第173話 ■「間諜」
五月に入った。
クイとマリー、ファンナさんとルーク君たちは、三日前にガイエスブルクへ戻っていった。
当面の間、会うことが出来ないのは残念だけれど皆が卒業するまでの辛抱だ。
クリスにいたっては旅立つギリギリまでずっとクイとマリーを抱きしめたままだった。
ここ最近で気付いたのだけれど、どうやらクリスは自分に好意を持ってくれる人を抱きしめることで安心感を得るようだ。
よく考えれば彼女は元王女。
後継者争いの真っ只中にあって、好意的な態度に裏があるのではないかと常に疑い続けていたのだろう。
それに比べてベルや弟妹達が向ける好意は裏が無い。
それが新鮮かつ嬉しいのだろう。
さて、それはそれとして次に考えなければいけないことがある。
それは学校を卒業したスカウト済みの人員配置についてだ。
これまでも僕の先輩世代や同期世代については、バルクスに到着する都度で配置していた。
『実戦訓練研究会』に所属していた人たちばかりだから、基本的には騎士団への配属だ。
その中で僕の一つ下の後輩、レッドやブルー世代が一番大規模にスカウトしている。
その人数は実に三十五人。
……うん、正直スカウトしすぎた。
レイーネ事件の後に僕の名前が売れていたから声をかける人かける人が色よい反応をしてくれたからつい調子に乗ってしまったのだ。
レッドとブルーについては新設予定の騎士団団長として頑張ってもらうつもりではあるけれど、そもそも準備も十分にできていない。
まずは鉄竜騎士団の増員が優先度的には高い。
ようやく鉄竜騎士団の人員を来年頭までに定数、つまりは三千人規模まで増員する計画ができたばかりという状況だ。
学校を卒業した人材だから幹部候補となるわけだけれど、騎士団としては既に供給過多になる。
なので執務官や技術班にする予定なのだけれど……
「……日々の業務だけであれば人数的には多すぎますね」
「……だよねぇ」
僕とアリス、そしてベルとリスティは執務室で顔を突き合わせながら話していた。
技術班には、いくつかの新規プロジェクトの管理者が必要ということで八名ほど当てることが決まった。
バルクス銀行の総裁であるヘッケンバックからも事業拡大に伴い五名ほど追加要望が来ていたのでそこも問題ない。
執務官としてもバルクス領で三名、ルーティント領で五名の計八名の配属も決まった。
軍令部も規模拡大に伴い六名の配属も決まった。
合計二十七名……残り八名。
「うーん、あと八名かぁ。」
「………………ん? ……すみません、エルスティア様、もう一度詳細な一覧を見せてもらえますか?」
アリスは自分の見ていた簡易的な一覧ではなく僕が見ていた詳細が書かれた一覧を要求する。
「うん、いいよ。
個人情報だから漏洩には注意してね」
ま、この世界には個人情報保護法は無いけどね……
アリスはその一覧と自分が持つ簡易一覧を見比べながら何人かの名前の横にチェックを付けていく。
その数は残っていた八人分。
「エルスティア様、提案なのですがこの八名については故郷に戻って執務官として就職してもらえませんでしょうか?」
「そうかぁ、確かに業務が無いのであれば解雇取り消しも仕方ないか……」
「いえ、そうではありません。引き続きバルクス辺境候の臣下として頑張ってもらうのです」
どういうことだろ? 臣下なのに故郷に戻る?
僕はアリスがチェックした八人の情報を再確認する。
彼らの故郷は……エウシャント、ベーチュン、ボーデ、ウォーレン、ベンダ、メルカルト、ビストンク、レスト…………ん? あれ?
「アリス……これって……」
それにアリスは頷く
「はい、注意すべき領です」
「つまりは、スパイって事か……」
上げられた八領。
エウシャント伯とベーチュン伯はバルクス辺境候の北方の領境に存在する。
第一王女派のエウシャント、第二王子派のベーチュンとここ最近の両派閥の関係悪化により一触即発の状況になっている。
ボーデ伯はバルクス辺境候の東部に存在している。
上の三領はバルクスと領境を接しているから要注意となる。
ウォーレン公、ベンダ候、メルカルト公はそれぞれ第二王子派、第一王子派、第一王女派の筆頭。
ビストンク伯はエスカリア王国の北方に位置し、オーベル帝国との玄関口になっている。
レスト候は王国東部に位置し、ベルカリア連邦と資源を巡って幾度と無く戦争が行われた場所。
元ベルカリア連邦領のベルトン伯とルームカリア伯のおかげで連邦と隣接はしなくなったけれど連邦に近いことは変わりない。
つまりはエスカリア王国の内紛要因と帝国・連邦の情報を得る立地条件に位置するところの出身者が選ばれたということだ。
貴族学校出身者というのはエスカリア王国においてはかなりのネームバリューだ。
学生時代に公子・公女にスカウトされれば執務官としてエリートコースに乗ることが出来たということができる。
ただ直接スカウトされずとも執務官採用については非常に有利となる。
執務官は売り手市場、どこも財政が許すのであれば必要としているのだ。
「ただ、彼らにとっては故郷を売るって事になるから嫌がるんじゃないかな?」
「私としましてはなにも軍事機密を……といったところまでは求めてはいません。
ただ噂話程度でもよいので各地の動きの情報が欲しいのです。中枢に近ければ近いほど有効な情報になりえますから」
各地のなんてこともない情報でもそれが集まることで非常に有効な情報になる事がある。
アリスとリスティであれば確かにそれも可能だろう。
「わかったよ、ただし無理強いはしない。拒否したら別の業務を何か考える。それでいいかな」
「はい、もちろんです。」
僕の条件にアリスは頷く。
――――
最終的に八人共にアリスの説得により自身の故郷で執務官として就職することになる。
その説得の際には僕は立ち会えなかったんだけど……いやはやどうやって説得したんだろうか?
「難しいことはしていませんよ。ただお願いしただけです」
アリスはただそう微笑むのだった。
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