第206話 ●「ローザリアの日常3」

 アインツと別れた後、ローザリアは侯爵家の傍のある場所へと足を向ける。

 その場所に着いたローザリアの鼻に香ってくるのは慣れ親しんだ土の香り、そして青葉の香り。


 目の前に広がるのは広大な土地に数列に渡る青葉のライン。


「あっ! ローザ! 今日も手伝いに来てくれたの?」

「いらっしゃい、ローザ。今日もよろしくね」


 そんなローザリアの姿を見つけたらしき少女達が笑顔で声をかけてくる。


 アリシャ・バルクス・シュタリアとリリィ・バルクス・シュタリアである。

 二人はエルの四つ違いの双子の妹であり、ローザリアにとっては同い年となる。


 絢爛豪華に男性達の視線を釘付けにするドレスではなく、まだ肌寒い気温を防げれば十分と言わんばかりの薄赤色の厚手のシャツで作業しやすいように長い袖を何回かまくり、薄青色のズボンをはいた姿。

 頭に載せるは贅を尽くしたティアラではなく、冬の太陽でも日焼けしないようにと被ったつば広な麦わら帽子。

 手につけるは、眩いばかりの宝石をちりばめた指輪ではなく、土に汚れた軍手。

 足に履くは、趣向を凝らしたハイヒールではなく、皮をなめして作られた靴。

 頬を染めるは、高級品のチークの色ではなく健康的な肌色。


 今の二人の姿を見た誰もが貴族、しかも階位としてみれば上から二番目である侯爵家の公女だとは思わないだろう。


 だが、二人にとってその姿は別に強制されたものではない。

 この場所、この姿こそが二人にとって敬愛する兄の役に立つことが出来るという思いが強い。


 二人の気持ちは、アインツをご主人として敬愛するローザリアにも共感できる部分が多い。

 それは一種の依存関係と眉をひそめる者もいるだろう。


 だが、敬愛する人の役に立つことを望むのが悪いことだとはローザリアにはどうしても思えない。


 エルは、妹達に向ける愛情に見返りを求めてなどいないだろう。

 そして妹達がエルの為にと頑張る愛情も、無償の愛なのだ。

 無償の愛に、無償の愛で返すことの何が悪いことなのだろうか?


 そんな二人は、人間種ではないローザリアも敬愛する兄と同じようにあっさりと、同い年の親友として受け入れてくれた。

 そしてルーファ族の若者達が食料の安定供給にと興味を持つ農業を手伝いたいと言った時も笑顔と共に了解してくれた。


 『シュタリア家の人間は変わり者』


 それがローザリアがエル達に抱く率直な思いだ。もちろん『変わり者』は良い意味で、である。


 隔絶されたルーファ族であっても王国の文化――国家体制というものは聞き知っている。

 その中でも『貴族』という権力者の話は、多くにおいて『傲岸』『不遜』といったマイナスイメージのものばかりだった。


 けれどエルとアインツに付いてバルクスに来て、エルやアインツ達がずっとマイナスイメージを持っていた『貴族』ではないと知った。

 とはいえ他の人の話を聞く限り、エル達がむしろ特殊でその他大勢の『貴族』は、イメージどおりらしいが……


 こうして、ローザリアは、に関しては、大きく認識を変えることになった。


「アリィ、リリィ、農作物の状況はどう?」


 文化の違いで敬語を使うことに慣れないローザリアに、『同い年の友達なんだから必要ないよ』と笑って言ってくれたのはいつの事だっただろうか?


「『キャベツ』と『ほうれん草』は順調かな、兄さんが言うには六月頃には収穫できるだろうって。

 『ブロッコリー』は四月か五月くらいに収穫できるって。

 『ハツカダイコン』はやっぱり少し蒔くのが早かったからもう少しかかりそう。けど名前の通り二十日くらいで収穫が出来るんだって」


 アリィがうねに一列に並ぶ青葉を一つ一つ指差しながらローザリアに伝えてくる。

 それ以外にも追加で植えた幾つかの農作物の状況を教えてくれる。

 上手くいっていないものも中には幾つかあったが、多くの場合は順調に育っているようである。


「このまま上手くいけば来月にはジャガイモっていうのを植え付けできると思うんだ。兄さんが食べたがっていた農作物だから頑張らないと」

「まったく、君ら姉妹は全てが兄のためなんだね」


 そうローザリアは笑う。


「当たり前だよ。アリィは兄さんが喜ぶ姿を見るのが一番好きなんだもん。もちろんリリィもだよ。ね?」

「えぇ、私もお兄様の喜ぶ姿を見るのが何よりも幸せ」


 そう二人の姉妹は、ローザリアが予想したままの答えを笑顔で返してくる。


「農作物が出来たら、商人連とバルクスの名産品としての相談することになるんだけれど、一部についてはお兄様と一緒に試食することになっているの。その時にはローザも食べてみる?」

「いいの?」


「うん、もちろん。何か食べられないものとかあったりする?」

「ううん、何でも食べるよ。それに今ここで作ってるものって誰も食べたことが無いものばかりなんでしょ?

 それだと好き嫌い以前の問題だし」


 ローザリアの答えにリリィは微笑む。


「それもそうね。だったらどんな味なのか想像しながら、今まで通りお手伝いお願いできるかな?」

「うん! 任せておいてよ」


 ローザリアはリリィの問いかけに笑顔で返す。


「ところでさ、これだけ広大な畑だもん。もう少し人手がいたほうがいいんじゃないの?」

「本格的になる来月から増員する予定だけどね。今はローザがいるし、よくレッドやブルーも手伝ってくれるから」


「レッド……ブルー?」

「ローザは会ったこと無かったっけ? 兄さんの学校の頃からの後輩で今は騎士見習いだよ」


「へー、強いの?」

「ローザの判断基準は強いか弱いかなんだもんなぁ。多分強いほうなんだと思うよ。

 とはいえアインツ兄様やお兄様には勝てないとは思うけれど……」

「うーん、アインツより弱いんだったらいいや」


 ローザリアの身も蓋もない返しにリリィは苦笑いする。


 人間であれば異性に求める物は容姿、財産、地位、身体能力、感性の一致などなど多種多様であろう。

 それに比べればルーファ族は強いか弱いかが最優先と非常に分かりやすい。


「そういえば気になってたんだけどさ。ローザってアインツ兄に一騎打ちで負けたからアインツ兄をご主人様と考えているんだよね?」

「うん、そうだよ」


「だったらさ、もしアインツ兄以上に強い人が現れてまた一騎打ちで負けたらその人をご主人様にするの?」

「ううん、そんなことは無いよ。確かにルーファ族は強いものを主として考えるのは本当の事。

 けど一度、主を決めたら生涯の主とする。それは主より強いものが現れたとしてもね。

 その時にはただ、自分の見る目が無かったってだけだからさ」


「……それって何だか結婚みたいだね」

「あー、たしかにアリィ達の文化で言うと結婚に近いかもな」


 リリィの呟きにローザリアは頷く。


「ま、とりあえずさ」

「?」


「アインツ兄が兄さんの友達であり続ける限り、私たちも友達ってことだよね」

「うん、そうだね。アインツとエルが仲違いするなんて考えられないし」

「アインツ兄様とお兄様は無二の親友ですからね」


 そう三人は笑いあうのであった。


 実際にこの三人の友情は、それぞれの地位や立場を変えながらも長きに渡って続くことになる。

 それは人間種と亜人種との最初――実際は異なっているだろうが――の友好関係として歴史書にも記載されるほどである。


 後世における別種族との友好関係を築くお手本として紹介されることになるのだが、それは本人達が意図したものではなかったであろう。


 彼女達にとっては、別種族とかは関係無く、親愛なる人のために頑張る同士だったのだから……

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