止まる。

 それを訝しんだヒースはレヴィンの顔を見ようと振り返る。


 だがヒースはレヴィンの顔を見ることが出来なかった。いやレヴィンは居るのだ。

 だが何時もと違うのは、レヴィンの首から上があるべき場所には何も無い空間が広がっていた。


 そして何かを思い出したかのように首の無いレヴィンの体は崩れ落ちる。

 レヴィンはある意味幸せだったのかもしれない。魔物が放ったウィンドカッターにより苦しむことも無く死ねたのだから。


「レ……ヴィン? おいおい嘘だろ。来月には子供が生まれるんだろうが。なぁ、ウソダロォォォォ」


 崩れ落ちたレヴィンにヒースは近づくが、その体は数度痙攣した後、動きを止める。

 それがレヴィンが死んだという現実をヒースに突きつける。


 そんな中でヒースの居る見張り台付近の防壁が爆発する。それは魔法による攻撃。

 それが魔物がゴブリンだけではないという事を意味している。


 最愛の義弟を失い慟哭するヒースが最期に見たのは、自分の倍するトロールが防壁を乗り越えて来て振り上げた無骨な棍棒であった……


 ――――


 ボーデ伯ピシャール要塞が魔物の大規模襲撃により駐在していた第二騎士団の八割を失い、十一月十八日に陥落。

 ボーデ伯内に多数の魔物が侵入せしめる。


 王国にとって戦慄となる情報は、十二月二十日に王都ガイエスブルクに届くことになる。

 この事件により『バルクス以外への魔物の大規模侵攻はありえない』という妄信は瓦解し、王国は大幅な方針転換を迫られると同時に、国内の不協和音が顕在化していく事になる。


 また王国の目がこの事件に集中したことで図らずも北方の帝国のローエングリン率いる反乱軍を利する結果となる。


 ボーデ伯内も混乱により中央への早馬は何とか出したものの、周辺領への伝令を怠った結果、初期対応が遅れ北方と東方に接する領に少なからぬ人的・物的被害を出したため事件沈静後、メドル伯爵家は取り潰しとなる。

 

 一方で西方を接するバルクス辺境侯は、事前にボーデ伯の執務官として働く間諜から中央よりも半月早い十二月二日に情報入手し即応する事になる。


 後に『南方の悪夢エルクーゼ』と呼ばれる多くの思惑が交差することになる事件は、こうして始まるのである。

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