個人として人を見るってなんだ?について

 〈レッテル貼り〉からは逃げられないよなあ、とネガティブな書き方をしたけど思い直した。じゃあ果たして先入観を持たずに接されたら人はどうなってしまうんだろう? 果たして先入観を持たずに接することができるんだろうか?


 〈レッテル貼り〉こそが人と関わるきっかけになるわけで、「初心者にしては上手いじゃん」とか「さすがプロ」とか「年齢の割にすごい」とか「女だから話しやすい」とか、そういう前提ありきの発言に救われている人しかいないんじゃないか?。


 2月9日現在、僕はプロフィールに「自著が出ます」と嘘を書いているんだけど、書いてからやたらレビューやら評価が増えた。そこに関係性があると確信してるわけではないが、ただのカクヨム投稿者よりは〈書籍化される実力のある人〉という肩書きを持った方が読まれるだろう。例えば出来の良い文章を読みたいとき、レビュー0の作品よりは読書メーターで星4.7とか書店の売れ筋を読むだろう。少なくとも僕はそうする。


 プラスのレッテルにはもちろん価値があり、そしてまたマイナスのレッテルにも価値があるはず。タイトルなしキャッチコピーなし紹介文なしの作品よりは、〈ニートの一日(ゴミクズの思考)〉とかなんとか名前があったほうが目にふれる気がする。ともかくレッテルはどうしたって付き纏う上、どんなレッテルだろうと有り難い側面を持っている。

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