第158話 ■「勅令2」

「正室としてクラリス・エスカリア・バレントン王女殿下を迎えるつもりは無いか?」

「………………は?」


 代表からの突然の言葉に思わず僕からは素の返しが漏れる。

 正室? なにそれ? うん? えっ?


「エルスティア辺境候も御年十八、クラリス王女も同じく十八。

 両者とも結婚するには適齢であろう。


 国王陛下としては新たなる侯爵家と深き縁を結びたいとお考えだ。

 ただバルクス辺境候とガイエスブルクとの距離を考えた場合、クラリス王女には王族としての務めは難しい。

 そのためシュタリア家に降嫁いただくことになる」


 驚きから復活できていない僕を尻目に……いや、驚くことが分かっていたからこそ矢継ぎ早に代表は言葉を続ける。


「直ぐに返事を……とは言わぬが、我々がガイエスブルクへの帰途に着く八月一日までに返答を頂きたい。

 それから――」


 その後も代表は話し続けたが、僕の耳には入ってこなかった。


 ――――


「……エ……おーい、エルー、戻ってこーい」

「……ん、あ、ああ、アインツか……あれ? 勅使の人たちは?」


 われに返った僕の前で手のひらを振っていたアインツ以外に誰もいない。


「とっくの昔に退席したぞ。まぁなんだ、とりあえず辺境侯叙爵おめでとさん」

「あ、あぁありがと。僕が侯爵か。予想もしてなかったなぁ」

「この国では高い爵位について置いて損は無いからな」


「そのぶん責任が増えるんだけどね……ただ……」

「ただ?」

「それ以上に衝撃的なことを言われたような気がするんだけどなんだったけ?」

「……あー、それかぁ……まぁ、もう少し落ち着いたらな」


 なぜかアインツが哀れみを含んだ目線を僕に向けてくる。


「そういえば皆は?」

「エルが固まってたからな。とりあえず俺に任せて勅令の内容を精査するための打ち合わせに行ったぜ」


「……そうか、父さんと母さんは?」

「……エリザベート様がお祝いしなきゃって言いながらレインフォード様も連れていった」


「母さんもせっかちだな。侯爵になったからって」

「……いや、どっちかというと侯爵になったってのはどうでもよさそうだったけどな……」

「??」


 アインツにしては珍しく歯切れが悪い。

 まったく、何があったんだよ。


「とりあえず、皆のところに行こうか」

「……大丈夫か? もう少し落ち着いてからでもいいんだぞ?」

「? 本当にどうしたんだよアインツ」


「いや、まぁ、お前がどうしても行くって言うんだったら反対はしないけどな」

「? ほんと変なアインツだな」


 立ち上がった僕の後ろで『よっぽどショックだったんだな。可愛そうに……』と聞こえたような気がしたけれど、まったくなんなんだか……


 ――――


「あ、エルスティア様。もう大丈夫なのですか?」


 執務室に入った僕に気付いたアリスが声をかけてくる。

 いや、アリスもどうしてそんな複雑そうな表情を向けてくるのさ?


「大丈夫だよ。皆心配性だな。それで、話はどこまで?」

「そうですか? ……えっと、勅令の内容について精査していたのですが妥当、いえむしろ好待遇といえるでしょう」


「そっか、それを含めて意図をどう読む?」

「今回のルーティントとの戦闘で投入した銃と大砲、新武装について情報が流れていないのは確かですね」

「そうなの?」


「はい、もし情報が漏れていたならば同じ国の中とはいえバルクスはあまりに強力な力を手に入れたといえます。

 であれば、その力を削ぐために動くと考えられましたがむしろルーティント領の所領を許し、さらには辺境候という権力も与えてきましたから」


 確かに銃の一丁でも寄こせといってくるかと思っていたけれど、勅令を斜め読みした感じではどこにも書かれていなかった。


「ファウント公爵あたりには、ばれているかもと思ったけどなぁ」

「一つは銃と大砲を投入したのが緒戦のみだったのが良かったのだと思います。

 他の貴族が情報を収集しようとした時にはルーティント側の組織的な抵抗がほぼ無かったので投入する機会もありませんでしたし」


 確かにずるずる行くかな? とも懸念していたけれど実際には多くの町村が無血投降してくれた。

 騎士団に装備された鉄鋼製の装備も戦闘にならなければ若干色合いが違うだけにしか見えない。


 情報が漏れる可能性があった残兵が、ヒンデルク要塞で玉砕したことも理由の一つかもしれないな。


「それでもやはり首に鈴を付けたかったのでしょうね。あのような提案をしてきましたから……」

「ん? 提案?」


 はて? そんな提案あったっけか?


「え? はい、エルスティア様と……」

「あー、はいはい、とりあえずエルも疲れただろ? 今日は休んで明日改めてってことで!」


 アリスの言葉を遮るかのようにアインツが声を上げる。


「本当にどうしたのさ? アインツ。まだ疲れてないから大丈夫だよ」

「……エル、本当に大丈夫なんだな?」


 アインツが僕に真剣に問い返してくる。


「うん、大丈夫だよ」

「……そうか、気持ちを強く持てよ。これも貴族だからって諦めるしかないんだ」

「なんだよそれ?」

「アリス……教えてやってくれ」


 なにやら覚悟を決めたらしいアインツがアリスに言う。


「なんだか、変な感じですね…………ん? もしかして……」


 アリスは何やら考え込み合点が言ったような表情になる。


「あの、エルスティア様」

「なに? アリス」

「勅令から提案された内容を覚えてますか?」

「提案? なにかあったっけ?」


 その僕の答えにアリスを含む皆の表情が腑に落ちたようになる。


「エルスティア様、国王陛下から結婚の提案があったのです」

「誰が?」

「エルスティア様が」

「……誰と?」

「クラリス王女と」


「……またまたぁ」

「……残念ながら」

「ほんとに?」


 それに周りの皆が頷く。


「……お断りするってのは……」

「もちろん、エルスティア様が王国を裏切って独立するのであれば可能です」


 万事休す。


「だ、大丈夫だよエル君! 噂ではすっごい美人らしいよ。ねっ、メイリア!」

「は、はい。私もそう聞きました」


 ユスティが僕を慰めようとしてか教えてくれる。

 それにメイリアも相槌を打つ。


「僕もそうは聞いているけどね。一度も会ったことも無い子と結婚かぁ」


 相手は王族だ、僕の中では王族の娘イコールわがままっていうイメージが頭をよぎる。

 そんな中――


「大丈夫です。エル様、クラリス王女であれば幸せになれます」


 ベルは僕に顔をまっすぐ向けながら断言する。

 その顔には普段のベルからしたら自信にあふれている。


 ……あれ? ベルは僕が他の人と結婚しても大丈夫なのか?

 という気持ちが僕の中をよぎる。


 ベルと出会ってもう十一年近くになる。

 自惚れでなければベルから少なからず好意を抱いてもらっているという思いがあった。

 そして僕自身もベルに対して少なからぬ好意を抱いている。


 ところが、ベルは僕に他の人と結婚しろと……あれ? ちょっとへこむ。

 ……いやいや、どうせ提案とはいえ王からの提案だ。

 拒否できない以上、僕を慰めてくれているんだ。


 うん、……そう思わないと泣きそう。


「……そう……だね。うん、断れない以上そう考えたほうがいいか」

「いえ……そうではないのですが……」


 ベルが反論しようとするがショックを受けている僕には届くことが無い。


「……まぁ、それはいいとしてアリス。それが僕の首に鈴を付けるってどういうこと?」

「先ほども言ったように独立するつもりが無いのであれば断ることはまず難しいです。

 そして降嫁、つまりは王位継承権を失った王族とはいえ、エルスティア様は王の外戚となるのです」

「……ん? クラリス王女は王位継承権を失うの?」

「はい、降嫁ということはそういうことです」


「そうか……まいったなぁ」

「なにがですか? まさか王位を狙われて……」

「いや、シュタリア家はクラリス王女を推していたんだよ? その彼女が王位継承権を失ったって事は誰を推している体にすれば……」

「……なるほど、安心しました。エルスティア様はそういう方でしたね」


 アリスは、クスクスと笑い始める。

 なにかおかしなことを言っただろうか?


「答えですが簡単なことですよ。辺境候になったことでより外敵に備える必要がある。

 そのため今後は中央の情勢については静観する。とすればいいのです」

「あーなるほどね。その手があったか……

 うん、それじゃその方針で皆動いてもらえるかな。

 ベイカーさん、アリス、今回の勅令についてまとめた資料を後で持ってきてくれるかな?」

「はい、かしこまりました」


「提案については…………喜んでお受けしますと」

「はい、そのように」


「んじゃ、皆……これからも色々あるだろうけどよろしく」

「ああ、了解だぜ! エルスティア辺境候殿!」


 アインツの茶化しに皆が笑う。

 色々と大きく動き出したけれど僕も頑張らないとな。


 それにしても……十八で結婚かぁ


 ――その日の夜、夕食をとるために食堂に向かった僕の目の前に『エル結婚おめでとう!』という母さん直筆のどでかい垂れ幕が飾られていたのは別のお話。

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