第120話 ■「執務官 面談3」

「それでは、失礼します」


 アリストンは座っていた椅子から立ち上がり深々と頭を下げる。

 そして部屋から出ようとしたところで立ち止まる。


「エルスティア様は領民に無償で初等教育を実施しようとしているそうですが。

 ……よろしいのですか?」


 振り返りながらアリストンは聞いてくる。


「ん? どういう事かな?」

「『平民は愚民たれ』」

「っ!」


 彼女の口から放たれた言葉に反応したのは僕とベイカーさんのみ。

 ベルやバインズ先生については意味も分かっていないだろう。


 けれど僕が反応したことにアリストンは満足したようだ。


「なるほど。分かっていながら進めるのですね」

「そうだね。僕はこの封建制にはこだわりがないからね」


 その回答にアリストンは笑う。


「かしこまりました。もしお雇いいただけたならその方針で進めさせていただきます」


 そう言うと一礼し、部屋を出ていく。


 ――――


「ふぅ」

「いやはや、最後の最後にとんでもない者が来ましたな」


 僕のため息にベイカーさんは苦笑いをする。


「エルスティア様、あのような危険な思想を持つ者は危険すぎますぞ」


 普段は温厚なドルテさんが、興奮気味に僕に進言してくる。

 危険な思想ってのは、王国が腐敗していると言った事だろう。

 

 そんなドルテさんに僕は微笑みかける。


「落ち着きなよドルテさん。彼女は僕という人間の本質を見ようとあんな事を言ったんだからさ」

「本質……ですと?」


「『王国が腐っている』

 そんな言葉に激高するのは本当に王国に対しての忠義心からくる義憤か、もしくは……」

「激高する方も同じ事……やましい気持ちと理解しながらも抱いているか。だな」


 僕の言葉にバインズ先生が口を開く。

 それに逆にドルテさんが動揺し立ち上がる。


「い、いえ、私にはそのような滅相もない考えなど……」


「大丈夫だよ。はっきり言えば僕自身もこの国の闇の部分は何度か見てきている。

 王国の根元が腐ってきていると正直思ってたりするからね。

 個人の思いに対してまで罪に問う気はサラサラないよ」


 僕の答えにドルテさんもようやく安心したように席に座る。


「ベイカーさんの彼女の評価を聞かせてもらえる?」


 僕の問いかけに、ベイカーさんは少し考えた後口を開く。


「一言で申し上げれば、『大魚』ですかな。しかも化け物と呼んでいいほどの」

「というと?」

「執務官の応募を開始してから二週間ほど。

 はっきり申し上げれば本日の面談までにバルクス伯の短所把握は出来たとしても、対応案を考えてくるのは難しいと言わざるを得ません」


 それは彼女以外の応募者の面談をみれば分かる。

 二週間では伯領の内政状況を把握するだけで精いっぱいといってもいいだろう。

 だからこそ、彼女以外はそれ以外の部分でアピールをしてきた者が多かった。


 対応案は実務を行いながら提案できれば挽回できるのだから。


「その中で、『為替手形』ですか。

 いやはや目から鱗の内容でした。ぜひ導入を進めたいと説明を聞きながら思ってしまいました。

 そして自身の商人連との繋がりを長所として打ち出す。自分を有用だと説明する発言力。

 そして最後の言葉……化け物ですな」


 その時、今まで静かに座っていたベルが口を開く。


「一つ気になったのですが、アリストンさんが最後に言った平民は愚民たれ……でしたか?

 あれってどういう意味なんでしょうか?」


 そこで僕とベイカーさんは顔を見合わせる。言ってもいいものか? という顔だ。

 とはいえ、これって政策の一つだからな。話しても問題ないか。


「簡単に言うと『愚民政策』という政策論の一つなんだよ。

 この国のように支配する者、される者……前者は王族や貴族、後者は平民だね。

 支配する者からしたらされる者は愚かである方が統治しやすいという考え方なんだ」


 為政者にとって権力を保つ事を考えると人民が政治的に無知な状態である方が楽になる。


 支配層は被支配層との身分的・能力的な異質性――つまり貴族と平民の身分の差――を意識しながら、時には隠ぺい、時には強調しながら被支配者の政治的関与の可能性を最小限にしようとする。

 

 愚民政策においては大きく分けて二種類の方法がある。

 民衆を非識字状態にとどめておく教育政策。

 民衆に正しい情報を与えないという報道管制。

 

 この世界には報道ってのは無いから前者が主に行われている。

 民衆に異なる娯楽を与えて政治的盲目にする方法が取られたこともある。

 ローマ帝国における『パンとサーカス』がその典型だ。


 民衆の教養の取得は、民衆の参政意欲を高め、民主化運動が始まる可能性も秘めている。

 アリストンは暗にその可能性を理解しているか? を確かめたのだろう。


 いやはや、十五歳で『愚民政策』を理解しているのか。


「ねぇ、ベル。バインズ先生」

「はい、何でしょうか? エル様」

「なんだ? エル」


「僕は彼女が。」


 ベイカーさんとドルテさんがいるから言葉を濁す。

 それでも二人は理解してくれたようで少し考えた後、


「なるほどな。お前が探していた人材という事か」


 とバインズ先生も肯定してくれる。


「確かに同い年。可能性は非常に高いですね……正直な所、もう一人はクリスだったらなって思ったりしてたんですけど」


 ベルは笑いながら僕に返す。やっぱりベルもそう思ってたのか。


「ま、クリスについては僕達にとって運命の出会いだったって事にしよう。

 いつか再会できることを信じて……」

「はい、そうですね。いつかまた……」


 僕の返しにベルは少しさびしそうに微笑む。


「うん、さて、それじゃ合格者を選ぶとしますか!」


 僕の号令を元に執務官と教師役の九人の選定が始まる。

 

 ――――

 

「はぁ~、緊張したぁ」


 バルクス領主館から帰宅中の私は、準備してもらった馬車の中で大きく息を吐き出す。

 父さんの支店の一室を借りることが出来たのは、エルスリードでの就職が決まるまで部屋を借りることに躊躇していた私にとっては幸運だった。


 なんとかこの馬車に乗り込むまで平静を保てたが、緊張で背中がびっしょりだ。

 

 バルクス伯爵家の執務官募集は、私にとっては千載一遇のチャンスだった。

 なんてったってエルスティア様との邂逅が官吏になる事を決意させたのだから。


 そして面談まで残った時点で私は決断を迫られた。

 面談をどのスタンスで行うか? だ。


 私はエルスティア様と同じ十五歳。それは長所でもあり短所でもある。

 恐らく面談まで残った他の候補者は海千山千の年長者ばかり。

 一方こちらは、官吏学校卒業という箔がついてはいるが実業務の経験は皆無。

 若い事は可能性を秘めるという事が長所ではあるが、火急の応募である事を考えると実績重視だろう。


 普通に面談をしたら経験の差で不採用になる可能性がある。

 であれば、危険を承知で攻める必要があった。


 もしエルスティア様が予想していた人物と違っていれば、まずい事になっていたけれど……私はその賭けに勝った。


 そこで私の政策を話すことが出来た……。

 エルスティア様の口から『為替手形』の単語が出た時には、正直肝を冷やした。


 面談までの二週間ではバルクス伯内の内政状況は確認できた。

 けれど検討中の政策は、平民への無償教育の情報しか手に入れる事が出来ていなかったからだ。


 その政策は対応中だと言われたら別の弾を出すしかなかった。


 次案は準備していたけれど、バルクス伯に適しているかまでは検証できていなかったのでヒヤヒヤものだった。


 実際にはエルスティア様だけが知っている政策だったから話を続けられた。

 さらに商人の娘だから商人連ともつながりがある事をアピールも出来た。


「最後に聞いたのって蛇足だったかなぁ。あれで変な評価されてないといいけど……」


 最後に平民に無償で教育を施すことによる長所と短所を理解しているかが、気になりつい聞いてしまった。

 人は、自分が進めようと思っている事の短所を突かれると大きく二つの反応を示す。受け入れるか反発するかだ。

 場合によってはエルスティア様の不興を買う可能性があった。

 幸いなことに短所も理解したうえで進めていたようだからこそ問題にならなかったが。


「うん、気になった事をついつい聞いてしまう癖は直さないとなぁ。

 官吏は部屋の空気をちゃんと読めるようにならないとね」


 私もまだまだ勉強が必要だな。と生まれて初めての面談で経験できた。

 本命の就職先にぶっつけ本番だったのが悔やまれるけれど……

 それにしても……


「ほんと出来る女の顔は疲れるよ。私もまだ十五歳の女の子だもんね」


 出来る女を演じ続けたせいで凝っていたほおの筋肉の頑張りに感謝しながらマッサージする。

 もちろん出来る女になりたいけれど、早くに母親を亡くして男兄弟に揉まれ、官吏学校も九割を占める男の子の中で過ごしてきていた私には無理かもしれない。


 まず『女性らしく』というのが理解できていないのだから。

 少しでも女性らしくしようと髪を伸ばしてはみたけれど、本質まではまだ変われていない。


「それにしてもエルスティア様の横にいた女の子。可愛かったなぁ……」


 エルスティア様の横にいた綺麗な女の子のようになれればいいけれど……。

 もし採用してもらえれば彼女とすぐにでも友達になろう。うん。


「はぁ、受かっているといいなぁ」


 そう願いながら私は帰路を辿る。


 一週間後、私のもとへは合格の通知が届くのであった。

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