第224話 ●「新たなる暗躍」

 王国歴三百十三年二月


 王都ガイエスブルクより東北に馬車で一ヶ月ほどのところにあるデキストリ伯爵領。

 伯爵家としては比較的王都の近くとなるデキストリ伯爵家は、貴族の中では穏健派として知られる。

 この度の後継者争いにおいても一歩引き、中立を表明していた。


 しかし他の貴族にとっては『臆病者』と影でそしられることになる。

 それはデキストリ伯爵内に存在する五つの男爵家は特に顕著であった。


 勝ち馬に乗る事を放棄した伯爵家ではおこぼれがまったくもらえない。

 その事を危惧した男爵家は、デキストリ伯爵を見限り他領の後継者争いに絡んでいる伯爵家へ取り入った。


 それはバルクスでは考えられないことだったろう。

 まぁバルクスの男爵家は伯爵当主の従伯父であるユピテル男爵や主要三都市の代表者、それにファンナのピアンツ家と根っからの貴族はユピテル男爵のみ。

 ルーティント領も先の混乱で男爵家は、新しく跡を継いだ若輩ばかりとまずは男爵家の基礎を作ることに精一杯。

 しかも中央から遠すぎるゆえにと言うこともあるだろう。


 それに比べてデキストリ伯爵領はあまりに中央に近すぎたゆえの問題ともいえるだろう。

 その五つの男爵家の中にアクス男爵家があった。


 アクス男爵家は、王国歴百十八年に創設されたと資料には残る。

 栄枯盛衰が激しい男爵家としてはかなり古参となるが現実はそこまで甘くはない。


 アクス家の当主は、遺伝なのだろうか歴代に渡り浪費癖があった。

 身の丈に合わぬ散財はしばしば行われて、家計は火の車。


 その悪癖の一族の中でも当代においてまともと呼べるものは二名いた。

 次男のルード・アクス・ベルクフォードとメイリア・アクス・ベルクフォードである。


 だが今やその内の一人は、ここにはいない。

 自らアクス家と絶縁し、バルクス辺境候の元へ行き、今や辺境候の側室の一人になっているのだから。


 また、もう一人も長男が跡を継ぐことが確定したことで、王都のとある伯爵家の執務官として任官していた。

 つまりは、アクス男爵内にすでにまともな人間が存在しないという事を意味していた。


 ――――


「くっそ、何ゆえに戻ってくるのだ!!」


 屋敷の中央部分に位置する執務室で、中年の男が右手を机に強く叩きつけながら怒鳴る。

 その男の前に置かれているのは一枚の手紙。

 それは誰からか宛てられたものではない。差出人はこの男自身なのだから。


 その手紙は至る所を黒いインクで塗りつぶされ、検閲後の手紙である事を意味している。

 宛先は、メイリア・アクス・ベルクフォード……いや、今や侯爵の側室となったわけだからメイリア・バルクス・シュタリアか、彼女にお金を無心するための催促状は、恐らく彼女に届くことすらなく返信されてきたわけだ。


 これで実に十五度目の返信。

 最初こそ、堂々と正規のルートで手紙を送っていたが、その度に突き返され、今ではほぼ違法行為に近い形で何としてでも届けようと試みていた。

 今回もあるアクス家の息がかかった商人の荷物の中に潜ませるという完ぺきな――アリスからみれば児戯に等しい――方法だった。

 にも関わらず、荷物だけ取られこうして手紙だけが戻ってきたわけである。

 そしてその商人を含む商人連に対して、バルクス侯爵家から一年の取引停止通達が来たと商人連に泣きつかれたのである。


 そう、今やアクス家は明日の食費にすら困窮するほど追い詰められていたのである。

 三か月前から使用人に対して給金を払う事すらままならず、昨日、使用人は全員が暇を申し込んできた。

 それに対してすでにアクス家ではどうすることも出来はしなかった。

 メイリアからの金の提供こそが男――アクス家当主にしてメイリアの実父、フィレンツ・アクス・ベルクフォードにとって最後の望みだったのだ。


 ――――


「くそっ、くそっ、くそっ、ここまで育ててやった恩義を忘れたというのかメイリアめ」


 その絶望故に、フィレンツの感情――恨みは実の娘へと向けられる。

 そもそも現在の状況に陥ったのは歴代の当主による散財のせいであるにも関わらず。である。


 そしてフィレンツは、自分の横のグラスに注がれた――この屋敷に残った数少ないワインを一気にあおる。

 口から垂れたワインをぶっきらぼうに服の袖で拭うと、空になったワイングラスを床へとたたきつける。

 

「いやはや、非常にご立腹の模様。何がございましたかな?」


 突如、フィレンツの耳に聞きなれない声が入ってくる。

 いや、そもそもこの部屋には自分以外はいなかったはずなのにである。


「誰だっ!」


 声を荒げたフィレンツの言葉に導かれるように、節約のために少ない蝋燭の灯しかなかったせいで大部分を暗黒に染めていた部屋の陰から一つの人影で現れる。


 それは四十代後半だろうか中肉中背の体躯。少しでも見ることをやめれば印象として残らないような顔つき。

 それでも開いているのか開いていないのかもわからない細目だけが印象として残る。

 

 その腰には護身用だろうか、柄の赤いナイフをいている。

 だが、フィレンツにはその顔に心当たりは全くない。

 とすれば侵入者、そして貴族の家への侵入者と言えば暗殺者と相場は決まっている。


 しかし、フィレンツ自身も自分に暗殺されるだけの価値がないことは理解している。

 そもそも、その男からは殺気……というのだろうか、ピリピリと感じさせるような気配を全く感じることが出来ない。


「なんだ貴様は、ここが名門アクス男爵家と知っての所業か」


 ただ古臭く続いているだけの貧乏貴族である自分を名門と語る姿。

 それは滑稽ですらあるが実際問題、フィレンツは今のこの状況ですら信じ込んでいるのだ。


 その滑稽な返しにも男は、笑み――細目故に本当に笑っているのかは分からないが――を浮かべる。

 

「本来であれば、ゆっくり時間をかけて篭絡する事こそが愉悦なのですが……ま、次回のお楽しみとしましょう。

 直接危害を加えなければ、奴らも動けないでしょうからね」


 フィレンツの恫喝を全く意に介さずにその男は独り言をつぶやく。

 再度、恫喝しようと口を開きかけたフィレンツの目の前で男は指を鳴らす。

 

 その音が掻き消えると同時に空間にフィレンツには理解できない紫色の魔法陣が浮かび上がる。

 フィレンツは咄嗟に自分を庇おうと顔の前で腕をクロスしようとして……その動きを止める。

 

 その腕がゆっくりと降ろされた後に顔に浮かぶは、笑顔。


「おぉルーディアスではないか、来るのであれば来ると言うてくれれば歓迎したものを」


 今までの警戒心は一欠けらもなく、その男――ルーディアス・ベルツを旧来の友人の様な笑顔で迎える。

 いやフィレンツの中では、実際にルーディアスは旧来の友人という認識なのだ。


 『認識操作』


 『蟲毒』ルーディアスが得意とする精神浸食系の魔法、人類が使用することのできない魔人のみが使用できる種族魔法。

 甘言で堕落させることを好むルーディアスだから多く使用することは無いが、今回はこの小物だけではないからと使用したのである。


「いえいえ、フィレンツ。実は良き話を聞きましたので、居ても立っても居られずこうして参ったのです」


 ルーディアスも旧来の友が儲け話を持ってきたかのような口調でフィレンツに語り掛ける。


「ほほぅ、それは楽しみだな。ルーディアス、こちらでワインでも飲みながら話そうではないか」

「あぁそうだな、君にとって本当に楽しいことになる話だからね」


 ルーディアスは笑う。だが、その細き瞳に浮かぶのは冷たき光だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る