第73話 ■「襲撃 レイーネの森3」

 『湧き上がる悪夢』は吸う。

 無念を含んだ血の涙を。


 『湧き上がる悪夢』は歓喜する。

 これ程までに生命力あふれる若き血を飲めることを。

 やや、魔力という部分では物足りないが、数十年ぶりの美酒が如き味、贅沢は言うまい。


 変わり果てたパソナから流れ出た血は余すことなく鏡面に吸収される。


 そして鏡面から突如あふれ出す粘りを含む液体。

 それはすべてを飲み込むかのような黒、黒、黒。


 にえを媒介に『湧き上がる悪夢』が発動する力。


 それは、系統としてはあるものの実際に使用できる者は僅かと言われる


『召喚魔法』


 あふれ出た液体は徐々に形を作っていく。

 そこに現れるのは異形の生物。


 ゴブリン、オーク、トロール、ダイヤウルフ……それは人に仇なす魔物


「ふははははははは、これだ。これだけいれば。

 あいつを、あの番犬を殺せる。原型も残らない程にな」


 ラズリアはわらう。

 これが、エルスティアを殺すだけで収まるはずが無い事も理解できずに。


 そんなラズリアを魔物の集団は無視をする。

 別に彼らは召喚主であるラズリアへの忠誠心があるわけではない。


 本来であれば召喚主は瞬く間に彼らに喰われる運命だ。

 それがこの奇跡、いや悪夢の代償なのだから。


 だが今回は、少し離れたところに数百もの餌がある。

 中には圧倒的な魔力を秘めた餌がいる。それは彼らには非常に魅力的だ。

 こんな薄い魔力しかもたない餌を喰っているだけ時間が無駄なのだ。


 そして数百、数千にも増えた魔物は一斉に移動を始める。


 空腹を餌で十分に満たすために……


 ――――


 最初に違和感に気付き目覚めたのはエルだった。


 上手く説明はできないが、空気がいつもと違う。


 まだ、就寝直後で浅い眠りだったからこそ気付いたのかもしれない。

 起き上がるエルの気配を感じたのか、隣で寝ていたアインツも目を覚ます。


「エル、どうかしたのか?」

「アインツ、何か変だと思わないか? やけに森が静かすぎる気がする」


 そう、静かすぎるのだ。


 森はただ木があるだけじゃない。

 そこは動物が生活する場、しかも多くの動物は夜行性。


 なのにそれらの鳴き声すら聞こえない。


「気にしすぎだろ。と、言いたいところだが、悪い。

 俺の中で嫌な予感が鐘を鳴らしてやがる」


 こういう時のアインツの野生の勘?というのだろうか。それはよく当たる。

 それに僕はある程度の確証を持つ。


「アインツ、すまないけれどベルやリスティ達を起こしてきてくれないか?

 僕は監視中の先生の所に行ってくる」

「あぁ、わかった。エル、何かあっても無理するなよ」

「わかっているよ。それじゃ後で」


 僕は学校指定の緑色の外套がいとうを羽織ると先生の所へ走る。

 今の時間はインカ先生が監視をしているはずだ。


 ――――


「どうしたシュタリア。既に就寝時間は過ぎているぞ」


 僕に気付いたインカ先生は尋ねてくる。

 そんなインカ先生の所に駆けつける。


「インカ先生。おかしいと思いませんか? 森が静かすぎるんです」


 その言葉にインカ先生は再度森へ視線を動かす。

 インカ先生は元騎士、森での野営経験もある。

 その経験から感じる違和感を探る。


「言われてみれば確かに……、静かすぎる。嫌な感じだ」

「インカ先生、何があってもいいように生徒を起床させるべきかと」


 その提案に即時にインカ先生は判断を下す。

 傍にいた別の若い先生に指示を出す。


「全生徒を起床! 即時動けるように馬車の傍に待機!

 引率の教師以外は、集合!早馬を駐屯地に出発させろ!」

「は! はい!」


 若い先生は指示を聞き駆けていく。


 その姿を見送った後、インカ先生は僕を見る。


「シュタリア、今から俺は最悪の事態を考えて動く。魔物の大規模襲撃だ。

 この森の危険度からすれば最大でもトロールクラスだそうだが、対応できる人数が少ない分驚異的だ。


 もしトロールクラスが来れば、教師だけでは戦力として不安がある。ってのが俺の見立てだ」

「はい、先生達の実力を軽視しているわけではありませんが、数が足りない。そんな気がします」


 それにインカ先生は頷く。


「まずは、生徒は駐屯地まで退避させる。

 それに併せて早馬を出して騎士団に出撃してもらう。

 時間的には三、四時間か。

 その時間なんとしても此処を守る必要がある」


 そこで一瞬、インカ先生は辛そうな顔をする。

 理想と現実の乖離かいりに苦悩したんだろう。

 先生が言おうとしている事は分かるので僕が先に口に出す。


「もしモンスターの大規模襲撃であれば、先生だけでは恐らく突破される。

 だからバリケードの一部を生徒。特に戦闘経験がある生徒に守らせる。ですね」

「あぁ、そうだ。十人……いや、二十人ほどの戦力が欲しい」


 僕はその言葉に、『実戦訓練研究会』に所属する能力が高い生徒を頭の中で今ここにいる数十人リストアップする。

 性格、とくに実戦に耐えれるか? という観点でさらに絞り込む。


「心当たりがある生徒を集めてきます。

 それまでに編成を考えておいてください」

「ああ、悪いが頼む」


 本来であれば、いち生徒の僕の進言や提案を教師が聞く事は無いだろう。

 だけど、インカ先生は図らずも、十歳という子供からは規格外の僕の力を見てきている。

 だからこそ信頼してくれたのだろう。


 騎士団として実戦を積んでいるインカ先生は緊急時の場合、面子めんつがどれだけ不要なものかをよく理解している。

 うん、いい上司だ。


 その信頼に応えるために僕は生徒たちが集合したところに駆ける。


 多くの生徒が何が起きたのか分からずに不安そうな顔をしている。

 その中からリストアップした人に声を掛けて別の所に来てもらう。


 まだ、僕達は最悪の事態を想定して動いているだけだ。

 つまりは確定事項ではない。

『大山鳴動して鼠一匹』という事もあり得る。

 むしろ、そうである事の方が望ましい。


 だが人は不確定要素が多い場合、憶測する。悪い方に。

 それは他人にも不安を伝播させパニック状態に陥る可能性がある。

 それによる惨事は防がないといけない。


 だから信頼できる人間に群衆から離れて説明する必要があるのだ。


 来てくれたのは二十六名。その中にはいつものメンバーもいる。

 そして僕は恐らく時間が無いから。と前置きをして手短に説明する。


 これは最悪の事態である魔物襲撃を想定してのことであることを。

 騎士団が到着するまでの三~四時間バリケードを守る必要があることを。

 その場合、先生だけでは守りきるには人数が足りないことを。

 だから一角を僕達で守る必要がある事を。

 もちろん強制ではなく、他の生徒と逃げても問題ないことを。

 ただその場合は、この事は黙っておいてほしいということを。


 聞いた皆は一様に顔を青ざめている。けど、動揺や発狂する子はいない。

 普段から彼達に接して抱いていた感想に間違いが無かったことに安心する。


「エル様、話は分かりました。

 けど、僕にしろ皆にしろ実戦経験はありません。

 僕達で本当に役に立てるんでしょうか?」


 その中の一人が僕に尋ねてくる。

 当たり前だ、十歳そこらで実戦の経験なんてある方が珍しい。

 僕やベルだって中央までの途中に意図せず実戦経験を積んだに過ぎない。


「僕達に求められているのはまず、魔物を殲滅する事じゃない。

 騎士団が到着するまでバリケードを守りきる事なんだ。

 だから近接戦闘ではなく弓や魔法での遠距離攻撃で対応してほしい」


 その言葉に少し安心したような顔を見せる。

 近接と遠距離はどちらも相手を殺すことを目的としているけれど

 精神的な負担で考えれば遠距離の方が軽い。


 僕は両方経験しているけれど、いまだに剣で相手を切った時の手に伝わる肉を、命を断つ感触には慣れない。


「わかりました。僕で役に立てるなら」


 その一声に次々と賛同する声が上がる。

 結局、全員が力になると言ってくれた。


 エルの知らない事であったが普段の平民貴族と平等に接していた事が、彼らのエルに対する信頼を勝ち得ていた証であった。


「それじゃ、みんな、行こうか」


 僕の声に皆頷き、立ち上がる。


 誰一人、死なせない。


 僕は決意を新たにインカ先生の元に駆けだした。

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