第216話 ●「何時もの風景2」
「それじゃ、今日も温かな食事が取れることに感謝して。いただきます」
「「いただきます」」
バルクス家の現当主であるエルスティア様が始めた変わった合図とともに朝食は始まる。
朝食の際は、節度を守れば会話しても
むしろ前当主のレインフォードやエリザベートがアリス達やメイドでさえ積極的に話しかけてくれる。
特にエリザベートは全てのメイドの事を把握しているのではないかと思うほどに一人一人のメイドの近況を尋ねる。
あるメイドには、末っ子の風邪は治ったのかといった些細な家族の話。
また年若きメイドには、気になる人に告白できたのかといった恋愛話。
そこには平民に対しての選民思想は微塵も無い。
そのことにアリスは心が温まる感覚を覚えながら食事を続けるのであった。
――――
「えっ、シュタリア家の噂? ……いやぁどうせ『番犬』みたいに碌な噂じゃないんでしょ」
食事を終えた後、クリスとアルフレッドに見送られる形でエルとアリスは執務室へと来ていた。
今日は他の執務官達は近郊の町村に出張しているためこの広い執務室にいるのはエルとアリスの二人だけ。
とはいっても別に珍しいわけではない。ここ最近はエルスリードがある程度安定してきたので近郊の町村に執務官を派遣するだけの余裕が出来たのだ。
なので週に二・三回はこのようにエルとアリスの二人だけが執務官で執務を続けるという事が発生している。
そして火急な案件が無い場合、こうやって会話をしながら執務を行う事も多い。
この世界には厳格な勤務時間と言うものは存在しない。
正確に言えば時間の概念がまだ曖昧だといった方がよいだろうか。
時間を確認するための時計はあるのだが、高級品で平民たちにはとても手が出るような金額ではない。
ゆえに平民たちにとって時を確認するのは町にある『時告げの鐘』と太陽の位置になる。
農民であれば太陽が昇り沈むまでが勤務時間だし、町民であればおよそ9時を知らせる鐘の音とともに始まりおよそ17時を知らせる音とともに終了する。
なので何時間労働と言う明確な決まりはない。
エルやアリス達は執務室に備え付けられた時計を元に働くが結局は仕事量によって集中して執務を行う時間は日によって
本日は比較的仕事量が少ないといえるだろう。そうなると自然と会話が増えてくる。
その会話の中でシュタリア家の噂話の話になったのである。
「えっとぉ、聞きようによっては……ですね」
曖昧に返すアリスにエルは苦笑して話を続けるように促す。
「『シュタリア家は元来変わり者』、そう噂されています」
「元来……かぁ、良かった僕だけの話じゃなかったか」
「フフ、そこですか」
そうエルが返すのにアリスは軽く笑う。
『シュタリア家は元来変わり者』
それは多くの人たちが囁く噂の一つ。
貴族たちには
魔物襲撃の可能性が日夜存在するバルクス領において、領民が別領に逃亡することなく居続ける最大の理由はシュタリア家という存在だろう。
そしてそのバルクス辺境候の執務長官として、わずかばかりでも役に立てていることをアリスは誇りに思っていた。
アリスは女性だ。これはどう頑張っても変えることは出来ない。そしてこの王国は強固な男尊女卑の国だ。
いや、王国だけではなく帝国や連邦も同様である。
つまりアリスは生まれた時から大きなハンディキャップを背負わされたといえる。
いやアリスだけではない。ベルやユスティ、リスティやメイリアといった友も同様だ。
特に今や男爵位の貴族だがベルは平民出身の元エル付のメイドだった。
メイドと言えば聞こえはいいが、はっきり言えば貴族の所有物だ。
貴族によっては肉体・性的・精神的虐待をメイドに強いることだってある。そして平民の彼女達には抵抗する術はない。
メイドの職に就くというのは多くの場合、貧困層の最後の手段。家族にとっては人身御供なのだ。
だがバルクスに関して言えば男尊女卑思想は非常に希薄といえるだろう。
……まぁ、影の支配者がエリザベートという事もあるのかもしれないが、エルを含めて能力があれば女性だろうと高職につける。
現に軍部、執務部、開発部の三部においてトップもしくはトップに近い職に女性が就いている。
このような場所は王国だけでなく全国でもバルクスくらいだろう。
「うーん、それにしてもなんでシュタリア家に関わる噂話ってそんなのしかないのかなぁ。
ちょっと在りようを考えないといけないのかなぁ」
そう頭を掻きながら呟くエルにアリスは笑いながら答える。
「その必要はないと思いますけどね。私は好きですよ。エルスティア様の事」
「え……あ、うん、ありがとう、嬉しいよ」
アリスはエルが想像していた返しとは少し異なる反応をすることに訝しむ。
そして自分自身が言った言葉を頭の中で反芻して……頬が熱くなっていくのを感じる。
今の自分の言いようは告白のよう……いや、告白そのものではないか。
朝から私らしくもない事をグジグジと考えたせいとしか思えない。
直ぐに訂正をしようと口を開きかけて……アリスは思いなおす。
いや、これは自分の思いを伝えるまたと無いチャンスなのではないか?
思いを伝える時にはロマンティックになんて考えていたが、執務室という素っ気ない場所でとはいやはやなんとも自分らしいではないか。
「……エルスティア様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
未だに照れている――アリス自身も顔が真っ赤だが――エルにアリスは問いかける。
「何故あの時、執務官面接の時、私を選んでくれたのでしょうか?」
あの時、自分を売り込むために語った事――王国が滅びても構わないと言う思想――は王国の立場から見た場合、極めて危険な思想だ。
それにも関わらず採用され、今ではバルクス辺境候の当主を除いた中でトップの座に就いている。
エルが元の世界の考え方も併せ持つからこその事かもしれないが、それでもアリスは聞いてみたかった。
「……アリスを『ギフト』持ちだと確信したから……と言ったらどうする?」
その答えにアリスは微笑む。
「それであれば『ギフト』には感謝しかありませんね」
「人に……僕に与えられたものだとしても?」
「はい、これはあくまでも私の考えではあるのですが、凡人はいくら努力したところで凡人なのです。
努力したことで天才と言われるようになった人は、元から凡人ではなく天才だった。ただそれだけなのです」
「手厳しいねぇ」
凡人と天才については色々な考え方があるから、アリスも他の考えを否定するつもりは無い。
けれどアリスの中で、考え方がこうであるというだけなのだから。
「エルスティア様から頂いた『ギフト』のおかげで、本来凡人として生まれてくるかもしれなかった私に才能をくれたのです。
勿論、今となっては『ギフト』が無い私が凡人だったのか天才だったのかは知る由もありませんけれど……
私にとっては『ギフト』は私の夢を叶えてくれる希望なのですから」
「……いやはや、人によって『ギフト』への思いは違うんだねぇ」
アリスの答えにエルは頭を掻きながら苦笑いする。
ベルは『ギフト』をエルの役に立つことが出来る力と好意的に。
リスティは『ギフト』に感謝しつつも、当初はそれ故にエルが自分を選んだのではないかと懐疑的に。
三人とも最終的にはプラスの方向になったが、神の祝福は場合によっては身を滅ぼす危険を孕んでいるのかもしれない。
現状願っているもう一人のギフト持ちもなるだけ早く見つけ出す必要がある。
「……うん、『ギフト』持ちかもと思ったのは確かに一因だけど。やっぱり面談のテンプレートばかり語る人に比べて面白いと思ったからかな」
そう語るエルにアリスは驚き、そして笑い出す。
「ふふ、やはりシュタリア家は変わり者というのは言いえて妙ですね」
「うーん、そうなのかなぁ」
一頻り笑った後、アリスはエルに相対する。
「私はそんな変わり者のエルスティア様の事が誰よりも好意的に感じます。
うん、これはやはり好きと言う気持ちには偽りないのだと思います」
改めて告白するアリスに
「僕もアリスの事が好きだよ。これからもずっと僕の傍にいてくれると嬉しいな」
とエルは答えるのであった。
――――
お互いに照れくさい雰囲気が薄れる頃、執務室の扉がゆっくりと開いていく。
「いやはや、告白場所が執務室なんて……ま、アリスらしいわね」
そこにはにやけ顔で、現状の状況に徐々に追い込んでいった友が一人。
「き……いてたの……クリス?」
「うん、バッチリ」
そう笑顔で返してくるクリス。
その日、執務室の周辺で滅多に聞くことが出来ないアリスの叫び声が響いたと言う。
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