第183話 ■「魔物の巣 前夜」
王国歴三百十一年九月二十五日
突然の豪雨で六番目の野営地で一日足踏みしたから少しの遅れが発生していたものの、僕たちは魔物の巣まで一キロの場所にある八番目の野営地に到着した。
今日は、ここで英気を養って、明日攻撃することになる。
「いやはや、凄いな。真っ赤だよ。
もうちょっと精度の高いサーチャーの研究でもしてみようかな?」
見晴らしのいい小高い丘に腰を下ろしながらサーチャーを使って魔物の巣の様子を探った僕は呟く。
レイーネの森の時も中々だったけれど、あの時は横に拡がっていたから場所によっては反応が薄い場所もあった。
それに比べると狭い場所に数百の魔物が集まる魔物の巣だと一つ一つの反応が重なって一つの大きな反応のように見える。
これだと実際にどれだけいて、より強力な固体がいるのかも判別できない。
「まぁ、逆に考えればエルの得意な面制圧系魔法が有効ってことだろ?」
僕の近くで日課の双剣の素振りを繰り返しながらアインツが言う。
銃撃戦が主眼で近接戦を考慮していない鉄竜騎士団を率いることで使用機会が減っているが、未だに双剣での模擬戦をさせれば各騎士団長クラスとも互角に戦える腕前は健在だ。
今回の作戦では鉄竜騎士団は初撃後、混戦になれば団自体はお役御免となる。
けれどそれ以降は、アインツ自身は僕の護衛という形で大暴れしたくて仕方ないのだろう。
いつにも増して、その剣先はやる気に満ちているように見える。
リスティとユスティいわく、僕とアインツは本質的には戦闘好きらしい。
アインツはともかく僕は博愛主義者だよと言ったら二人には苦笑いされた。まったくもって心外である。
「そうなんだけどね。強力な固体種がいるかどうかで魔力をセーブするべきかどうかの判断がしたかったんだよ」
魔力は時間と共に自然回復はするが戦闘中の場合、消費と回復では消費のほうが数倍上だ。
ガス欠になった魔道士ほど脆いものは無い。
僕もバインズ先生から学び元の世界で言えば免許皆伝のお墨付きはもらってはいるけれど、アインツの様な天才と比べれば非才だ。
それを補うための魔法と剣術を駆使した戦闘が僕の戦闘スタイルといってもいい。
「ま、エル君は初撃でぶっ放して、鉄竜騎士団と第三騎士団を信用すればいいんだよ。
エル君の本命は別の脅威への備えなんだから」
同じく、槍――というより薙刀に近い――の素振りをしていたユスティが何時ものようにあっけらかんと言う。
双子の兄に比べれば筋力・体力の面で遅れはとるが、ユスティだって武才に関しては僕より上である。
その素振りには一切のブレが無い。
ユスティには今回の作戦では鉄竜騎士団による初撃後は、鉄竜騎士団ともどもリスティたち後方支援の警護をお願いしている。
後方まで漏らすつもりは無いけれど、魔物の巣での戦闘が引き金となって別の場所から魔物が来ないとも限らないからだ。
「そういえば、エル」
「ん? なに?」
アインツは、素振りを止め、うっすらとにじみ出た汗を拭きながら僕に問いかけてくる。
「今回の遠征が終わったら、鉄竜騎士団の増強するんだろ?」
「ああ、そうだよ。
今頃はバインズ先生の指導のもと練兵が行われているところだよ」
「バインズ先生のしごきか……ご愁傷様だな」
僕の言葉にアインツは肩を
僕にしろアインツたちにしろバインズ先生から剣術の指導を受けたからこそ、その大変さが身にしみている。
バインズ先生の指導はまず基礎の強化だ。
それは見た目には簡単そうな、けれど実際にやってみると全身の筋肉が悲鳴を上げることになる。
「なんならバインズ先生に頼んでアインツも」
「おっと、そろそろ明日に備えて休養とっておかないとな、んじゃお休み~」
僕の言葉に被せるようにアインツは大げさに言うとさっさと休憩用のテントに戻っていく。
「アインツ兄のあの分かりやすさは逆に好感が持てるよ」
同じく素振りを終えたユスティは僕の隣に腰を落としながらそう言う。
女性特有の甘いにおいが香ってくる。
ちょっと前までの僕であればこれだけでドキドキしただろう。
けど今や奥さんのいる身、この程度で動揺したりなんかしないんだからねっ!
「いや、まったく」
そしてお互いに笑い合う。
「ん……ところで……さ、エル君」
「どうかしたユスティ?」
「結婚生活はどんな感じ? やっぱり毎日楽しい?」
「んー、そうだなぁ、楽しいってのも確かにあるけれど、やっぱりまだ色々な事が新鮮……っていうのかな」
「新鮮?」
「どうしても今までは自分だけっていう思考が強かったんだよ。
けど今はクリスも合わせての僕っていうのかな? 何事も二人だったらで考えてたりするんだ。
それって結構、今まで考えてきていたことが百八十度変わるって言うのかな? それがとても新鮮なんだ。
それに……」
「それに?」
「……いや、何でもない」
もうちょっとすれば子供も産まれるし。という言葉は飲み込む。
アインツやユスティであれば伝えても良いかも知れないけれど、安定期に入るまでは……とクリスと話し合って決めた事だ。
今は話すべきではないだろう。
それからもユスティは結婚生活について幾つも質問をしてくる。
その中でなぜかベルについての質問もあったけど、どういう意味だったんだろう?
「そっか……、うーん、楽しそうだなぁ。
私もできれば結婚したいよ」
一頻り質問し終えたのだろうか、ユスティは体育座りにした膝の上に顎を乗せながらそうぼやく。
「へー、だれかいい人でもいるの?」
僕はなんとなくそう返す。
それにユスティは苦笑いする。
「付き合ってはないけどね。好きな人はいるよ」
「そうなの? ユスティからそんなこと聞けるとは思ってなかったなぁ」
「あたしだってもう十九歳だよ。好きな人の一人や二人はいるよ」
「だれだれ? 僕の知っている人?」
「うん! アインツ兄!」
「……それはそれは、仲のよろしいこって」
「生まれたときから一緒だからね」
吹き抜けてきた風に髪を押さえながらユスティは言う。
確かに二人は学生時代から一緒にいたな。と改めて思い出す。
「で、本当は?」
「……今は内緒、いつかその時が来たら教えてあげるよ」
「そっか、んじゃその時を楽しみにしておくよ」
「うん、乞うご期待」
そうユスティは笑う。
「……さてと、僕もそろそろ寝るよ。
ユスティも明日に響かないように早めに寝ておきなよ」
僕は立ち上がりながらユスティに言う。
「うん、お休みなさいエル君。
私はもう少し夜風に当たってから戻るよ」
ユスティは左手をバイバイしながら言う。
それに僕も返しながら自分のテントに向かうのだった。
――――
「あー、危ない危ない、思わず自分の気持ちを伝えそうになっちゃったよ」
今が薄暗い夜中でよかった。
『誰かいい人でもいるの?』と尋ねられたあたりから恐らく顔が紅潮していただろう。
昼間であれば真っ赤になった顔をエル君に見られるところだった。
「ベルがまだ告白して無いのに告白しちゃったらクリスに怒られるところだったよ」
そう、クリスによって女子会メンバーにベルが告白するまで告白禁止を笑顔を添えて念押しされている。
あの笑顔はまずい、約束を破ったら何をされるか分かったものじゃない。
ベルの事が関わるとクリスは見境をなくしそうな気がする。(それは決して間違ってはいないだろう)
結婚生活の話を聞きながらそれとなくベルについて探りを入れてみたが、まだベルは告白はしていなさそうである。
ユスティ自身が、エルに好意を抱いていると気付いたのは何時ごろだっただろうか?
恐らくレイーネの森の事件の頃には一人の男性として意識していただろう。
けれどそのきっかけは思い出せない。
ただユスティ的には『気付いたら好きになっていた。それでいいじゃん』という単純明快な考えだ。
いや、けっして思い出すのが面倒だとかではない。……と思う。
そして珍しいことにユスティには独占欲とか束縛欲は皆無といっていい。
極論から言えば、沢山いる女性の中でも時々愛してもらえればそれでも良いという考えだ。
もちろん極論だから、その『時々』という頻度が高ければ高いでなお良しだけれど。
だからエルの正妻になりたいという思いは元々なかった。
いやクリスという存在を知るまで、ベルが正妻になればいいとすら思っていたのだから。
そのユスティも実際にエルが結婚したことでちょっとだけ心境の変化があった。
「結婚、か。いいなぁ」
自分の中での結婚願望が日に日に強くなっていたのだ。
それはクリスという、自分が生きてきた中でも十指に入るだろう美女を見たこともきっかけだろう。
「そうだよねぇ。クリスなんていう美人の後で告白って罰ゲームに近いかぁ」
十年以上もベルとは友達なのだ。
彼女の性格を考えるとなかなか告白できないのも理解は出来るんだけれど……
「ベルゥ~、早くしてくれないと我慢できなくなりそうだよぉ」
そう、ユスティの中の乙女心は今にも暴走しそうだったのであった。
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